なぜ、バレンタインデーはハロウィンに負けたのか。【”バレンタイン離れ”、5つの理由】
バレンタインデー間近。街を見渡せば、どこもかしこもバレンタイン一色……かと思いきや、正直そうでもなくありませんか?
確かにデパートにはチョコ売り場が特設され、サロン・デュ・ショコラも連日満員の賑わいを見せているそうですが、なんとなく一部の盛り上がりに過ぎないというか、社会全体を巻き込んでるわけではない、というか。
ハロウィンに比べて劣る5つのポイント
昨年のハロウィンの時期、「ハロウィンの経済効果がバレンタインを超えた」という報道が話題になりました。
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ライバルの勢いに比べてしまうと、たしかに近年のバレンタインは、少々迫力不足。どうしてバレンタインはハロウィンに負けたのか。まったくもって大きなお世話ではありますが、その敗因についてコミュニケーションの面から考察してみましょう。
1 非日常感が足りない
現在、ハロウィンは仮装、バレンタインはチョコを渡す行為が、それぞれメインとなっています。
仮装やコスプレは、多くの人にとってハロウィンの時くらいでしかやらない非日常的なこと。一方、チョコを渡すというのは普通の行為です。
お世話になった人に菓子折を贈る、恋人や友達にお土産のチョコを渡すといったことはバレンタインに関係なく、いつでも行われていること。もちろん、好きな人にチョコを渡して告白するとなれば話は違いますが、それ以外のバレンタインの楽しみ方は、よく考えると、どうも非日常感・「ハレ」の要素が薄いわけです。
これでは、イベント慣れしてしまい、ちょっとやそっとのことでは脳内麻薬が出なくなっている現代人にとっては、物足りなく感じるのもうなずけます。
2 一瞬で終わってしまう
率直に言ってしまえば、チョコを渡すという行為は一瞬で完了します。
どれだけ念入りに準備しようとも、学校の昼休みや職場のちょっとした空き時間を使えば、あっという間に終わってしまう。一方で、ハロウィンは、衣装の準備をし、子どもに着せ、酒を飲み、街を練り歩き、また飲み直し、と長い時間をかけて楽しむことがます。
実際に街中で、今日はバレンタインだな、バレンタインの季節だなということを実感できる機会は少ない一方で、ハロウィンに浮かれている人々の様子は目にする機会が多く、相乗効果で盛り上がりを体感できるわけです。
3 写真映えに欠ける
ハロウィンがここまで盛り上がるようになったことと、Instagramやfacebook、Twitterなどの流行は、切っても切り離せません。仮装やコスプレは、なんといってもSNS映えするのです。
一方バレンタインは、写真映えがイマイチ。チョコの写真を撮ったとしてもインパクトがありませんし、友人の告白の瞬間をアップするわけにもいかない。
そもそも人目につかないようこっそりとしめやかに告白する恋の儀式=バレンタインは、現代版「ええじゃないか」、日本のリオのカーニバル=ハロウィンに、”拡散”という点ではかなわない運命なのかもしれません。
4 テーマカラーが定まってない
紫・オレンジ・黒の組み合わせを見れば、誰もがハロウィンを思い出すでしょう。同様に、赤と緑の組み合わせを見れば、クリスマスを自動的にイメージします。
しかし、バレンタインには、分かりやすいベタなバレンタインカラーが確立していません。赤と茶色、ピンクと茶色などの色の組み合わせを見てバレンタインをすぐに想起する人は少ない。コミュニケーション戦略上、色のパワーは絶大なものがありますから、バレンタインカラーが未確立なことも、盛り上がりが欠ける一因となっています。
5 恋愛が流行らない
愛の告白の儀式からスタートしたバレンタインも、時代を重ねていく中で、義理チョコや友チョコ、自分チョコ、逆チョコなど、さまざまなバリエーションが提案されてきました。
また、多くの職場ではもはや、社交辞令というか、時候の挨拶にまで堕していて、その季節になれば、女性のビジネスパーソンは、「いちおう……」などとチョコレートを差し出すのが慣例となっています。職場の女性社員でまとめて購入、まとめて配布という風景を見ると、もはやもう、本来の趣旨はどこへ?と首をひねりたくもなります。
が、やはりそうは言ってもバレンタインの本分は「恋愛」で、カップルや片思いの女の子のお祭り。でもこれがまた、イマドキじゃない。
恋愛離れが叫ばれる現代。そもそも「恋のイベント」は逆風にさらされているし、そもそも、そのイベントに関わる人は少ないのです。友人や同僚、家族みんなで盛り上がれるハロウィンと、若い世代の恋愛イベントであるバレンタインでは、盛り上がりの面でもマーケットの面でも、前者に軍配が上がることは必然。バレンタインは1人1回(1日)しか楽しめないのが原則ですが、ハロウィンは当日だけではなく期間中、様々なグループと、何度も楽しむことができるのも強みです。
仕組みの耐久性に限界が
…と、一方的にバレンタインデーの短所を並べたてることが本稿の目的ではありません。
いまでこそ偉そうな顔をしている(?)ハロウィンだって、そもそもはtrick or treatと言ってお菓子をもらってまわる子どもたちのイベントでした。つまり「お菓子のプレゼント」というスタート地点は一緒だったのです。
しかし今では、ハロウィンを楽しんでいる人たちの中で、どれほどの人がお菓子のやり取りをしているでしょうか。ハロウィンはもうすっかり、ただの「仮装イベント」に昇華しています。なんでもかんでも無節操に無宗教に融通無碍に受け止め、アレンジし、お祭りとして楽しんでしまうのは、有名な日本の国民性ですが、まさにハロウィンはその最新作にして傑作。
お菓子メーカーが現在のバレンタインデーの仕組みを仕掛けたのは、もう60年も前のことです。となれば、システムとしての寿命が尽き、新たなイベントに主役の座を譲るのは当然のこともかもしれません。逆に言うと、よくもまあ、ここまで生き残ったものです。
1950年代に、企業主導、チョコレートありき、恋愛風味で始まったバレンタインデー。
2010年代に、SNS主導、仮装ありき、子ども風味で始まったハロウィン。
こんなところにも、コミュニケーションの歴史の移り変わりを感じずにはいられません。
新たな呼び名”お冬菓”
「義理チョコ」「友チョコ」とやみくもにバリエーションを増やすのではなく、これまで見てきたような観点からテコ入れされて、バレンタインが復活を遂げるのか(たとえば、いっそ恋愛色をなくす、たとえば、テーマカラーを徹底する、たとえば、チョコレートだけでなく広くあまねく外食産業と手を組む、など)、
あるいはそうではなくお歳暮やお中元のように、古式ゆかしい贈答文化のひとつとして、しぶとくしめやかに生き延びていく(そのうち、呼び方も「お冬菓」などと言い始めたりして)のか。
恵方巻きも猛追中
ここ数年猛追を見せるもう一つの冬のライバル「恵方巻き」に、いまひとつ関心が持てない(何度説明されても、しっくり来ない)私としては、小さい時分女の子からもらえなかったという苦いルサンチマン込みで、バレンタインデーを支持・応援し続ける所存です。
(作家・心理カウンセラー 五百田 達成)