「さとり世代」というけれど達観しているのは大人のほうでは? そもそも昔の若者は本当にガツガツしてた?

突然ですが、最近なにかに熱中したり夢中になったりしたことはありますか? 小中学生くらいの頃は、部活など何かしら夢中で打ち込めるものがあるものですが、年を経るにつれだんだんそういったものが失われていくように思えます。大人になってからも熱中できるものを持っている人は、なかなかいないもの。なんだか熱量のない毎日を、無気力に過ごしてしまいがちです。

原因として、たしかに仕事や家事といった「やらなければならないこと」に追われて「やりたいこと」ができなくなるといった仕方のない事情はあるかもしれません。しかし、大人が熱中できないのには、他にも「大人」ならではのワケがあるはず。

それは、物事を達観しすぎること。何事も一歩引いて見てしまう、冷静に見てしまう。そんなついつい傍観者のようにふるまってしまう症状に陥っていませんか?

たとえばスポーツ中継で、ファンがスタンドでユニフォームを着てわっと盛り上がっているのを見て、「みんなあんなに声援がんばって大変そう…」「よくあんなに時間とお金をかけられるな…」と思ったり、社内運動会が開催されると聞いて「いまさら運動会なんて疲れるだけだな…」なんて思ったり。

たしかに何も考えずにただただ目の前のことに熱狂する「子供」とは違い、一度立ち止まって物事を冷静に分析できるのは「大人」です。しかし、「大人」になろうとするあまり、もしくは「大人」な自分に慣れ過ぎてしまったばかりに、いつの間にかどんなことに対しても冷静に分析する立場から傍観してしまい,夢中になれなくなってしまってはいませんか? 時には割り切って、何も考えずに「子供」のように目の間のことに没頭したほうが、きっと毎日の生活がきらびやかになるはずです。

これに関連する話で、最近「さとり世代」という言葉が話題になりました。主に1990年代生まれの若者世代を指しており、非常に現実的で野心をもたず、ひたすら合理的に行動しようとする特徴があります。達観的に物事を見て、とにかく無駄なことを避けようとするあたり、まさに”現実を悟った”「さとり世代」なのでしょう。

しかし、このような冷めた若者たちを指す「さとり世代」的な言葉は、別に最近突然出現したものではありません。実は昔も似たような言葉があるのです。

たとえば1950年代生まれの「しらけ世代」と呼ばれた若者たち。高度背経済成長が終わった頃に成人した彼らは、何に対しても熱く成りきれない無気力の世代だと指摘されました。これはなんと半世紀も前の言葉ですが、現在と同じようなことが言われていたのですね。

要は結局いつの時代でも、若者が冷めているだの、野心がないだのといったことは、言われ続けているということ。さらに言えば、それを指摘するのはいつも大人なのです。

現在の若者たちが、本当に野心を持たず冷めきっているかどうかはわかりません。逆に、自分たちのことは棚上げして、「最近の若者は現実的で野心がない…」といつまでも愚痴をこぼしてばかりの私たち大人の姿勢こそ、まさに達観的で冷めているのではないでしょうか。

若者の野心のなさを指摘する前に、まずは今の自分が冷めていないか今一度振り返ったほうがいいでしょう。そうすれば、一番達観的で冷めきっているのは「大人」だったことに気づくはず。

冷静に分析する立場にあぐらをかくのはもう止めて、ときには思い切り目の前のことに身を任せてみましょう。「大人」の枷が外れた時、また子供のころのようになんでも本気で夢中になれるはずです。