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過疎地の「移動難民」救う、トヨタ・モビリティ基金

井上久男経済ジャーナリスト
筆者撮影:棚田が広がる岡山県の過疎地でトヨタ・モビリティ基金の活動は始まった

 一般財団法人トヨタ・モビリティ基金(理事長・豊田章男トヨタ社長)の存在をご存じだろうか。今のトヨタ自動車はEV戦略に出遅れ、ヒット商品も出ず、凋落傾向が見え始めているが、この基金の着眼点は鋭い。

 トヨタ・モビリティ基金は2014年8月、CSR活動の一環として設立された。国内では過疎地域の高齢者らの移動手段確保のプロジェクトの為に助成金を出している。基金の運営経費は、トヨタ株3000万株を信託運用することで年間数十億円を捻出する。地域の実情に合わせて「より多くの人の、より多くの場所への移動を実現」をモットーに助成している。

過疎地域にこそ「顧客」

 現在、自動車メーカーは自動運転の技術を競い合っているが、どこに顧客がいるのかを見定めていない面がある。メーカーの自己満足で開発競争に陥っている面は否定できないだろう。実は自動運転を求める顧客は、こうした過疎地域にいる。トヨタはCSR活動を通じたマーケティングをもっと意識しても良いのではないだろうか。

 同基金で国内助成1号案件となったのが、16年1月から岡山県美作市上山地区で始まった「中山間地域の生活・経済活性化のための多様なモビリティ導入プロジェクト」だ。筆者も取材に出向いた。約160人の集落を対象に地域の活性化のために移動手段構築を模索している。19年9月までに計2億2000万円が助成されるという。

 美作市は05年、近隣の5町1村と合併して面積は拡大したものの、人口は約28,000人と岡山県内で最も人口が少ない市だ。上山地区はかつて、8300枚もの棚田が広がっていたが、高齢化とともに耕作放棄地が増えていった。公共交通機関も週に2回、白ナンバーの市営バスの運行があるのみだ。

一人乗りEV「コムス」で試験

 一方、2006年頃から週末に農業を楽しむ人が都会から移り住むようになった。こうした人たちが地域住民の協力を得ながら耕作放棄地で稲作を始めたり、地域起こしの活動をしたりするようになった。その後、住民らが設立したNPOなどが同基金の受け皿になった。NPOを中心とするプロジェクトチームが、生活者のニーズを把握して生活実態に合った交通網の構築に向けて動き始めた。まずはトヨタ車体製の一人乗りの小型EV「コムス」を試験導入し、高齢者が使いこなせるかどうかを確認している。こうしたプロセスを通じて簡易型EVではどのような機能が求められるかなどを把握できるはずだ。

 

農業や林業向けEV

 同基金では16年3月、2号案件として愛知県豊田市足助地区への助成も決めた。この地区も上山地区と同様に高齢化が進む中山間地域で住民が満足する公共交通網がない。助成額は3年間で3億6000万円。名古屋大学未来創造機構の森川高行教授らと連携して、自家用車相乗りシステムや、バスの停留所と自宅間の「ラストワンマイル自動運転」などの実証実験をする計画だ。また、農業や林業にも利用できるように地域住民の意見を反映させて中山間地域に適したEVの仕様も開発する。

高齢者向けや中山間地域向けEVは市場のごく一部でしかないが、リアルに地方社会が抱えている課題を学ぶことで、社会の変化を肌で感じ、それを商品開発に活用できるという点で意義があるはずだ。

過疎地域における移動手段確保の対策には様々なビジネスチャンスが含まれる。「地域の足」の確保について全国的に注目されているのが兵庫県北部に位置する豊岡市だ。先進的なモデルとして全国からの視察も多い。

筆者撮影:移動難民を出すまいと、地域住民らがボランティアに近い形で運営する「合法的白タク」のチクタク
筆者撮影:移動難民を出すまいと、地域住民らがボランティアに近い形で運営する「合法的白タク」のチクタク

合法的「白タク」導入

 豊岡市が全国的に注目され始めたのは、運営形態が珍しい地域主体交通「チクタク」を11年から導入したからだ。「チクタク」は、路線バスや市営バスが廃止された地域で導入された交通網で、法的にも認められた「白タク」だ。市がワンボックスカーを、区長会などを中心とする地元組織に貸し出して運行を委託、地域住民がボランティアに近い形で支え合いながら運営している。

万が一の時の保険や事故対応は市が行う。一応ダイヤは組まれているものの、実際は地元のボランティア運転手が協力してタクシーに近い形で運用。買い物施設、病院、金融機関など生活インフラとして欠かせない場所を中心に運行されている。

宅急便を運ぶ路線バス

筆者撮影:少しでも収入を増やすためにクロネコヤマトの宅急便を運ぶ豊岡市を走る地元バス
筆者撮影:少しでも収入を増やすためにクロネコヤマトの宅急便を運ぶ豊岡市を走る地元バス

 このチクタクの導入で、地域での「見守り機能」も強化された。利用者の大半を占める高齢者の安否を地域全体で考える風潮ができたそうだ。また、移動手段を持たない高齢者が買い物にも出かけられ、病院にも行きやすくなった。家に閉じこもるだけでなく、外に出ることで社会とのコミュニケーションができ、心身の健康増進につながったという。17年秋からは豊岡市、大阪大、近畿大の3者が協力して運転手と利用者にタブレット端末を渡して効率的に配車できるシステムを試験導入する。

 このほかにも、豊岡市では17年6月から地元民間企業が運営する路線バスが収入を少しでも増やそうと、ヤマト運輸の宅急便を運び始めた。ヤマト運輸側にもセールスドライバーの過剰労働を減らすメリットがあるという。

 過疎地域は「移動難民」の問題で困っている。次世代向けの高度な研究開発はもちろん重要だが、自動車メーカーは、困っていることへのソリューションにこそ、ビジネスチャンスがあることを忘れてはいけないのではないだろうか。

経済ジャーナリスト

1964年生まれ。88年九州大卒。朝日新聞社の名古屋、東京、大阪の経済部で主に自動車と電機を担当。2004年朝日新聞社を退社。05年大阪市立大学修士課程(ベンチャー論)修了。主な著書は『トヨタ・ショック』(講談社、共編著)、『メイドインジャパン驕りの代償』(NHK出版)、『会社に頼らないで一生働き続ける技術』(プレジデント社)、『自動車会社が消える日』(文春新書)『日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年』(同)。最新刊に経済安全保障について世界の具体的事例や内閣国家安全保障局経済班を新設した日本政府の対応などを示した『中国の「見えない侵略」!サイバースパイが日本を破壊する』(ビジネス社)

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