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有機農業は時代遅れ? 欧米で「昔ながらの農業」が注目

猪瀬聖ジャーナリスト/翻訳家
カバークロップが植えられたブドウ畑(筆者撮影)

残留農薬に対する不安や、SDGs(国連が定めた持続可能な開発目標)への関心の高まりなどを受けて、日本でもようやく有機農業が広がる兆しを見せている。ところが、すでに有機農業の盛んな欧米では、現状の有機農業では人類に未来はないとして、「脱有機」とも言える動きが静かに進み始めている。

米議会で公聴会

米連邦議会の下院監視・政府改革委員会の環境小委員会は19日、「再生型農業」に関する公聴会を開いた。下院議員会館内の部屋とズームを使ったハイブリッド方式で開かれ、ミネソタ州の酪農家やミズーリ州の穀物農家、再生型農業に詳しい大学の助教授らが参考人として意見を述べた。

ロー・カンナ環境小委員会・委員長は公聴会の冒頭、地球規模で起きている気候変動が小麦やトウモロコシなど主要穀物の生産量の低下をもたらし、世界の食糧安全保障に脅威となっていると説明したうえで、「再生型農業は土壌の健康を取り戻し、水を豊かにし、自然の生態系を回復させ、二酸化炭素の排出量を減らし、農業の生産性を高めることができる」などと強調した。

さらに、再生型農業は人類が農業を始めてから今に至るまで何千年もの間、小規模な家族農業によって受け継がれてきた伝統農法だが、今日の農業が一部の大企業に支配されて家族農業が衰退した結果、継承が難しくなっていると指摘。家族農業を支え再生型農業を推進するための法案を提出する用意があることを明らかにした。

再生型農業(regenerative agriculture)という言葉は日本ではほとんど聞かないが、米国では最近、比較的よくメディアに登場するようになった。

痩せ衰えた土

再生型農業は突き詰めれば土の再生を意味する。

大半の農作物は土がなくては育たない。それも痩せ細った土ではなく、無数の微生物が住み、その働きによってミネラルなどをたっぷりと含んだ豊かな土でないと、よく育たないか、外見は立派でも中身が栄養価の低いものになってしまい、食べても必要な栄養がバランスよく補給できない。毎日お腹いっぱい食べても必要な栄養素が不足して体調不良になることを「新型栄養失調」と呼ぶが、その一因は、昔に比べて栄養価の低くなった農産物にあるとされる。

土の果たす役割は他にもある。土は豊かな森や林、里山を育み、生物の多様性に貢献してきた。雨が降れば川や湖、海に土の栄養分が流れ込み、水辺や水中の動植物にも恩恵を与える。さらに、大気中の二酸化炭素や窒素を取り込んで温暖化を抑制したり、水を蓄えたりするなど、地球環境の維持にも重要な役割を果たしている。

ところが、その大切な土が、20世紀後半ぐらいから急速にやせ衰えていく。第二次世界大戦後、人口爆発により食料不足への懸念が強まると、それに乗じて大企業が次々と農業に参入。生産性の向上や経営合理化の名の下、単一作物の大規模栽培を推進すると同時に、新開発した農薬や化学肥料を田畑に大量に投入し続けた。その結果、土中の有機物を植物が吸収できるミネラルに変えてくれる微生物や、土をふかふかにして丈夫な根を育ててくれるミミズ、害虫を食べてくれる益虫や益鳥など、様々な生物が各地の田畑から次々と姿を消していった。

すると必然的に、害虫駆除や土の養分補給のための農薬や化学肥料の使用量がますます増え、その影響は周囲の生態系全体に広がり、消費者の間にも残留農薬への不安が高まった。このあたりの話は、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』や有吉佐和子の『複合汚染』に詳しく描かれている。

揺らぐ有機農業への信頼

こうした工業化された農業(industrial agriculture)の弊害を解決するために期待されたのが、農薬も化学肥料も使わない有機農業(organic agriculture)だった。有機農業は20世紀末ごろから欧米諸国を中心に急速に普及し、米国では青果物の約15%が有機に置き換わっている。

だがやがて、現状の有機農業では農薬や化学肥料の弊害は防げても、土の再生はかなわず、持続可能な農業の推進につながらないのではないかという疑念が出始めた。有機農業は、農薬・化学肥料の不使用など決められた生産ルールを守りさえすれば、それ以外は特に手段を問わないからだ。最近は、特に米国で、政治力のある大企業の有機農業への参入に伴い生産ルールが緩和される傾向にあり、有機農業に対する消費者の信頼が揺らぐ事態も起きている。

例えば、米農務長官の諮問機関である全国有機基準委員会(NOSB)は2017年11月、無農薬・無化学肥料の水耕栽培で育てられたトマトやベリー類を有機と認める決定を下した。植物工場などで実践されている水耕栽培は「土と農業は不可分」ととらえる有機農業の哲学に反するうえ、照明や温度管理などで大量の資源・エネルギーを消費することから、持続可能な農業とは相容れないとして有機と認めることに反対する声が多い。

トランプ前政権時代には、遺伝子組み換え技術を使った農産物も有機と認めようとする動きが政府内で起きた。遺伝子組み換え農産物はその安全性をめぐり消費者の間で不安が根強く、現状では有機認証の対象になっていない。遺伝子組み換え技術はそれを開発した企業が特許を握るため、大企業による農業市場の寡占が一段と進むとの懸念も強い。

再生型農業が脚光

そこで脚光を浴び始めたのが再生型農業だ。再生型農業には、有機農業のような法的に決められた生産ルールや定義はないが、共通して見られる栽培手法がいくつかある。

ひとつはカバークロップ(被覆作物)の積極的な利用だ。畑にクローバーやマメ科の植物などを植えると、土壌の浸食が減り、保水力が高まり、様々な種類の益虫や益鳥が集まってくる。また、堆肥となって微生物やミミズなどのエサとなり、土を肥沃にする効果がある。種まき前に土を掘り起こさない不耕起栽培も特徴だ。カバークロップ同様、土壌の浸食を減らし、微生物やミミズ、クモなどの益虫を増やす効果があるとされる。輪作も奨励している。

地球温暖化の進行に歯止めをかける効果があるとされていることも、再生型農業が注目される理由だ。二酸化炭素の約300倍の温室効果がある一酸化二窒素は、化学か有機かにかかわらず、窒素肥料をまくと排出量が増える。土が健康な再生型農業なら肥料をそれほど必要とせず、さらに、マメ科などのカバークロップには窒素を取り込んで地中に閉じ込める働きがあるため、温室効果ガスの排出量を大幅に削減できるとみられている。

再生型農業は農薬や化学肥料の使用を必ずしも否定していないが、現実には、有機農業と再生型農業を組み合わせて実践する農家が多いようだ。

昔ながらの農業

再生型農業は地球環境だけでなく、人の健康にもよいとの研究報告も相次いでいる。米ワシントン大学の研究者などが、再生型農業で生産された農畜産物と、農薬や化学肥料を使った農法で生産された農畜産物を比較したところ、前者のほうがビタミンやミネラル類、抗酸化作用があるとされるファイトケミカルの含有量が総じて高かった。牛肉と豚肉の不飽和脂肪酸に関しても、再生型農業のやり方で肥育された家畜の肉のほうが体によいとされるオメガ3が多く、オメガ3とオメガ6の比率もより理想的だった。研究結果は今年1月、査読付きオンライン学術誌PeerJに掲載された。

欧州でも再生型農業が脚光を浴びつつある。欧州連合(EU)加盟各国の科学アカデミーで組織する欧州アカデミー科学諮問委員会は今年4月、再生型農業に関する分厚い報告書をまとめた。報告書は、再生型農業は、EUが2020年に打ち出した総合農業・食料戦略である「農場から食卓へ戦略」と「生物多様性戦略」の目標を達成するための有効な手段との見方が強まっていると述べたうえで、再生型農業を普及・推進するための具体策を提言している。

再生型農業は言い換えれば「昔ながらの農業」だ。農薬も化学肥料も使わずカバークロップを活用した「草生栽培」を実践している小規模農家は、日本にも多い。そうした昔ながらの農業が今、世界的に注目を浴びているのは、人類が何千年もかけて築き上げてきた自然と共生する農業のほうが、たかだか過去数十年の間に人間の浅識や欲の中から生まれた工業化された農業よりも様々な面で優れていることに、現代人がようやく気付き始めたということなのかもしれない。

ジャーナリスト/翻訳家

米コロンビア大学大学院(ジャーナリズムスクール)修士課程修了。日本経済新聞生活情報部記者、同ロサンゼルス支局長などを経て、独立。食の安全、環境問題、マイノリティー、米国の社会問題、働き方を中心に幅広く取材。著書に『アメリカ人はなぜ肥るのか』(日経プレミアシリーズ、韓国語版も出版)、『仕事ができる人はなぜワインにはまるのか』(幻冬舎新書)など。

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