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ゲノム食品「規制なき解禁」にトランプ大統領の影

猪瀬聖ジャーナリスト/翻訳家
バイオ食品の大幅な規制緩和を定めた大統領令に署名するトランプ大統領(写真:ロイター/アフロ)

 動植物の遺伝子を意のままに操作し、自然界には存在しない特質を持たせた「ゲノム編集食品」の解禁が決まった。消費者の不安が強い中、政府は、従来の遺伝子組み換え食品には義務付けている安全性審査を、ゲノム食品には課さないことを決めた。表示義務も見送る見通しで、消費者は見分ける術(すべ)を失うことになる。議論が拙速との批判も多い。性急な「規制なき解禁」は、なぜ起きたのか。

「なぜ拙速に結論を出したのか」

 「議論しなければならないことはまだたくさんあるのに、なぜ拙速に結論を出したのか」「(安全性に疑問を呈する)新たな発見がどんどん出てきている中、安易な結論ではないか」

 7月4日に政府が開いた「ゲノム編集技術を利用して得られた食品等に関する意見交換会」では、先に政府が決めたゲノム食品の販売ルールに関し、傍聴席の消費者団体やメディアなどから厳しい批判が相次いだ。

 意見交換会と言っても、2時間のうち質疑応答は最後の30分だけ。大半は、主催した厚生労働省、農林水産省、消費者庁の担当者らによる「情報提供」に費やされた。それでも、政府としては、一応、国民の理解を得る努力をした形となり、ゲノム食品解禁に向けた障害はなくなった。

ゲノムとは

 ゲノムとは、生物が持つ遺伝情報全体のこと。その遺伝情報を構成するDNAの一部を切断して特定の遺伝情報を破壊したり、切断した場所に別の遺伝子を挿入したりして生物の形質を変える技術が、ゲノム編集だ。

 遺伝子を操作するという点では従来の遺伝子組み換え技術と同じ。だが、従来の技術だと、意図した形質を発現させるのに何度も同じような実験を繰り返さなければならず、成功は偶然性に頼るところが大きかった。これに対し、最新の技術を取り入れたゲノム編集は、標的とする遺伝子の位置を最初からほぼ正確にとらえることができる。このため、短期間、低コストでの商品化が可能となり、ゲノム食品の開発に弾みがついた。

 日本でも、アミノ酸の一種でストレスを和らげる効果があるとされるGABA(ギャバ)の含有量を大幅に増やしたトマトや、筋肉を増強することで可食部分を2割増やした養殖マダイなど、様々なゲノム食品が開発中だ。

「議論の進め方に違和感」

 そうした中、厚生労働省は昨年9月、ゲノム食品の規制のあり方に関する議論を開始。今年3月に報告書をまとめ、ゲノム食品は原則、特段の安全性審査は必要なく、届け出だけで販売できるとした。しかも届け出は義務でなく任意。つまり、普通の食品と同じ扱いだ。

 ゲノム食品のうち、例えば細菌の遺伝子を挿入した穀物など、別の種の遺伝子を組み込んだものは、従来の遺伝子組み換え食品と同様、安全性審査が必要となる。しかし、現在開発中のゲノム食品は、そうでないタイプが大半とみられる。

 厚労省の結論を受け、食品表示を担当する消費者庁は6月、従来の遺伝子組み換え食品には課している表示義務を、ゲノム食品には原則、課さない方針を決めた。検査した食品から遺伝子の改変が見つかっても、それがゲノム編集の結果なのか自然に起きた突然変異なのか、科学的に見極めがつかないとの理屈からだ。

 政府はこれまで、遺伝子組み換え食品の表示や原材料の原産地表示など消費者の関心の高い問題は、内閣府の消費者委員会食品表示部会で時間をかけて検討し、ルール作りをしてきた。しかし、ゲノム食品に関しては、実質、同部会での議論を経ずに表示見送りの方針を決めている。

 5月と6月に1回ずつ部会を開いてゲノム食品を議題に載せたものの、委員の意見はあくまで参考意見扱い。委員からは表示義務の必要性を指摘する意見も多く出たが、結果的に無視された。ある委員は「ゲノム編集技術応用食品の表示のあり方についてじっくり議論する時間がないような感じで進んでいることに対して少し違和感を覚える」と発言し、「初めに結論ありき」のような議論の進め方に疑問を呈した。

 性急な「規制なき解禁」はなぜ起きたのか。その謎を解く鍵は、米トランプ政権が打ち出した、ある政策にある。

米国の政策転換

 6月11日、大統領再選の鍵を握る州の1つアイオワ州を訪れたトランプ大統領は、大勢の支持者が見守る中、1枚の大統領令に署名した。記事冒頭の写真はその時の様子だ。向かって右斜め後ろに立っているのはパーデュー農務長官、左端の女性はレイノルズ・アイオワ州知事だ。

 大統領令は、大統領が議会の承認なしに連邦政府機関に対し発することのできる命令で、政策実現の強力な武器だ。大統領令には通し番号が振ってあり、第1号は1862年のリンカーン大統領による奴隷解放令。トランプ大統領も、医療保険制度改革(オバマケア)の撤廃や環太平洋経済連携協定(TPP)からの離脱など、過去の政策を大転換する際、発令してきた。

 では、この日、トランプ大統領が署名した大統領令の中身は何だったのか。それは、バイオテクノロジーを利用して開発した、いわゆるバイオ食品に関する政策の大転換だ。バイオ食品とは、遺伝子組み換え食品やゲノム編集食品を指す。

 これらバイオ食品は、安全性に対する消費者の不安が強いことから、安全性審査を課すなど、開発や販売に一定のブレーキをかけてきた。そうしたブレーキ役を果たしてきた規制を可能な限り撤廃してバイオ食品の開発や生産をスピードアップし、一大産業に育てようというのが今回の大統領令の目的。つまり、規制重視からビジネス重視への方向転換だ。トランプ大統領は大統領令を通じ、農務長官、環境庁長官、食品医薬品局長官に対し、180日以内に過剰な規制を洗い出して対処するよう指示した。

 さらに注目すべきは、農務長官と外交トップの国務長官に対し、120日以内に、米通商代表部(USTR)などと協力しながら、バイオ食品の輸出推進のための戦略を確立するよう指示したことだ。同時に、USTRに対し、120日以内に、農務長官や国務長官と協力しながら貿易相手国の不公正な貿易障壁を取り除くための戦略を立てるよう命じている。名指しはしていないが、米農産物の大口輸入国である日本が貿易相手国に含まれるのは間違いない。

日本では報道されず

 実は、この大統領令は、日本では一切報道されていない。しかし、これほど日本にとって影響の大きい米政府の政策転換を日本政府が知らないはずはない。それどころか、正式な発令前に、情報を入手していた可能性もある。実際、厚労省や消費者庁の担当者の発言を拾っていくと、この大統領令を念頭に結論を急いだ節がある。

 例えば、厚労省の担当課長は5月23日の食品表示部会で、拙速な議論に違和感を抱くと述べた委員に対し、「米国では既にゲノム編集技術を応用した大豆が流通している可能性があると認識している。(日本に)いつ入ってくるかわからないような状況になっており、夏をめどに作業を急いでいるという状況だ」と答えている。

 事実、今年2月26日、米バイオベンチャーのカリクストは、ゲノム編集技術を使い、健康に良いとされるオレイン酸の含有量が多く、動脈硬化の原因となるトランス脂肪酸の生成量の少ない大豆油を開発し、発売したと発表した。既に米中西部のレストラン運営会社に納入し、店舗で、揚げ物用油やサラダドレッシング、ソースの原料として使用されているという。

 一米企業のために、消費者基本法に盛り込まれている消費者の「知る権利」や「選ぶ権利」をないがしろにしてまで、大慌てで食品の流通ルールを整えたとしたら、極めて異例だ。

 一方、消費者庁の担当課長も6月20日の同部会で、「表示ルールが定まっていないが故に、事実上流通できなくなるということは、消費者庁としてもできる限り避けたい」と強調。また、一般論と断りつつ、「日本だけガラパゴスルールをつくっても、他の国が全く違うルールだと、貿易等々の障壁にもなりかねない」と述べた。まるで大統領令の中身を知った上での発言のように聞こえる。

大統領への手土産?

 もっとも、ガラパゴスと言うなら、このままだと安全性審査も表示義務も課さない日本と米国がガラパゴスになる可能性も否定できない。欧州司法裁判所は昨年7月、ゲノム編集生物は従来の遺伝子組み換え生物に該当するとの判断を示しており、欧州連合(EU)では、安全性審査や表示の義務が課される可能性もある。

 世界の中でガラパゴス化するリスクを冒してまで、日本政府が規制なき解禁を一早く決めたのは、やはり安全保障や経済で多くを負っている米国からの、大統領令という無言の圧力を無視できなかったからと想像するのは、難しいことではない。

 一部報道によると、安倍首相は9月に米ニューヨークで開かれる国連総会に出席するのに合わせてトランプ大統領と会談し、日米貿易問題を話し合う予定という。再選のことしか頭にないとも言われているトランプ大統領にとって、農業票の獲得につながる農産物の輸出拡大は最優先課題の1つだ。ゲノム食品の性急な、規制なき解禁は、大統領を一瞬でもニッコリとさせる手頃な手土産だったのだろうか。

ジャーナリスト/翻訳家

米コロンビア大学大学院(ジャーナリズムスクール)修士課程修了。日本経済新聞生活情報部記者、同ロサンゼルス支局長などを経て、独立。食の安全、環境問題、マイノリティー、米国の社会問題、働き方を中心に幅広く取材。著書に『アメリカ人はなぜ肥るのか』(日経プレミアシリーズ、韓国語版も出版)、『仕事ができる人はなぜワインにはまるのか』(幻冬舎新書)など。

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