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多人数会食に虚偽答弁 菅首相や安倍氏がトランプ氏同様欠如しているモラル・リーダーシップとは何か?

飯塚真紀子在米ジャーナリスト
(写真:つのだよしお/アフロ)

 菅首相の“8人ステーキ会食”に、市議によるコンパニオンを交えた忘年会、橋本聖子五輪担当相の“6人高級寿司会食”等々、コロナ禍、リーダー層にある人々のモラルに問題が見出されている。

 安倍前首相も、「桜を見る会」前日の夕食会の費用補填問題で118回“虚偽答弁”していたことが判明、同氏は会計処理について知らなかったと釈明し、「道義的責任を痛感している」と述べた。

 もっとも、リーダー層にある人々のモラル問題は、日本に限ったことではない。欧米でも、リーダーのモラルの欠如は見られる。その最たるリーダーはトランプ氏だ。同氏はポルノ女優と関係を持って口止め料を支払ったというスキャンダルやロシア疑惑、様々な人種差別発言など、とてもモラルがあるリーダーとは言えない言動をしてきた。

モラル・リーダーシップとは

 国のリーダーがモラル問題を抱えているからか、アメリカでは近年、“モラル・リーダーシップ”という考え方が、ビジネスの世界や政治の世界で注目されている。

 “モラル・リーダーシップ”とは、モラルを基盤にし、モラルにコミットして指導する力のことだ。具体的にはどんな指導力が重視されているのか?

 アメリカの大統領についての著書『The Glory and the Burden: The American Presidency from FDR to Trump』を上梓したノートルダム大学教授のロバート・シュムール氏によると、公人に求められる“モラル・リーダーシップ”には、真摯さや誠実さ、人々を鼓舞する力、人々の気持ちを理解する共感力、人々に勇気を与える力などが求められるという。このような“モラル・リーダーシップ”を発揮すれば、信頼を基盤にした政治を行ってビジョンを構築することができるというのだ。

 同氏は、また、“モラル・リーダーシップ”を発揮するには、模範的な存在になることも必要だと指摘し、所属政党によらず、大統領は国民がリスペクトするようなロールモデル=模範にならなければならないと訴えている。

良いロールモデル=模範になる必要性

 実際、クイニピアック大学が2019年に行った大統領に関する世論調査によると、90%の人々が「大統領は子供たちの良いロールモデルになることが重要か?」という質問にYESと回答した。

 また、同じ世論調査の中で「トランプ大統領は子供たちにとって良いロールモデルだと思うか?」という質問も行れたが、その結果、米国民の72%が「トランプ大統領は良いロールモデルはない」と回答した。しかも、共和党支持者でさえ、その37%が同氏は良いロールモデルではないと回答したのだ。

 同大学は2018年に行った世論調査の中で「トランプ大統領は米国に“モラル・リーダーシップ”を提供していると思うか?」という質問も行ったが、63%の人々が「提供していない」と答えた。

 そんな世論調査の結果を目にしながら自問した。 

 もし今、同じような世論調査を日本で行ったら、つまり、「菅首相は子供たちにとって良いロールモデルであると思うか?」と国民に問いかけたら、どんな結果が出るだろうか? その結果は、ここに書くまでもないだろう。

 いや、菅首相はロールモデルになることはできるかもしれない。しかし、首相がなれるとしたら、それは反面教師という点でのロールモデルではないか。

ニューサム州知事のリコール運動も

 もっとも、コロナ禍の中、反面教師になっているリーダーは日本以外の国でも散見される。カリフォルニア州のリーダーであるギャビン・ニューサム州知事は、11月、参加費用が1人1,200ドルもするフランス料理店で行れた誕生パーティーに参加、しかも、そこではマスクをつけていなかったことが判明して批判された。

 今、同州ではニューサム州知事を解任させようとするリコール運動も起きており、これまでのところ、リコールのための住民投票を行うのに必要な署名数約150万票の半数以上が集まっている。それだけ、米国民はリーダーのモラル違反に厳格なのだ。

 リコール運動のアドバイザーは「たくさんの署名が集まっている。人々はリコール運動に共鳴している。権力者の傲慢さは問題だ」と訴えている。

 確かに、市民には感染予防を強く訴えておきながら、自己には甘いリーダーたちの偽善的な振る舞いは、市民から特権階級意識の現れとみられても仕方がないだろう。

共感力や思いやりのあるリーダー

 また、“モラル・リーダーシップ”という点では、近年、リーダーに共感力や思いやりといった特性が求められているという。そんな特性が高く評価されているのが、ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相だ。アーダーン首相は去年3月、クライストチャーチでイスラム教のモスクが白人至上主義者に銃撃されて51人が死亡する事件が発生した際、イスラム社会の人々を思いやり、信仰や民族の垣根を超えて人々が結びつく重要性を訴えた。

 一方、菅首相は、残念ながら、共感力が欠如していると海外メディアは報じている。確かに、ステーキ会食への参加は、国民の気持ちを理解することができず、空気も読むことができなかった振る舞いとしか言いようがない。(詳しくは、筆者が現代ビジネスに寄稿した「菅総理は「空気が読めない」「能力に疑問」「闇内閣だ」…海外メディアからの“痛烈バッシング”が始まった!」をお読み下さい)

政治にモラルが求められているのか?

 しかし、果たして、日本ではどれだけ政治にモラルが求められているのだろう。そもそも「政治家というものは汚いものだ」という通念も昔からあり、国民も、欧米の人々ほどにはリーダーたちにモラルというものを求めていないふしさえ感じられる。政治家だから仕方がない、政治家はそんなものだよ、そんなあきらめ意識もあるのではないか?

 また、政治家も抗うことがない大人しい国民に甘えているのではないだろうか? 政治家と国民がお互いに甘え、許し合っているような状況があるように感じる。一方、アメリカでは国民がリーダーの過ちを許さない。前述のように、ニューサム州知事については解任させるための署名運動も起きている。

 政治家と国民がお互いに甘えあっている状況では“モラル・リーダーシップ”はいつまでたっても育たないだろう。

 菅首相をはじめリーダー層にある人々は“モラル・リーダーシップ”を養って行く努力をし、国民やメディアはそれを厳しくウオッチしてもっと声をあげる必要があるのではないか?

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在米ジャーナリスト

大分県生まれ。早稲田大学卒業。出版社にて編集記者を務めた後、渡米。ロサンゼルスを拠点に、政治、経済、社会、トレンドなどをテーマに、様々なメディアに寄稿している。ノーム・チョムスキー、ロバート・シラー、ジェームズ・ワトソン、ジャレド・ダイアモンド、エズラ・ヴォーゲル、ジム・ロジャーズなど多数の知識人にインタビュー。著書に『9・11の標的をつくった男 天才と差別ー建築家ミノル・ヤマサキの生涯』(講談社刊)、『そしてぼくは銃口を向けた」』、『銃弾の向こう側』、『ある日本人ゲイの告白』(草思社刊)、訳書に『封印された「放射能」の恐怖 フクシマ事故で何人がガンになるのか』(講談社 )がある。

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