「私たちは歴史に服従させられている」香港人監督が語る「中国」と「民主主義」、そして「罪悪感」
香港民主運動を軸に、文化大革命、香港返還、天安門事件、雨傘運動、2019年デモなどを描き、香港人のアイデンティティの葛藤と向き合った映画『Blue Island 憂鬱之島』の上映が全国各地の劇場で続いている。
香港では中国の習近平政権からの圧力を受け、約束されていたはずの「一国二制度」は完全に崩壊、表現に対しても様々な規制がかけられている。
そうした中、香港に残り、映画制作を続け発信を諦めない、チャン・ジーウン監督が来日。香港人から見る「中国」の存在や、民主主義と資本主義のジレンマついてインタビューした。
堀)
「雨傘運動」を描いた2016年公開の前作「乱世備忘」から、時間をかけ完成に至ったこの作品ですが、まず、2022年のこのタイミングで公開する意義についてどう感じていますか?
チャン監督)
2019年を経て、この2〜3年の間で、香港では沢山の事が起きました。政府による民主運動への弾圧は厳しくなり、国家安全維持法(国安法)をはじめ、沢山の制限の中でこの作品を世に放つことができて、それ自体に大変意義があると思っています。この映画の中では、過去の香港の出来事を数多く描いていますが、2019年の映像を振り返るだけでも香港がどれだけ大きく変わってしまったのかを確認することもできます。
堀)
今、世界は「分断」の真っ只中にあります。香港での弾圧も「分断」を象徴する出来事の一つです。私たちはどのようにこうした「分断」を乗り越えていくべきか、監督はどう思われていますか?
チャン監督)
分断と言うとやはり2014年の「雨傘運動」です。当時私は「乱世備忘」という映画を撮っていました。その頃から今に続く「分断」が始まっているように思います。一方で、自分の中で香港にとっての最も大きい「分断」は1997年の香港返還だったのではないかと思っています。
堀)
どうしてそう思いますか?
チャン監督)
1997年の返還にどのような「分断」を感じたのか。まず、主権が変わったことが最も大きいと思います。植民地時代のイギリスから中国へ。返還とは言いますが、別の植民地になったように思います。同じ民族、中国人として返還されたのであれば、自分達で自主的にこの場所を変えられると思っていました。しかし、それは叶いませんでした。そこに落差を感じたのです。私は1987年生まれなのですが、1997年の返還を振り返ると、その「落差」こそ様々な人たちの分断を招いたと思っています。
堀)
映画の中では、かつての民主運動家がその後キャリアを積み経済人になって今の若者と向き合うシーンが描かれています。私が自身の映画制作などで追ってきたテーマに重なるメッセージを感じました。「民主主義が経済によって分断されていく」という点です。イデオロギーよりも経済システムが人々を分断しているのではないか、という思いもあります。監督はどう思いますか?
チャン監督)
2014年の雨傘運動、2019年のデモを経て、その時に参加していたみなさんはすごく若くて、数ヶ月で世界を変えられると思っていたかもしれない。しかし実際には変えることができなかった。そこに対して落差を感じつつも、そこから実際に20年、30年と生きていく中で自分達がどうするのかが問われます。映画ではビジネスマンの方だけではなく弁護士の方も出てきた。世界は変えられなかった、でも弁護士を続けている。その後の20年、30年が一番苦しかったのではないかと思っています。
2019年のデモに参加した若者たちは、20年、30年後の自分をどうイメージするのか。このまま香港に残るのか、移民となるのか、もしくは香港に残るのであればどうキャリアを築いていくのか、それぞれの選択があります。
そうした中、共通しているのは「罪悪感」が残ったままになるということです。海外へ移り住み自由を少し手に入れたとしても、日常的に「罪悪感」を抱えたまま生きていけるのか。「罪悪感」は決して消えることがないということをこの映画の中でも表現したかったのです。
堀)
経済的に豊かになれるのであれば、ある程度自由を犠牲にしても構わない、豊かになれるのであればある程度、権力に従うのはしょうがないことだ、そういう声を聞くと私はとても残念な気持ちになりますが理解もできます。中国政府の統治のあり方は、まさに人々に経済的豊かさを提示して自由を制限するようなやり方をしています。監督はどのように感じますか?
チャン監督)
民主主義というのは制度の話だけでは終わりません。政治的に覚醒することや、個人が色々なことに関心を抱くこと、精神的な部分が大きいと思っています。私が思う「民主的に良い状態」というのは、例えば、良くないことに対して声を上げていること。これが大切で、特にこの10年くらいは声を上げることへの弾圧など、世界中で様々なことが起きました。民主主義は後退することもあると思います。だからこそ、後退させない為に多くの人たちが声を上げなくてはいけないと思っています。民主主義はゴールではなく、スタートではないでしょうか。
特にこの10年、香港は厳しい状態に陥っています。一人一人がお互いを尊敬しあって民主主義を求め声を上げてきました。しかし、香港には未だに制度としての民主主義がありません。政府からの弾圧にさらされ続けています。それでも諦めない香港人の精神というのはとても強いものを感じます。民主主義はこうあるべきだという「精神的な気持ち」が一人一人の中で高まっています。しかし、制度が実現されない限りは、香港での民主主義の達成は難しいと思っています。
堀)
2019年のデモを取材している時にも、香港現地から日本や世界の民主国家へのSOSが盛んに送られてきました。しかし、日本政府として、日本の財界として、中国政府に対して、香港の自由を保障し、約束するような強い姿勢は見られませんでした。貿易相手国としての中国の存在が大きかったのかもしれません。監督の目にはどのように写っていますか?
チャン監督)
かなり難しい話ですが、日本だけではなく世界のあちらこちらの国で「経済発展優先」という考えが目につきます。経済人のみならず、映画人も同じです。上手に発展していきたいと思いつつ、中国市場に入ってきたいという願望もある。そういう人たちは「中国市場に入る=自分が信じている価値観を捨てなくてはいけない」というのをわかりつつも入っていきます。天秤にかけると失うものが大きいということをわかっていながら入っていく人たちなど、さまざまです。
例えば、発展途上国は中国の力を借りないといけない、それは仕方がないことだと思っています。中国の力がないと政策がないと国として成り立たない、そうした国に関しては仕方がないと思いますが、日本であったり、アメリカであったり、先進国ではそういったビジネスを選ぶよりも価値観の方を大切にしていただきたいと思っています。誘惑に負けずに、自分達が持っている民主的な価値を大切に進んでいってほしいなと思っています。
堀)
今回の映画では、今を生きている若者がかつての運動を演じることによって自問自答するシーンが入っています。どうして、若者たちに天安門事件や文化大革命の時代を演じさせたのですか?
チャン監督)
再現映像を作ることによって、僕たちの記憶を蘇らせたいと考えたのがきっかけです。僕は天安門事件の時に2歳、若者たちは生まれてもいない。再現することによって、自分達の記憶、または香港の記憶があっているのか、間違っているのか、もしくはこうではなかったのにこう思っていたという誤解や思い込みを再現することによって理解したいというのが狙いです。
なぜ役者たちに2019年のデモに参加した若者たちを選んだかというと、彼らが体験したことと、過去の運動に参加した人たちが体験したことは似ているのではないかと感じていたからです。
「歴史が彼らを服従させていった」ように感じていたので、あえて彼らを選びました。
「歴史が服従させている」というのは、移民を選んだり、法廷に立ったり、デモが終わった後の脱力感というそれぞれの体験や経験が、その当時の人たちの感情と重なるのではないかと思い、敢えて選びました。
特に出演者の人たちも、演じることによって、20年後、30年後の自分を想像できたかもしれない。そう人になりたい、またはなりたくないと思うかもしれない。そうした様子を通じて、人々が歴史によって服従させられている様子を伝えたかったのです。
堀)
彼らは演じていく中で、実際に変化していきましたか?新たな気づきなどを得ていましたか?
チャン監督)
本当は出演者の人たちは、時代や体験による、そもそものアイデンティティには違いがあるんですよね。お互い違うアイデンティティを持つ人が演じることによって、過去を見ている、未来を見ている、それぞれが繋がっていく。お互いを見ようとする。互いの理解を促す行為でした。
映画で演じたことによって、若者たちの考えが変わることはないかもしれませんが、多くの角度から物事を見る経験ができたのではないかと思っています。実際に演技に参加した若者たち4人のうち、2人は逮捕されてしまいました。余裕は決してなかったかもしれないですが、そうした中でも、様々な自分の未来を考える機会になっていれば嬉しいなと思っています。
堀)
出てくる登場人物の中には、僕自身も取材でお世話になった香港人の方もいて、そうした方々が獄中にいるのかと思うと胸が苦しいし、痛みを感じます。監督自身もこうして映画を制作し発信するというのは、これからの人生を危険にさせる。つまり、リスクがあるわけですが、それでも発信を続ける理由は何ですか?
チャン監督)
私は香港に関することでしたら、その記録をドキュメンタリーとして撮り続けたい。「乱世備忘」の頃から、こうして小さなカメラを持ってどこへでも向かって撮り続けてきました。特に自分が学生だった時、映画監督としてデビューしていない時には、将来は商業的な映画をとる監督になってしまうのかなと思っていましたが「乱世備忘」を撮った時から、私はドキュメンタリーで香港の変化を取り続けるんだと決心しました。
そういうふうになりたくないというか、ドキュメンタリー映画を以前は制作していたけども、その後商業的な作品を撮るようになってしまう人も多いのですが、僕自身はドキュメンタリーで香港を記録し続けていきたいという思いを強くしてきました。
その一方で、香港の状況はどんどん厳しくなっていくわけです。国家安全維持法が施行され、さらに映画への検閲も少しずつ増え、厳しくなっています。本当の香港、まさに「今の香港を撮る人がいない」というくらいの状態なので、それが自分の使命だと思っています。
堀)
使命というのは、責任ということですか?
チャン監督)
やはり「責任」もあるし、この場所に対する「情」もあります。自分が香港人であるからこそ、香港を撮りたい。アイデンティでもあるので。
堀)
香港人のアイデンティティを言葉にするとどのようなものになりますか?
チャン監督)
僕でいうと、1987年生まれ、イギリス植民地時代に生まれました。私が受けた教育は、愛国教育まではいかないけれど「あなたは中国人ですよ」という教育を受けてきました。しかし、この10年位の間で、香港では様々な運動が出てきたのです。
その中で「香港本土派」という違うアイデンティが生まれたりもしました。香港人のアイデンティティは面白いと思います。コロコロ変わっていくんですよね。教育であったり、政治であったり、その時々でコロコロと変わっていくことがあるので、香港人のアイデンティティはとても面白いものだと思っています。
映画の最後に出てくる、香港とは何か?という問い。香港は自由な場所で素敵な場所だと思ってきたのですが、2019年を経てから自由ではなくなってしまいました。香港を出て行った人もいます。そうした中で、自分は香港人なのか、アイデンティティを考えることがすごく難しくなってきたと思っています。
映画の結論としては、香港人というのは、例え香港に住んでいなくても、どこへいても香港人なのではないかと思っています。
堀)
ウクライナにいる香港人や、日本にいる香港人の皆さんと共にニュースを伝えることもあります。香港の民主主義は日本の民主主義にとっても大切なことだと思っています。香港人の若者に教えてもらったのは、「自分の自由というのは、誰かの自由が保障されていて初めて存在しているもので、自分だけが自由ということはあり得ない。だから、誰かの自由が脅かされているのを見かけたら、自分の自由が脅かされているのだと思って一緒に声を上げてほしい」と教えてくれました。感謝を伝えたいです。
堀)
映画の中では、四川大地震の視察で、現地を訪ねた香港人と中国人の交流も描いています。なぜあのシーンを?
チャン監督)
すごく面白い質問ですね。特に中国本土のことについて、香港人が「私は中国人だ」というアイデンティティが高まった時というのが、2008年でした。北京オリンピック。その次が四川の大地震の時でした。香港人が「私は中国人だ」と意識することが目立った年です。私の友人や知り合いも、四川の大地震があって現地に支援に入ったり、沢山寄付もしたんですよね。
でも今、若者たちの間には「本土派」、「自分は香港人だ」と言って中国と切り離すようなアイデンティティも出てきたので、2008年の交流が矛盾に感じたりもしたのです。
「僕は中国の中の香港人だ」、もしくは「僕は中国人だ」、もしくは「僕はただの香港人だ」という、そうしたアイデンティティが混在しているのが、今の香港なんですよね。
四川の復興は、今まで香港が手伝ってきたのですが、今となっては、プロパガンダだったのかと感じたりもします。
堀)
覚醒していない日本人も多いです。民主主義とは何か考えていない人も少なくないと思っています。監督はどのようにこの映画を見て欲しいですか?
チャン監督)
この映画には、香港の歴史だけではなく、描き出している価値観、経験がいろいろな国の出来事にも重なる部分があると思っています。個人への弾圧であったり、ジェネレーションギャップをどのように繋いでいくのかであったり。香港だけではない問題をどう考えていくのか、そこをぜひ見てほしいです。
2019年の香港のみならず、ウクライナであり、ミャンマーであり、戦争や弾圧で人々の命が奪われている現状があります。うした問題に対してどう向き合うべきなのか、小さな香港を舞台に凝縮したシーンを作品にしました。この世界の皆様に向けて、人間としてこれからの未来への提言をしていますので、ぜひ見ていただきたいです。
堀)
監督自身が国安法の摘発対象になってしまわないか心配です。その辺り、どう自覚していますか?
チャン監督)
僕が対象になっているかどうか正直わかりません。国安法は基準がわからない。誰が引っ掛かっているのか明確な基準がないので、わからないんdねす。メディアであったり、記者、学校の先生、弁護士、国安方で逮捕されているひとが大勢います。いつか今度は僕の番になるかもしれませんが、気をつけながらも恐怖に怯えてはならない。冷静になりながらも、物事に冷たくならない、そう心がけています。権力というのは、人間を腐敗させる一つだと思っています。この瞬間も、権力を抱え続けようという人は僕はどうお話をすればいいのかわからない。そういう人たちは腐敗していくだけだと思っています。
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