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ソーシャルネットワークサービス(SNS)の終焉は間近?

小川浩株式会社リボルバーCEO兼ファウンダー。
(写真:アフロ)

Facebookから十代〜二十代の若者の姿が消えて久しい。

スマートフォンが普及し、いつでもどこでもインターネットに接続できる手軽さがほぼ全ての人に行き渡ったというのに。Facebookは (今や世代を問わず最も普及している和製英語の一つである)"SNS" の代表格として、まるで黒船のように日本に上陸したのは2008年頃。抵抗勢力として踏ん張ったmixiをあっという間に駆逐して、我が国においてもSNSの王者となったはずが、いまでは 体面を整えたい中高年のための遊び場と化してしまった。

Instagramを買収していなかったらFacebookの衰えはもっと激しかったかもしれない、と思うと、マーク・ザッカーバーグにはやはり先を読む力が備わっていたのだろうなと思うが、そのInstagramでさえ、最近ではTik Tokやsnapの後塵を拜し、若い世代から飽きられつつあるというから、この世界においては 栄枯必衰の理というものが確実に存在するらしい。

Facebookから若者が逃げ出した理由はさまざまなものがあると思うが、要は、大人、もしくは“おじさん”(この場合は性別は関係なくて、いわゆるおばさんも含む)が場を荒らして若者が去る、という流れを繰り返しているといえると思う。

実名での登録がマストであるFacebookの、実社会と変わらぬ息苦しさを多くの人が嫌った、という言い方をする人もいて、実際 匿名性であるTwitterは多くの若者を取り込み続けているようだが、本質的な要因はそこではない、と僕は考えている。

SNS に限らず、全ての人気商品や場というものは、大人と若者の共存が甚だ困難なのだ。激しく炸裂するようなロックは若者の音楽であって、大人はメロウで穏やかなジャズに流れる。(もちろんジャズ好きの若者はいるし、ロックにハマる大人もいる、あくまで例えであり一般論だ)

Facebookとは(実名制による特質はおいて)記事リンクやテキスト、画像などをシェアする総合サービスだが、基本的には静的な情報コンテンツ、というか、オピニョンの共有を主体としている。Twitterは共有されるコンテンツの形式はFacebookに近いが、より反射的で短絡的であり、結果として発信されるコンテンツは、Facebookに比べて刺激性を残りやすい。

これらのサービスにおける最大の特徴は、大人(≒おじさん)でも入りやすいということだ。大人はその年齢や所属する社会に相応な意見と表現力を持ち、FacebookやTwitterで情報発信することが可能だ。そしてクリエイター向けに作られたというnstagramは綺麗な画像を共有するサービスだが、これまた大人が入り込みやすい。綺麗な風景や料理などのシェアが中心であれば、大人の感性で写真を撮りあげまくる大人は多いだろうし、美しい女性の自撮りが増えれば、今度は加工アプリで女装してくる男が入り込んでくる。

読む・見るが中心の受動的な鑑賞者に留まっていていればまだしも、積極的にコンテンツを配信する発信者としての振る舞いは、少数であれば全体に受け入れられても多数派となれば、生態系を荒らす侵略者と変わらない。結果として大人を避けて、若者は若者の専用の場に移っていくのである。若者は踊りや音楽、ナンパなどを目当てにクラブに出向くだろうが、大人が行くクラブは(アクセントでけなく)全くの別物である。若者が欲する刺激は大人には強すぎるかもしれないいし、大人が好む安寧は若者には退屈なだけかもしれないのである。

その意味で、TikTokは、少なくとも現時点は若者の場としての立ち位置を外していない。短動画のシェアサービスとして人気を博す同サービスだが、基本的に自撮りを軸としているゆえ、大人が入ってきづらい、少なくとも鑑賞者として サイレントマジョリティ的なユーザーにはなれても、自らコンテンツを作成する発信者にはなりづらいだろう。正直おじさんが下手くそなダンスを披露されても見る気にはなれない(ユニークさで一発目や二発目はウケるかもしれないが、それを続けられるだけのセンスや根気を持っている人は稀だろう)

同じ意味で、snapもしばらくは若者専用のSNSの立ち位置を守り続けられるかもしれない。

とはいえ、TikTokもsnapも、いずれはユーザー層拡大の誘惑に駆られて、大人でも楽しめ、入り込みやすい機能を加えてしまわないとも限らない。大人(おじさん)ユーザーが増えてくれば、若者は逃げ出す。そのことをうっかり忘れてしまうというか、見過ごしてしまうかもしれない。

TikTokは、提供企業が中国系ということで政治的なリスクを抱えているが、そもそもFacebookも大学生を対象とした、若者向けサービスとして立ち上がったことを忘れてはならない。大学生ユーザーを全て取り込んでしまえば成長が止まる、成長の次は成熟があるはずなのだが、より大きな成長を求めた結果(それには成功したけれども)ネット好きのおじさんしか残らないサービスになってしまった。

TikTokもsnapも、成長が止まれば同じ問題にぶち当たる。そのとき彼らがどのような解決策を見出すかはわからない。

ただ、一つ言えることは、未だかつて、若者と大人が完璧に融けあうようなサービスやプロダクトを生み出した企業はない。それはSNSのように新しい世界であっても同じことだ。水と油のように完璧な乳化を求めることは恐ろしく危険な行為だ。

彼らがデッドエンドに当たったとき、SNS全盛のように見える世の中は大きく変わる。どのように変わるかは今の時点では読めないが、あと数年で、その結果は現れるだろうと思われるのである。

株式会社リボルバーCEO兼ファウンダー。

複数のスタートアップを手がけてきた生粋のシリアルアントレプレナーが、徒然なるままに最新のテクノロジーやカッティングエッジなサービスなどについて語ります。

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