村田諒太敗戦の戦犯は彼のセコンドであることをなぜ誰も指摘しないのか

村田諒太が負けたのは手を出さなすぎたため。それ以外はない。

5月20日に行なわれた村田諒太とアッサン・エンダムとのWBAミドル級世界タイトルマッチにおいて、村田諒太が”予想外”の敗戦を喫したことが大きな話題になっている。そのほとんどは、この敗戦が”誤審”もしくは”八百長”である、という声だ。

しかし、僕はこれに断固として反対する。あの試合は、村田諒太があまりに手を出さないことによって多くのラウンドを失った結果であり、それ以外の何物でもない。妥当な判定である。

エンダムの手数≒攻勢を評価するか、村田の圧力を評価するか、という二点において、もちろんジャッジする人間の心理やボクシングというゲームに対する考え方によって、多少のブレがあることはいうまでもない。また、ジャッジ(=審判)3名のうちエンダムの勝利と判定した2名のジャッジが、エンダムに肩入れする、もしくは日本人である村田諒太を快く思っていなかった可能性はもちろんあるだろう。

だとしても、僕はエンダムの優位と評価したジャッジがボクシングあるいはタイトルマッチを冒涜するような誤審をしたとは思わない。

エンダムの勝利がコールされた瞬間、「ああ、やっぱりな。村田、あまりに手数が少なかったからな」と僕はため息をついたのである。

じゃあ、なぜ村田諒太は全ラウンドを通じて、あれほどパンチを出さず、消極的だったのか。僕に言わせればそれはコーチまたはセコンド陣営のミスだ。

もっと手を出せ、ジャブを出せ、一発に頼るな、連打で相手を圧倒しろ、打たれたら打ち返せ、相手より先に手を出せ、当たらなくてもいいからとにかくジャブを出しておけ

こう言っておけば、素直な村田諒太は指示に従っただろう。そしてその通りやっておけば、村田は圧勝していたはずだ。

逆に言えば、そうセコンドが指示してなかったからこそ村田は負けたのだ。

Yahoo!個人で三浦勝夫 (ボクシング・ビート米国通信員)が掲載した記事で「村田諒太の不可解判定にエンダムのトレーナーが反論 」しているように、あの試合において”村田はあまりに手数が少なかった”という一点で負けた。エンダムのトレーナーは至極真っ当な事を言っている。村田は手数を出さないから消極的と判断されたのであり、手を出していれば勝てた。もっと手を出してさえいれば、あるいはちゃんと追い詰めてKOしていていれば、それで快勝・ベルト奪取という結果につながっていた試合だった。つまり、僕から言わせれば、村田諒太のセコンド陣営が「もっとパンチを出せ」「ラウンドを支配しろ」「KOしろ」「せめてもう一度ダウンさせろ」と指示出していれば、村田は勝っていた。彼のセコンドたちが重大な戦略ミスを犯したから負けたのであり、敗戦の責任は彼らにある。

僕が不満なのは、日本中でなぜ誰も村田諒太のコーチやセコンドたちの判断ミスを責めないのか、ということだ。野球やサッカーで言えば監督がヘボだから負けたら監督を責めるだろうが、なぜ村田の”消極的な”戦い方を正して、ポイントをもっと積極的に取りにいけと指示しなかった彼らの判断ミスこそが敗戦の理由だと、考えないのだろう。

そこに気づかずして誤審だ八百長だと騒いでいることには、なんの反省もないし、今後も同じようなミスを犯すことになる。非常に危険な兆候だと思う。

第1ラウンド、村田が放ったパンチはわずか1発・・

もう一つ、ボクシングを知らない人が間違いやすいのは「ダウンよりも手数の多さを評価するのはおかしい」という言い草だ。確かに柔道や剣道などの日本の武道ならば、全体的に攻勢で優勢であったとしても、技有りや有効などのポイントをとったほうを勝ちとする。優勢点より、明確な技によるポイントを重要視するというルールになっている。

しかし、ボクシングは違う。ダウンは単にそのラウンドにおける10対8にすぎない。試合全体には影響を及ぼさず、他のラウンドには関係がないのだ。つまり、全12ラウンドで、初回にダウンを奪ったとしたら10対8。その後全てのラウンドで手を出さずに相手の積極性が認められたとしたら(つまり相手が10対9で11ラウンド分ポイントをとったら)9ポイント差で負けるのである。

現在のボクシングのルールにおいて、10対10、つまりイーブンというポイントの付け方はなく、必ずどちらがとったかを決めなければならない。ダウンを奪うかダウンしそうなくらい追い込めば10対8、2度ダウンを奪うか、ダウンをさせたあとでさらにダウンしそうなくらいに追い込めば10対7。どちらもダウンしないしダメージもない場合は、手数の多さか有効打の多さで判断してどちらかに10対9をつける。

このルールの違いを知らないから、なぜダウンをとったほうが負けなんだ!と怒る日本人が多いのだ。

村田諒太は第1ラウンドで放ったパンチはわずか1発。これではポイントはエンダムに与えられる。少なくともダウンを奪った第4ラウンドまで、3ラウンド連続してエンダムは村田を手数で圧倒していたので、第4ラウンド(このラウンドは村田の10対8)を終了した時点でエンダムが1ポイント有利だった。

その後も村田は手を出さず、確かに有効打はエンダムより多かったが、それでも残り8ラウンド中少なくとも5ラウンドは10対9をとられていてもおかしくなかった。となれば、エンダムの勝利と判断してもおかしくはないのである。

ルールを熟知して利用し尽くす狡さを日本人は持たなければならない

今回の村田諒太敗戦問題は、実はボクシングを超えて、いろいろな業界における日本人が陥りやすいメンタリティ上の問題点を示唆している。

僕が思うに、エンダム陣営はボクシングのルールを熟知し、ダウンを奪われた後、2度目のダウンを奪われないように距離をとるために脚を使い、手を出して攻勢点を取ることでラウンドを支配することに集中する戦略をとり、それをやり遂げた。

村田陣営は無邪気に一度のダウンによる優勢を信じて、エンダムを倒すことを怠って消極的になったこととでポイントを奪われた。これはボクシングのルールをきちんと理解していなかったということだし、ミドル級という日本人にとって非常に高いハードルを越えようとする挑戦者としての勇気や積極性を持ち合わせていなかった、ということだ。

ボクシングのポイントの付け方は、武道の勝敗の付け方とは明らかに違う。それをおかしいと言ってもしょうがない、我々ができることは、その時点のルールを熟知して、それを利用し尽くして勝つことだけだ。

同じことは世界経済における最近の日本企業の積極性のなさにも伺える。例えば自動車業界において、世界はいまや完全にEV(電気自動車)に舵を切り、これまでの日本のお家芸であったHV(ハイブリッド車)はエコカーとして認定してもらえなくなったので、無用の技術になってしまった。本当であればどんな技術であっても燃費が良い方をエコとするべきだと思うが、ルールはルールである。

このEV戦争において、明らかに日本企業は遅れをとっている。日本人はルールの中で必死に頑張り、適用し、そしてその中で良いものを作ろうとするが、欧米人はルールそのものを柔軟に変えてしまう。我々は「前のルールはこうだった」「前のルールと違う」「ルールを変えるのはずるい」と訴えるが、ゲームはルールを決めるほうが支配しているのであり、そこに文句をつけても意味がない。

世界に向けて戦いを挑む時、我々はより狡猾でなければならない。

もし負けたとしても、ルールや環境の違いに嘆いたり文句をいってもしょうがない、なぜ負けたのかを徹底的に猛省し分析し改善し、次の勝利を目指すだけだ。

その意味で、村田諒太とそのチームは、負けた理由が、彼が弱いせいでも審判が悪いわけでも敵がずるかったわけでもなく、自分たちが攻めるべき時に攻めなかった=手数を出さなかったからだと分析した上で、戦い方を改善するべきだ。世間の同情の声や、判定に対する抗議の声に安心せず、猛省し分析し、そして改善しなければならないのである。

日本人は自分たちが挑戦者であることを忘れているようだが、我々はきわどいバランスのうえで常に上手に立ち回り、そして勝っていかなければならない、常にディプロマティックであることを求められる国家、民族であることを忘れてはならないのだ。