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日本人のアイデンティティを探るドキュメンタリー映画『愛と法』

長谷川朋子テレビ業界ジャーナリスト
弁護士夫夫(ふうふ)に密着したドキュメンタリー映画『愛と法』

日本で好まれるドキュメンタリー映画は「直球の社会派」または「ほっこり人生物語」に二分されている傾向が高い。筆者自身そうであるように、多くの観客が「見たい欲求に対してわかりやすい答え」を求めているからだと思われる。しかし、一方でわかりやすいカテゴリーに分類されないものの、観る者それぞれの価値観からそれぞれの答えを導き出すドキュメンタリー作品にも存在価値があるように感じる。複雑で矛盾している日本を捉えた戸田ひかる(とだ・ひかる)監督の『愛と法』はそんな作品である。

戸田ひかる監督本人に直接会う機会を得て、デビュー作となった『愛と法』を製作するきっかけを尋ねると、大阪で「なんもり法律事務所」を営む弁護士夫夫(ふうふ)のカズさん(南和行氏)とフミさん(吉田昌史氏)に出会ったことから始まったという。

大阪で「なんもり法律事務所」を営むカズさん(南和行氏/写真左)とフミさん(吉田昌史氏/同右)
大阪で「なんもり法律事務所」を営むカズさん(南和行氏/写真左)とフミさん(吉田昌史氏/同右)

「大阪に行ったら、面白い方に出会えるかもしれない。そんな先入観から足を運んだら、大阪生まれ、大阪育ちの彼らと出会いました。人柄に惹かれて話を聞くと、ゲイであることを公表して、互いを受け止め合いながら弁護士活動もプライベートも二人三脚で日々生きている魅力的なカップルでした。彼ら自身もマイノリティの立場で生きづらいこともあるはずなのに、自らの体験を活かして活動されている、彼らを通じていろいろな日本がみえると思いました」

その言葉通り、カズさんとフミさんの他愛もない日常と、日々闘う弁護士活動が交差しながら二人に密着したドキュメンタリーが作られている。「わいせつ物陳列罪」などの疑いで逮捕された漫画家でアーティストのろくでなし子さんの裁判をはじめ、社会的に立場が弱いとされる依頼人案件を多く扱う彼らの活動も映し出す一方で、二人がみせる愛のかたちから、ゲイカップルとして生きるなかで受ける偏見に対する想い、二人が一時的に預かることになったひとりの少年との3人の新しい生活まで追っている。それはまるで、これでもかと言わんばかりにいろいろな価値観の球を次々と投げかけてくるかのようである。個人的な感想を言えば、共感できたり、できなかったり。その都度、ひとつではない答えに対して思いを巡らせ、観るのに忙しかったほど。

カズさんは「わいせつ物陳列罪」などの疑いで逮捕された漫画家でアーティストのろくでなし子さんの弁護団の一員でもある
カズさんは「わいせつ物陳列罪」などの疑いで逮捕された漫画家でアーティストのろくでなし子さんの弁護団の一員でもある

それはある意味、「いろいろな日本がみえると思った」と話した戸田ひかる監督の狙い通りでもある。というのも、戸田ひかる監督はヨーロッパで育ち、ユトレヒト大学で社会心理学、ロンドン大学大学院で映像人類学などを学び、彼らと出会った当時もロンドンを拠点にディレクター活動をするなどの国際派な背景を持つことに由来する。それゆえに日頃から「海外から見られる日本に敏感だった」と話す。

「海外に長年住んでいても、マイノリティである日本人として見られ、『英語も上手だし、よく喋る。日本人らしくないよね』と言われていました。その度に表面的にしか語られない日本人に対する偏見に疑問を持ちました。また日本に帰ると、例えば、電車の広告が『脱毛キャンペーン』や、美容広告だらけなことに驚きました。こうした例えば『女性はこうあるべき』といった『当たり前』なあり方へのプレッシャーに対して、誰もその疑問を口にしない無言のルールがあることに矛盾を感じました。だから、そんな日本にカメラを向けたいと思ったし、いろいろな人が日本にはいることを伝えたいと思いました」

つまり、自身のアイデンティティと体験から生まれた疑問から、映画を撮ることになり、それをテーマにしたというわけだ。

当初は自費で。海外でも資金調達を探る

映画化の背景がわかったところで、映画化を実現した過程も思い返してもらった。聞けば、カズさんとフミさんに2012年に出会ったものの、製作資金の当てはなく、住んでいたロンドンと大阪を何度か行き来しながら、自費で探っていったという。制作体制はロンドン大学院で同級生だったイラン系イギリス女性、エルハム・シャケリファー氏がプロデューサーとして協力し、カメラ撮影は同大学院で後輩だったイギリス人男性、ジェイソン・ブルックス氏が担当する3人で始められた。

2014年11月に東京で開催された国際共同製作ドキュメンタリー推進会議の「Tokyo Docs」でも資金調達を試み、ピッチ(企画プレゼンテーション)に臨んだ戸田ひかる監督の姿を筆者も覚えていた。そこで企画が評価され、僅かな資金を手に入れたが、映画化実現に行き着くのまでにはほど遠かった。

アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭やシェフィールドドキュメンタリー映画祭などにも参加し、探ったが、いよいよ資金も底をつく。それでも諦めることができなかった戸田ひかる監督はロンドンを引き払って2015年3月から「なんもり法律事務所」の近くに住み始めた。

ヨーロッパ育ちの戸田ひかる監督。本作の撮影で22年ぶりに日本で暮らす。現在は大阪在住
ヨーロッパ育ちの戸田ひかる監督。本作の撮影で22年ぶりに日本で暮らす。現在は大阪在住

「二人から電話があれば、自転車で走れば2分で駆けつけることができる場所で住み、撮影に集中することにしました。ロンドンと大阪を行き来するお金もなくなりましたし」と話す戸田ひかる監督に「人生をこのドキュメンタリー映画にかけたのですね?」と問うと、「もちろんです」と笑顔で答えが返ってきた。

製作資金は最終的にイギリス公共放送BBCとデンマークの公共放送DR、フランスの助成金、アメリカのファンドから集め、ポストプロダクションの資金はクラウドファンディングで世界中の支援者から得たという。なお、デンマークでは本編そのままに放送も予定されている。

昨年の東京国際映画祭では「日本映画スプラッシュ部門」で作品賞に選ばれ、香港国際映画祭では最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した。このほかにも海外の映画祭で正式招待が続いている。そして、日本での公開は東風が配給・宣伝を担当し、大阪から先行上映が始まったところ。9月29日からは東京(渋谷ユーロスペース)ほか全国で順次ロードショーされる。

大阪 シネ・リーブル梅田にて公開中、9/29(土)より東京渋谷 ユーロスペースほか全国順次ロードショー
大阪 シネ・リーブル梅田にて公開中、9/29(土)より東京渋谷 ユーロスペースほか全国順次ロードショー

「インディペンデントの監督にとって厳しい製作状況です。日本国内だけで集めようとしたら難しい。生活を維持しながら製作しても、一本作ったら次が作れない。また製作資金に余裕がある先に頼っても、制約などに縛られてしまいがちで作りたいものが作れない。製作の面では絶望的とも言えますが、日本はドキュメンタリーの劇場公開には積極的ですから、恵まれています。ヨーロッパではドキュメンタリー映画の需要はあるものの、アウトプットの先はテレビやネット配信に限られてしまいます。日本は劇場公開できる数少ない国だと思います」

最後にひとつ気になったことも聞いてみた。編集/アソシエイト・プロデューサーの担当者名にドキュメンタリー映画の巨匠・原一男監督作品の編集も担当した秦岳志(はた・たけし)氏の名前がある。興味本位で経緯を聞いてみると、これも縁が重なったことがわかった。

「編集者がいなくて困っていたところ、思い切って秦さんにお願いしたいと思いました。佐藤真監督の『阿賀の記憶』を観て以来、気になっていた編集者でした。でも、面識もなく連絡先もわからず、ある制作会社に電話で問い合わせたら、お互い同じ大阪に住んでいらっしゃることがわかって。その後はとんとん拍子に事が運びました。お会いしたら共通点も多いことがわかり、快く仕事を引き受けていただきました。大阪は出会いの場所です。大阪に住んでから、毎日人の温もりに支えられています。道端で出会った方とお友達になったりと、ご縁を感じます」

次の作品も舞台は大阪になるのか。「まずは大阪から『愛と法』を盛り上げ、成功させることを考えながら、資金調達の方法の可能性を探っていかないと。撮影場所は日本に限りません。アジアも惹かれます」と話す戸田ひかる監督。テーマについては口にしなかったが、その表情から自身のアイデンティティの追求は大阪の地でひとつ昇華されたように感じた。

photo copyright:Nanmori Films(戸田ひかる監督の写真のみ筆者撮影)

テレビ業界ジャーナリスト

1975年生まれ。放送ジャーナル社取締役。国内外のドラマ、バラエティー、ドキュメンタリー番組制作事情をテーマに、テレビビジネスの仕組みについて独自の視点で解説した執筆記事多数。得意分野は番組コンテンツの海外流通ビジネス。仏カンヌの番組見本市MIP取材を約10年続け、日本人ジャーナリストとしてはこの分野におけるオーソリティとして活動。業界で権威あるATP賞テレビグランプリの総務大臣賞審査員や、業界セミナー講師、行政支援プロジェクトのファシリテーターも務める。著書に「Netflix戦略と流儀」(中公新書ラクレ)、「放送コンテンツの海外展開―デジタル変革期におけるパラダイム」(共著、中央経済社)。

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