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数寄屋橋交差点の騒乱のなかで「まとうこと」について考えた(2013年4月)

韓東賢日本映画大学教員(社会学)

(2013年)3月31日に東京・日比谷野外音楽堂で開かれた「朝鮮学校外しにNO!すべての子どもたちに学ぶ権利を!3・31全国集会&パレード」(同実行委員会主催)に行ってきた。

集会は、民主党政権下の2010年4月にスタートした「高校無償化」制度(私立については公立の授業料相当を各生徒に支給)の対象として念頭におかれていた朝鮮学校が、政治・外交上の配慮という不当な理由でその適用を先延ばしにされ続け、2012年末に発足した自民党・安倍政権によって省令が改定されついには制度的に除外されるにいたる経緯と、またこうした動きと重なるようにこの間、東京、大阪、宮城、埼玉、千葉、神奈川、広島、山口の8都府県が朝鮮学校への補助金を停止したことに抗議するために開かれたもの。朝鮮学校の生徒、保護者と関係者、日本人の支援者ら7500人(主催者による最終集計)が参加した。

同様の集会における前例や排外主義勢力の台頭が目立つ昨今の状況にかんがみ、当初からそうした団体の妨害行動が予想されていたのだが(同日、新大久保のコリアンタウンでは同様の団体による排外主義デモが行われた)、「生活韓服」を着ていこうと思い立ったのは、こうした空気のせいだろうか。生活韓服とは近年、韓国でひとつのスタイルとして定着している、民族衣装のチマ・チョゴリを現代風、洋服風にアレンジしたもの。私のチョイスは上が白、下が黒のモノトーンで、朝鮮学校の女子チマ・チョゴリ制服へのオマージュ的な気持ちもあったと思う(まさか四十路で高校生のコスプレをするわけにはいかない)。

集会中から会場の周囲を右翼の街宣車が旋回し大音量でがなり立てて妨害していたが、パレードコースの中盤、数寄屋橋交差点はまさに騒乱状態だった。20台近い民族派右翼の街宣車が列をなして巨大な壁のように停まり、それぞれの車上に人が立って大音量で聞くに堪えない台詞をがなりたてる横を、朝高生や子どもたちも含む参加者がパレードし、街宣右翼の向かい側には、近年台頭している排外主義団体が地面に立ってやはり聞くに堪えない罵声を浴びせる。参加者の態度としては間違っているかもしれないが、この状況にいたたまれなくなり、パレードから離脱し、朝高生の隊列を追いかけて歩道から声援を送った。あの子たちを守り元気づけたかった。

着ていた服のせいか、笑顔で手を振ってこたえてくれた生徒たちも多かった(とくに女子)。また排外主義団体のリーダーと至近距離に立っていたときは、警察官にじろじろ見られ、それ以上近寄らないよううながされた。不測の事態を防ぐためだろう。

衣服は、身体を保護する道具であると同時に、何かを伝えられる/伝えてしまうメディアでもある。見る/見られること、何かを象徴する/させられる、または背負う/背負わされること、の意味について、改めて思った。

(『週刊金曜日』2013年4月19日号「メディアウォッチング」)

*はじめまして、こんにちは。このような場を得たということで試験的に、『週刊金曜日』に月1回書かせてもらっているコラムの最新の回をアップするとともに、ここ数年の同月分からも紹介してみたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

日本映画大学教員(社会学)

ハン・トンヒョン 1968年東京生まれ。専門はネイションとエスニシティ、マイノリティ・マジョリティの関係やアイデンティティ、差別の問題など。主なフィールドは在日コリアンのことを中心に日本の多文化状況。韓国エンタメにも関心。著書に『チマ・チョゴリ制服の民族誌(エスノグラフィ)』(双風舎,2006.電子版はPitch Communications,2015)、共著に『ポリティカル・コレクトネスからどこへ』(2022,有斐閣)、『韓国映画・ドラマ──わたしたちのおしゃべりの記録 2014~2020』(2021,駒草出版)、『平成史【完全版】』(河出書房新社,2019)など。

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