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政治問題化した東京五輪開催方針とメディアのコンプライアンス

郷原信郎郷原総合コンプライアンス法律事務所 代表弁護士
(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

菅義偉首相が、ニューヨークの国連本部で始まった一般討論演説の事前録画(9月19日に首相官邸で収録)で、来年夏の東京五輪・パラリンピック(以下「東京五輪」)は「人類が疫病に打ち勝った証し」として開催する決意を表明した。

しかし、本当に来年夏の東京五輪開催が現実的に可能なのかについては、国民の多くが疑問視しており、大手全国紙系の言論サイトとしては珍しく東京五輪開催を全面的に批判するインタビュー記事【「東京五輪開催は99%あり得ない。早く中止決断を」】が掲載された。

そこで本間龍氏が指摘しているように、開催延期とコロナ対策経費によってさらに膨大なものになった開催経費のほか、ボランティア動員、メディア企業を含むスポンサー企業をめぐる問題など、東京五輪の招致・開催に関してはあまりに多くの問題がある。

世界的にコロナ感染収束が見通せない中で、来年夏東京五輪開催を強行した場合に、日本の社会にとって「重大な厄災」になりかねないことは、健全な常識を備えた人間にとっては自明の理だと思える。

政権発足直後の菅政権が、「来年夏東京五輪開催強行」を強調すればするほど、来年夏東京五輪開催をこのまま強行するのか、早期に断念するのかは、日本という国にとって、最大の「政治問題」になっていると言える。

看過できないのは、メディア企業が東京五輪のスポンサー企業になっていることが、この「政治問題」としての来年夏東京五輪開催に関する報道に影響を与えている可能性だ。この問題は、放送法2条2号によって「政治的公平」を求められるテレビ局のみならず、報道倫理上「公平な報道」を求められるメディア企業全体にとっての「コンプラインス問題」だと言える。

最大の問題は、大手メディア企業が、東京五輪のスポンサー企業として開催を推進する立場にあることと、「開催強行か早期断念か」という国民の利害に関わる重大な問題に関して中立的な報道を行うこととの間で、コンプライアンス上看過できない「利益相反」があることだ。

東京五輪については、招致決定の当初から、当時の安倍首相が、福島原発事故による放射能汚染に関して「アンダーコントロール」などと発言したことに関して反対論があったことは事実であり、その時点から「政治的問題」の側面がなかったわけではない。しかし、2020年夏開催予定だった東京五輪がコロナ感染で開催が危ぶまれることになった2020年3月頃からは、この問題は一気に「政治問題」としての色彩が濃くなった。

4月1日に出した拙稿【「東京五輪来年夏開催」と“安倍首相のレガシー” 今こそ、「大連立内閣」樹立を】で指摘したように、この頃から、東京五輪開催の是非、開催時期の問題は、当時の安倍晋三首相の「政治的レガシー」をめぐる個人的動機に深く関連し、日本のコロナ対策に関する意思決定に大きな悪影響を与え続けた。

2021年夏への開催延期を決めたことだけでなく、安倍政権を「継承」した菅政権が世界的なコロナ感染拡大が続く中においてなお、IOCをも巻き込んで開催に向けての決意を示していることも、政治的動機に強く影響されていることは間違いない。

このような状況においては、東京五輪代表選手、観戦を楽しみにしている国民の立場からは、「開催を断念せず、ギリギリまで開催に向けて努力すべき」という意見と、「早期開催断念論」とで、国論が二分されている状況なのであるから、両者の意見について「公平」な報道を行うことが、メディア企業のコンプライアンスとして不可欠なはずだ。

ところが、【前記記事】で本間氏も指摘しているように、東京五輪開催に関する報道は、

選手たちの思いを聞き、戦後復興の頂点としての前回東京大会を懐かしみ、メダル量産で地元開催を盛り上げたいという金太郎アメのような報道ばかり

であり、

組織委が熱中症対策に頑張っている、苦慮している、という記事はたくさん載る一方で、真夏の開催の危険性やボランティア問題をきちんと検証し疑問を投げかける記事は皆無、むしろ総動員機運を煽るような報道ばかりが目立つ

状況になっている。

そのような東京五輪をめぐる報道について、報道に携わる記者や編集担当者すべてが、このまま開催予定を維持することに賛成しているとは思えない。メディアの内部でも、「来年夏開催は絶望的なので早期に開催を断念すべき」との意見もあるはずだ。しかし、メディア企業が、社として東京五輪を推進する姿勢を明確にしているため、そのような意見が記事として表に出ることはほとんどない。メディア企業が、スポンサー企業となっていることで、社内外に「東京五輪推進」の姿勢を明確にしているからであろう。

かねてから、2021年夏東京五輪開催に反対してきた私自身も、そのような意見を大手全国紙系のメディアに投稿する際に、編集者から、様々な理由を挙げて「来年夏東京五輪が絶望的」との記述を削除するよう求められたことがある。担当する部署の近くに、東京五輪に向けて広告宣伝を担当している部署があることが理由とのことであった。これなども、まさに、メディア企業が、東京五輪のスポンサー企業となっている上で、掲載する「言論」にも制約が生じていることの表れと言えよう。

このまま来年夏東京五輪開催を強行することは、本間氏も指摘しているように、まさに、太平洋戦争で日本が敗戦に突き進んだ構図と同様の失敗を繰り返すことになりかねない。それに対して、メディアが全く批判的機能を果たしていないことも、当時の日本と類似している。

東京五輪招致決定の際の東京都知事は、猪瀬直樹氏だった。作家の猪瀬氏には、【昭和16年夏の敗戦】と題する著作がある。日米開戦前に、「総力戦研究所」の若きエリート集団が「日本必敗」の結論を出していたにもかかわらず、客観的な分析を無視し、無謀な戦争へと突入したプロセスを克明に描く秀逸なノンフィクションだ。もし、猪瀬氏が、現在も東京都知事であったら、この東京五輪開催問題に都知事としてどのように対応したであろうか。

郷原総合コンプライアンス法律事務所 代表弁護士

1955年、島根県生まれ。東京大学理学部卒。東京地検特捜部、長崎地検次席検事、法務省法務総合研究所総括研究官などを経て、2006年に弁護士登録。08年、郷原総合コンプライアンス法律事務所開設。これまで、名城大学教授、関西大学客員教授、総務省顧問、日本郵政ガバナンス検証委員会委員長、総務省年金業務監視委員会委員長などを歴任。著書に『歪んだ法に壊される日本』(KADOKAWA)『単純化という病』(朝日新書)『告発の正義』『検察の正義』(ちくま新書)、『「法令遵守」が日本を滅ぼす』(新潮新書)、『思考停止社会─「遵守」に蝕まれる日本』(講談社現代新書)など多数。

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