「ノーゲームデー」の誤解と実態、そして子供が本当に必要だったもの

↑ 「ノーゲームデー」の公知用パンフレットイラスト

「ノーゲームデー」はゲームを敵対視する教育的指導!?

ここ数日インターネット界隈では、北海道教育委員会が呈した「ノーゲームデー」に関して、様々な議論がなされている。「またゲームという言葉のみの印象で敵対視しているのか」「ゲームとひとくくりにしているけれど、良いモノもあるしそうでないのもある。使い方次第でどうにでもなるものなのに」「ゲームをするから学力低下をするという、直接的な因果関係を立証することなく、ゲームに責任を押し付けるのはいかがなものか」とか。

だが語られ方があまりにも「過剰に炎上している」のを見るにつけ、一次ソースをたどると、巷で語られている内容の少なからずは誤解を基にしているものだった。一方で、「ノーゲームデー」の内容そのものにも、色々と考えさせられるものがある。子供が本当に必要だったものは何なのだろうか。

どさんこアウトメディアプロジェクト ノーゲームデー (北海道教育委員会)

↑ 公知パンフレットとイベント内容の紹介
↑ 公知パンフレットとイベント内容の紹介

■Action 1  「ノーゲームデー」の設定・推進

各家庭や地域における望ましいネット利用に向けた行動や学校、家庭、地域におけるルールづくりの促進に向け、大人も子どももゲーム(コンピューターゲーム、携帯式のゲーム、携帯電話やスマートフォンを使ったゲームなど)をしない日を設定し、実践を呼びかけます。

■「ノーゲームデー」とは・・・

★ 毎月第1・第3日曜日を「ノーゲームデー」として設定しました。

★ 大人も子どももゲームをしないで、電子メディアへの接触時間を見直す取組です。 

★ ゲームをしないで、「家族の団らん」を大切に「体験活動」や「読書活動」に親しみ、学校、家庭、地域における望ましいネット利用に向けたルールづくりの促進を図るものです。

(以下略)

「ノーゲームデー」の定義は上にある通り、「各家庭や地域における望ましいネット利用に向けた行動や学校、家庭、地域におけるルールづくりの促進に向け、大人も子供もゲーム(コンピューターゲーム、携帯式のゲーム、携帯電話やスマートフォンを使ったゲームなど)をしない日を設定」「大人も子供もゲームをしないで、電子メディアへの接触時間を見直す取組み」「ゲームをしないで、「家族の団らん」を大切に「体験活動」や「読書活動」に親しみ」という趣旨によるもの。委員会側では「子供がパソコンやスマートフォンに夢中になっている」=「ゲームをしてる」と誤認したか、保護者がそのように誤認しているので「ゲーム」と表記した方が分かりやすい、との考えから「ノーゲームデー」との言い回しを用いた感は強い。パッと見で、第一印象で概要を理解させるのがコピーの原則であることを考えれば、納得はできる(ゲームを敵対視している人が関係者に居た結果の可能性もあるが)。

防犯用に携帯電話を子供に持たせている場合があることから、「ノーデジタルメディアデー」「ノー携帯デー」としてしまうと、防犯目的の利用も不可となってしまう。それは流石にマズイとの判断もあったのだろう。実質的には「ノーデジタルメディアデー」との認識で間違いない。さらに大義としてはテレビや漫画なども対象に含め(「電子メディアへの接触時間を見直そう」という表記もある)、身体を動かして実体験による遊びを子供に楽しんでもらおう、コミュニケーションを大切にしよう、親子共に楽しもうとの本心があるように読める。そして加えるならこの「ノーゲームデー」、毎日実施しようという話でもない。

もっとも内容をより適切に、そしてトラブルリスクを避けるとの観点では、よりシンプルに「むかしあそびの日」「リアルゲームデー」とした方が良かった感は否めない。一昔前なら「ノーテレビデー」とでもしていたのだろうか。

ともあれ、「ノーテレビデー」に関しては一部ネット上に広がっている「『ゲームは邪悪だから撲滅すべきである』とか、また無理解な大人が勝手に押し付けてるよ」的なものとは軸の違う話であることに違いは無い。

今の子供にはゲームも大切なコミュニケーションツールに違いない

↑ 「ノーゲームデー」
↑ 「ノーゲームデー」

一方で今回「ノーゲームデー」を展開した北海道教育委員会側にも、認識の面で首を傾げる部分もある。上記のイメージイラスト的なパンフレットがそれを如実に表している。子供達が寄り集まって携帯ゲームを囲み、興味深げに眺めている状況にバツ印が付けられたイラストが掲載されているが、皮肉にもこれこそが、今の子供達におけるゲームの立ち位置を証明してしまっている。

今の子供にとってゲームとは、コミュニケーションツールの一つに他ならない。スマートフォンで使われるソーシャルメディアもまた、そしてより直接的なツールであることは言うまでもない。ゲームそのものの面白さに加え、その内容をネタとし、友達とコミュニケーションをするためのツールとして、素材作りとしてゲームを楽しんでいる。それに「ノー」を突き付けることは、子供にとってはコミュニケーションの手段の一つを奪われたことになる。

ゲームにしてもソーシャルメディアにしても、「使うな」ではなく「正しく使え、その方法を教えるから」とするのが、正しい大人の姿勢ではないだろうか。問題視されている、学力低下に結び付くのではと懸念視されているのは「使い過ぎ」であり、「使う・使わない」の話ではない。体重が増え気味の人に対して求められるアドバイスは「食べすぎるな、適量を食せ」であり「一切食べるな、絶食の日を作れ」では無いのと同じ。

現状を見つめ直し、子供に何が必要かを考え直すべき

また、「電子系ゲーム以外の遊びへのアプローチ」を画策し「ノーゲームデー」を設定して「昔の遊び」への誘導をしても、今の子供の周辺環境でそれを繰り返し出来るかと考えると、結構難しいという実態もある。季節柄に合わせたイベントなどはともかく、「昔の遊び」の少なからずは「危険だから」と大人から禁止されているのが実情。

今の大人が経験則として有している「面白かった遊び」が、そのまま今の子供でも「面白い遊び」と認識するかどうかは判断が難しい。環境の違いだけでなく、感性の違いもあるからだ。さらにいえば現在の子供達の保護者ですら、今回呈されたような「リアル遊び」を知っているか否かも微妙なところ。いわゆる「ファミコン世代」に突入して、保護者自身も良く知らない可能性も高い(だからこそ今件のイベントでは、多分にその上の世代が動員されているのだろう)。

個人的には今件の「ノーゲームデー」に対しては、リアルな、昔ながらの遊び的体験・野外体験が善、それ以外はよろしく内的な勧善懲悪、二分法的な発想にとらわれることなく、もっと多方面に可能性を、選択肢を呈するべきではないかという感想を抱いている。「ゲーム」という叩きやすい対象を持ち出して名前に冠してそれを否定すれば、ぱっと見は分かりやすいかもしれないが、本質がずれる形となる。

無論「昔の遊び」のような、キャンプ感覚の遊びも良い体験になる。しかしそれが可能性の全てでは無い。例えば「貿易ゲーム」をはじめとした多人数が同時に参加できるタイプのゲーム(いわゆるシリアスゲームと呼ばれている「社会問題の解決を主な目的とする、学習する」(、そして保護者サイドもその意図には容易に賛同するであろう)ゲームにも、そのタイプは多い)でも良いし、ボードゲームでも構わない。それこそ今回「距離を置くべき」と呈されたようなデジタル系のゲームを、保護者と一緒になって楽しむというイベントでも良いだろう。

そして同時に「時間管理の重要性」と「正しい遊び方」を改めて子供に教えることこそが、大人には求められているのではないだろうか。

■関連記事:

一心同体、ネット依存、試験に失敗…高校生のスマホ生活、その悪影響の実態を探る

ますます増える小中学生のテレビゲーム時間、そして学力テストとの関係は…!?