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高市早苗氏の政策・世界観を分析する―「保守」か「右翼」か

古谷経衡作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長
2021年自民党総裁選挙に出馬表明する高市氏(写真:ロイター/アフロ)

1.稲田氏から高市氏への「交代」

 2021年9月8日、自民党総裁選に正式出馬を表明した高市早苗氏が、所謂保守界隈やそれに付随するネット右翼(以下、保守界隈など)から瞬く間に「総理・総裁待望論」として期待の星になった直接的嚆矢は、菅総理が総裁選不出馬を表明する「前」の『文藝春秋』(9月号,2021年8月10日発売)での出馬意欲披瀝と、それにまつわる報道であることは間違いはないものの、そこに至るまでには重大な伏線があった。

 まず第二次安倍政権下で「初の女性総理・総裁」候補として保守界隈から大きな期待を集め、入閣した稲田朋美氏が後にリベラル色を強くしたことである。2006年に設立された保守系議員の勉強会「伝統と創造の会」の会長を務めた稲田氏(顧問・安倍晋三氏)が「選択的夫婦別姓容認」に転換したため、この会から分離する形で2020年6月に「保守団結の会」が結成された。同12月、安倍前総理が顧問に就き高市氏が入会。このようにして保守界隈の熱量が稲田氏から離れたのと入れ替わるように、界隈の中での「初の女性総理・総裁」候補は急速に稲田氏から高市氏に交代するのだった。

2.サナエノミクス(経済)

月刊『Hanada』(2021年10月号)
月刊『Hanada』(2021年10月号)

 総裁選出馬に合わせ、高市氏は月刊『Hanada』(2021年10月号)、月刊『正論』(同年10月号)に登場する。特に「我が政権構想」と題した『Hanada』での記載は、高市氏の政策を分析する上では極めて重要である。高市氏は靖国神社参拝の意義を高らかと強調した後、新型コロナ対策を述べているが、まず無難な範囲である。

 特徴的なのは「日本経済強靭化計画」と銘打たれた経済政策であり、所謂安倍路線を継承して金融緩和を継続しつつ、PB(プライマリーバランス)規律を凍結して大規模な財政出動を行う旨、明示されている。しかしながら高市氏は、2006年に小泉内閣が退陣して”第一次安倍内閣”となるや、自身のWEBサイト上のコラムに、

 今後、「経済成長と歳出削減を両立させながら、財政を健全化し、就業支援や職業教育などで納税者を増やすことで持続可能な福祉社会を築こう」という安倍新総裁の方向性は間違っていないと思います。(小泉政権の足跡と次期政権への期待 2006年9月20日)

 として、寧ろPB規律を守ることを良としており、即ちこの間にPB規律に対する考え方が変わったのであろう。

 保守界隈において支持された主流な経済政策は、特に第二次安倍政権が発足した当初、PB規律を大凍結して財政出動を極めて重視する一派と、PB規律は暫時的に凍結する方向ではあるが、最も重要であるのは大規模な金融緩和である、とした所謂リフレ派に大別された。前者の筆頭は従前から「国土強靭化」を謳い、公共事業の大幅増などを眼目とした京都大学大学院教授の藤井聡氏などのグループ(これは、藤井氏が編集長を務める雑誌『表現者クライテリオン』から冠して表現者グループ、等と呼ばれる)。後者の筆頭は、大規模な金融緩和論者すなわちリフレ派として知られた経済評論家の上念司氏などのグループである。

 この両者は、PB規律については全部凍結、漸次凍結などの小異はあったものの、所謂小泉・竹中・安倍構造改革路線への評価については180度違う(前者は否定、後者は肯定)ので対立した。2020年の米大統領選挙を巡り保守界隈で更に対立が深まると、リフレ派論客らが内部政治的に敗北する結果となり、前述「表現者グループ」の経済観が寡占的になった。

 高市氏の経済政策を読むと、根本的には藤井氏を筆頭とする「表現者グループ」の積極財政論を全面的に首肯している一方で、リフレ派の金科玉条とする金融緩和についても継続する内容となっており、「表現者グループ」と「リフレ派」の中間的政策になっている。ちなみにサナエノミクスという名称については、前述した『文藝春秋』の中で高市氏は『サナエノミクスと称すると少し間抜けな響きで残念だが』と自虐的に記述している。

3.靖国神社、歴史認識

靖国神社「春の例大祭」で参拝する高市氏
靖国神社「春の例大祭」で参拝する高市氏写真:ロイター/アフロ

 保守界隈が最も重視するのはこの項目であろう。高市氏は自民党入党後、ほぼ一貫して靖国神社参拝を行ってきた。これが保守界隈で「ポスト稲田」の最有力女性候補として高市氏が急浮上した大きな原因の一つである。報道によれば、高市氏は仮に総理に就任した後も靖国参拝を続ける意向と明言(朝日新聞,2021年9月8日)。

 靖国神社への総理の参拝は、第二次安倍政権下では内閣発足後約1年を経過した2013年の一度きり(当時、小泉総理以来約7年ぶり)であった。しかし高市氏の靖国への熱意は硬く、保守界隈にとってはこれが「保守であるか否か」の正邪を問う格好のリトマス試験紙になった。すでに高市氏は第二次安倍内閣における入閣時に、閣僚として参拝しており、これが影響もあってか保守界隈からの高市支持は揺るがない。また『Hanada』の記述では、「首相や閣僚の靖国参拝は外交問題ではない」と披瀝している。現実的には外交問題になっている事実をどう解釈しているのかはともかく、「靖国参拝は外交問題ではなく国内問題だ」として公人参拝に賛成するのは保守界隈にあっては「通常運転」である。

 一方、歴史認識についてはどうだろうか。高市氏は2003年の衆院選挙で落選し、その期間近畿大学教授を務めているが、その間に産経新聞に寄稿したコラムが象徴的であるので引用する。

 現在の政府見解は、平成七年の村山富市首相談話をそのまま踏襲している。「過去の一時期、国策を誤り」「植民地支配と侵略によって」「多大の損害と苦痛を与え」…と痛切な反省とお詫びの気持ちを表明した見解である。

 当該戦争が「自衛戦争」か「侵略戦争」かについての判別は、国際法上「自己決定権」が認められている。自ら「侵略行為」と認めた、この不見識な政府見解を修正する作業こそが、日本への愛情を持った次世代を育て得る教育実現への第一歩である。(【アピール】「侵略」認めた不見識な見解修正を2004.12.08,産経新聞)

 として村山談話の修正を迫った。「あの戦争は自衛の戦争であった」という考え方は、これまた現在の保守界隈における歴史観のスタンダードとなっている。それによれば、満州事変以降の国策は正しく、朝鮮や台湾は日本の植民地ではなく、日中戦争も南方作戦も侵略ではないという事なのだが、高市氏はこの考え方を完全にトレースして現在に至っている。氏は自身のWEBサイト上のコラムで、

(2002年8月)18日の放送では、「満州事変以降の戦争は、日本にとって自存自衛の戦争だったと思うか?」との田原(総一朗)さんの問いに対して「セキュリティーの為の戦争だったと思う」と私が答えた途端、田原さんがまくしたて始めました。(田原総一朗さんへの反論,2002年8月27日,括弧内筆者)

 と書いている。この田原氏と高市氏のやり取りは「サンデープロジェクト」内で行われたものだが、高市氏は番組プロデューサーに田原氏の態度等について抗議している。ここで言う、セキュリティーの為の戦争(自衛戦争)の根拠としては、「現在の価値観で当時の戦争行動の意味を判断するべきではない」旨『Hanada』で明記し、その論拠として1995年、村山富市総理に高市氏が戦争について問いただした経験を回想する。

 私が当選一期目だった1995年に、社民党(ママ*筆者注 社会党の誤記か)の村山富市総理(当時)に対して、「総理は『侵略戦争』だと思って戦場に行かれたのか」と質問しましたら、「当時はやはり、そういう教育を受けていたこともあって、お国のためと思って行った」と答弁なさったんですよ。

 つまり高市氏は、その行為が侵略であるか自衛であるかは当時の人々の気持ちを基準に判断するべきであると言っている訳であるが、それであれば「元寇」は日本侵略ではなく、ナチスドイツのポーランド侵略は「東方生存圏確立のためで侵略ではない」という事になり矛盾状態が発生するが、それについての説明は無い。

 ともあれ、先の戦争について「自衛戦争であった」「植民地支配はなかった」は保守界隈の歴史観の中核をなす二大要素である。もし「右翼」がこういった保守界隈よりさらに極端な思想的イデオロギーを持つ勢力と定義すると、この二大要素は「保守」にも「右翼」にも現在瀰漫している。もちろん靖国については況や、である。

 ただしひとつだけ特徴的な歴史観としては、高市氏は日本による朝鮮や台湾などの統治は植民地支配ではない、と言っている手前、太平洋戦争に対しては「日本によるアジア解放の聖戦(東亜新秩序)」という理屈にはあまり触れていないことである。

 高市氏の論法で言えば、「当時の植民地支配や戦争行為を現代の価値観から問うてはいけない」というものであるから、当時西欧諸国のアジアにおける植民地(蘭印、仏印、英領マレー等)を「日本によるアジアの欧米植民地からの解放」と定義すると矛盾状態が出来する。つまりは欧米にだけ当時の時代感覚を無視しそれを植民地と既定すると、日本の「アジア解放戦争」の大義と衝突するからである。当たり前のことだが、現代的感覚で以て植民地と定義してはならないのだとしたら、なぜ日本だけは免罪されるのかという壁にぶち当たるからだ。

 普通、保守界隈でも右翼でも、先の戦争における「自衛戦争」と「アジア解放」と「(朝鮮・台湾等は)植民地ではなかった」論は、同時に展開されかつ矛盾したままで進行するのが常なのであるが、それを避けるために「あの戦争は西欧列強からのアジア解放の聖戦」だけを高市氏は恐らく「意図的」に脱落させている。この辺りはなるほど「上手い」と思う。

4.皇室観および所謂「自己責任論」

『正論』では、雑誌的特徴も踏まえてか、高市氏の皇室観が多く登場する。高市氏は、

 二千年以上にわたって、皇位は父方の結党が天皇に繋がる男系によって継承されてきました。推古天皇をはじめ八方の女性天皇はおられましたが、全て男系の女性天皇で、在位中は独身であり、皇室以外の配偶者との間に生まれた子が皇位を継承する「女系」への変更は皆無でした。(中略)男系の血統が百二十六代も続いた「万世一系」という皇室二千年以上の伝統は、天皇陛下の「権威と正当性」の源だと考えています。

 と述べる。正当性の解釈はともかくとしても、皇室の権威は昭和天皇が敗戦後、全国を巡幸された事。上皇様が災害被災地の人々と常に寄り添ってきたなどの苦労による部分も大きいと思われるが、高市氏の世界観ではこれは「万世一系」の血筋がそれを担保しており、即ち男系天皇の存在が決定的であり、女系天皇を完全に否定している。

 ご承知の通り、保守界隈にあっては完全に「女系天皇(女性、ではない)」「女性宮家の創設」などの意見はマイノリティである。皇統の問題にあっては、「女系容認論」を漫画家の小林よしのり氏が熱心に説くなどしたため、ゼロ年代後半から2010年代前半にかけて、小林氏とそのグループなどが保守論壇中央と衝突した。その結果女系天皇論者は「保守に非ず」と否定されマイノリティになり、現在に至っている。よって高市氏のそれは、やはり保守界隈主流の世界観を悉くトレースしたものになっている。

 現在においても、世界一の御皇室を戴き優れた祖先のDNAを受け継ぐ日本民族の本質は、基本的には変わっていないのだと感じます。しかし、敗戦後の占領期にGHQが違法に行った最高法規の変更や社会システムの解体、教育勅語の廃止などにより、多くの良き精神文化が衰退してきたのも事実です。(「美しく強い日本」へ①:日本民族の素晴らしさ,2012年8月17日,前掲WEBサイトコラム)

 まさに高市氏の皇室観を端的に現わした文章と言えよう。皇室が世界一であるかどうかは、議論の分かれるところではある。もし高市氏が総理になったならば、天皇陛下が海外の国家元首に謁見した際に、「我が国の天皇陛下は格が上である」と首相が言っているに等しく、外交慣習上の信義則に反するのではないか。勿論、皇室を世界一と思うかどうかについては当人の自由ではある。

 しかし疑問だと思うのはここから。2012年8月(第二次安倍政権発足直前)の段階において、「世界一の御皇室を戴き優れた祖先のDNAを受け継ぐ日本民族の本質は、基本的には変わっていない」としつつ、そこにはGHQによる憲法「変更」や教育勅語の廃止により、「良き精神文化」が衰微した、と言っていることだ。その衰微の傍証として、高市氏は「生活保護の不正受給問題」をやりだまにあげた。

 即ち日本人の本来持っていた良き精神文化が破壊されたから、生活保護の不正受給が氾濫したと書いている。勿論、生活保護の不正受給は法に従って厳正に罰せられるべきだ。しかしながら高市氏の世界観は、不正受給からさらに発展してこう筆を進める。

「年越し派遣村」騒動を契機に、健康な若者の生活保護申請を促進する空気を醸成していました。当時、私の故郷である奈良県では、派遣契約延長が叶わなかった労働者の為に、早々に県の臨時職員ポストや数十戸の県営住宅を用意していましたが、応募者は殆ど無かったそうです。

 私自身も、中小規模の事業者から「3交替制で早朝勤務があるので、日本人の若者が来てくれない」、「地場農産物を加工した特産品を作りたいが、農作業の人手が不足しているので、量産が困難だ」といった相談を受けて、失業中の若者たちに就労を勧めたのですが、「早起きは無理」「週休2日でないから嫌だ」と断られる始末でした。(中略)他方、ご高齢の方々の中には、「生活保護を受けるのは恥ずかしい」「福祉を利用しては、世間様に申し訳ない」という矜持や遠慮から、我慢をし過ぎて命を落としてしまわれるケースもあり、その報道に涙することも度々です。(「美しく強い日本」へ②:自立と勤勉の倫理,2012年8月18日)

 つまり上記文章を要約すれば、「若者は辛い仕事であれば就職口があるにもかかわらず、わがままを言ってそういった仕事を禁忌し、生活保護に安易に頼っている」という事である。生活保護受給は国民の権利であり、上記文末尾にある”「生活保護を受けるのは恥ずかしい」「福祉を利用しては、世間様に申し訳ない」という矜持や遠慮”という、本来生活保護の被受給者側にある”忖度”こそ行政は積極的に是正していくべきではないのか。だからいつまでも捕捉率は低いままなのである。生活保護支給は、憲法に保障された国民の生存権維持のために「国家がなすべき義務」であり、その受給にあって何も恥じることは無い。これを遠慮することが「自立と勤勉の理論」と言われれば「それは強者の理屈である」としか言いようがない。

 また高市氏が「健康な若者が生活保護申請をする甘え」の具体例として出している、「(奈良)県の臨時職員ポストや数十戸の県営住宅を用意していましたが、応募者は殆ど無かった」という伝聞も、単に自治体のアナウンスが足りなかっただけの可能性もある。若者と高齢者を「世間様」に対する申し訳なさ度合いで比べている事にも、そもそも世代蔑視があるのかもしれない。ともあれ、こういった「自助」を強く打ち出す高市氏の世界観は、実は自らの唱える「サナエノミクス」と本質的には衝突するところではないか。「精神的甘えの放逐」で若者の貧困が解消されるなら、PB規律を全凍結してまで積極的な財政政策をする必要はない。

 高市氏はアベノミクスを自説で援用する際「ニュー・アベノミクス」とし、更に『文藝春秋』で「サナエノミクス」と説いた。2.(経済)の部分で現在保守界隈で主流の「表現者グループ」を代表としたPB規律凍結の積極財政派と、傍流のリフレ派が居て、高市氏の政策はその両者の中間的側面があると書いたが、これを読むとどちらかと言えば新自由主義的で富裕層からの再分配を軽視しがちな素地があるとも読める。

 生活保護受給者への冷淡さは、保守界隈に特徴的なものである。どちらかというと彼らよりもさらに思想的に先鋭的な「右翼」は、地方都市や農村地帯での土着的ネットワークに基づいており、村落共同体意識が強い。「右翼」が行う街宣活動等の集会も、地元の職能と密接に結びついている場合がある。

 一方、ネット右翼をも含有する「保守界隈」は、これとは逆で大都市部における中小零細企業の経営者や大企業における中間管理職等がその大半を構成する。自力で社会的成功を一定程度収めてきた彼らには能力主義、―つまり「貧困は甘えで、努力次第で成功できる」という観念が強く、生活保護受給者に対して殊更冷酷である。高市氏のこの部分については、土着的な右翼ネットワークよりも、もっと都市的な保守界隈との共通言語を感ずるのである。

5.総論

 というわけで高市早苗氏の政策・世界観を大まかにみてきた。これ以外にも憲法改正問題、外国人参政権、対アジア政策、対米政策、自衛隊増強案など見るべきところは多いものの、一応最も特徴的で、直近の『文藝春秋』『Hanada』『正論』に登場した政策や世界観を列挙し、分析を試みたものである。

 2021年自民党総裁選の行方にあっては全くその行方が分からないところであるが、高市早苗氏を単に「保守」「ネット右翼」ないし「右翼」と括るにははみ出してしまいそうな微細なニュアンスの背景があることをお判りいただけたと思う。(了)

作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長

1982年北海道札幌市生まれ。作家/文筆家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長。一般社団法人 日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。テレビ・ラジオ出演など多数。主な著書に『シニア右翼―日本の中高年はなぜ右傾化するのか』(中央公論新社)、『愛国商売』(小学館)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)、『女政治家の通信簿』(小学館)、『日本を蝕む極論の正体』(新潮社)、『意識高い系の研究』(文藝春秋)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『ネット右翼の終わり』(晶文社)、『欲望のすすめ』(ベスト新書)、『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)等多数。

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