なぜ、ゴルファーは五輪を回避するのか。懸念される辞退者続出の連鎖反応
世界ランキング5位のダスティン・ジョンソンが東京五輪に出ない意向をゴルフ界で最初に明らかにしたことは、米国でも日本でも世界各国でも大きく取り上げられた。
ジョンソンがきっかけとなって、出場辞退者が連鎖的に増えていくことも懸念され始めており、今後の動向から目が離せない状況にある。
今はまだ日本でも世界でも、さまざまな競技において五輪代表選考が行なわれている真っ只中だ。東京五輪に出ること、メダルを取ることを必死に目指し、大勢の選手たちがしのぎを削っている。
その傍らで、なぜゴルファーは、ほぼ確実に出場できる立場にありながら、こんなにも早く出場を回避するのか。なぜ、それが連鎖的な辞退者続出につながるのではないかと懸念されるのか。
そのワケは、五輪におけるゴルフの特殊性と深い関係がある。
【「五輪とゴルフ」の歴史】
その昔、ゴルフは五輪競技に含まれていた。1900年パリと1904年セントルイスの2大会がそうだった。だが、いつしかゴルフは自然消滅的に五輪から消えていった。
しかし、2016年リオ大会でゴルフは112年ぶりに五輪競技に復活。だが、世界のトップクラスの選手たちの生い立ちを振り返れば、彼らの幼少期の五輪の中にゴルフは一度も存在しておらず、だから彼らは五輪を目指す必要性も必然性もない環境下で育ってきた。
彼らが目指してきたものは、メジャー・タイトルや世界ナンバー1の王座だ。五輪に出ることもメダルを取ることも考えたことすらなかったのに「突然、目指せと言われても、、、、」。彼らがそんな戸惑いを抱くことは不思議ではなく、その戸惑いは2020年の今現在も多くの選手たちの胸の中に少なからずある。
【「五輪とゴルフ」前回大会】
2016年のリオ大会を控えていた4年前の春先ごろ、五輪出場を辞退する選手が、1人、また1人と出始め、どんどん連鎖的に増えていった。口火を切ったのはフィジーのビジェイ・シン。オーストラリアのアダム・スコットらが続き、当時の世界ランキング3位だったローリー・マキロイは、一度は「是非ともメダルを取りたい」と語ったにも関わらず、瞬く間に前言を翻し、出場を辞退した。
そのころ、リオデジャネイロの現地ではジカ熱が蔓延しており、治安も最悪だと伝えられていた。五輪でありながらチーム戦ではなく個人戦なのはおかしいという不満や疑問の声も上がっていた。だが、辞退者たちの多くは、そうした不安や不満を口にするのではなく、「過密スケジュール」を表向きの理由にした。
日本のみならず世界的に新型コロナウイルス感染拡大が懸念されている今、ジョンソンが示した出場辞退の理由も「過密スケジュール」だ。いろんなことが4年前と似通っていることが、4年前の連鎖反応をゴルフ界の人々に想起させている。
現在、世界ランキング3位、米国の五輪代表候補1番手のブルックス・ケプカが、すでに「五輪は僕が目指してきたものではない」と不参加を示唆する発言をしていることも気になる。米国の五輪代表候補1番手のケプカと3番手のジョンソンが揃って「出ない」となれば、彼ら2人が大きな連鎖の引き金となる可能性は嫌でもゴルフ関係者の頭をよぎる。
【「五輪とゴルフ」の未来】
たった1人、2人がきっかけとなり、連鎖的に辞退者が続出したリオ大会の際は、五輪におけるゴルフの脆弱さを思い知らされた。それでも、リオ大会でメダルを掲げた3人の選手たちの笑顔に魅せられた多くの選手が「東京五輪には出たい」と言った。しかし、今、その脆弱さを再び突きつけられる危機が忍び寄っている。
日本のゴルフ界に目をやれば、男子の代表候補筆頭の松山英樹は、リオ大会の際はジカ熱への不安や「五輪を目指してゴルフをやってきたわけではない」ことに言及し、出場を辞退した。だが、東京五輪には「日本開催だから出たい」と意欲を示している。
そして日本の女子選手たちは、畑岡奈紗、渋野日向子、鈴木愛が東京五輪出場を目指し、火花を散らしている。黄金世代の彼女たちや後続のプラチナ世代は、ティーンエイジャーのうちにゴルフが五輪競技に復帰したため、今すでに30歳前後かそれ以上の世代と比べれば、ゴルフと五輪が感覚的に結びつきやすいのかもしれない。
今後、日本のみならず世界の若い世代のゴルファーたちが、子どものころから「いつかは五輪でメダルを!」と目指しながら育ってくれたら、そしてこれからの五輪においてゴルフの歴史を積み上げることができれば、強固な土台が築かれ、1人の辞退者で連鎖反応を危惧することもなくなるのではないだろうか。
そこまで持っていけるかどうか。そこまで持ちこたえることができるかどうか。東京五輪は、五輪におけるゴルフの未来を左右することにもなると私は思う。だからこそ、今こそは、ゴルフ界の一致団結が求められる。