筆者も体験した「女性差別」が名門ミュアフィールドから無くなり、初の女性メンバーが誕生することの意義
英国ゴルフの名門、ミュアフィールドGCが1744年の創設以来、初の女性メンバー12名を7月1日から正式に受け入れることを発表し、世界のゴルフ界が賞賛している。
【過去の経緯】
ミュアフィールドといえば、過去16回、全英オープンの舞台になったスコットランドの名門プライベートクラブ。ゲーリー・プレーヤー(1959年)、ジャック・ニクラス(1966年)、トム・ワトソン(1980年)、ニック・ファルド(1987年、1992年)など過去の優勝者リストはそうそうたる顔ぶれだ。
日本の丸山茂樹が優勝争いに絡み、5位になった2002年大会もミュアフィールドが舞台。そのとき優勝したのはアーニー・エルスだった。
最も近年、ミュアフィールドで全英オープンが開催されたのは2013年大会。優勝したのはフィル・ミケルソン。そのとき、全英オープン初出場にして4位に食い込んだ松山英樹の大健闘は記憶に新しい。
全英オープンの舞台の中でも名門中の名門と呼ばれてきたミュアフィールド。だが、全英オープンを開催するR&Aは、2016年にミュアフィールドを全英オープン開催コースのローテーションから外してしまった。つまり、2013年の開催以後、ミュアフィールドは全英オープンの舞台にはなり得ない状況にあった。
その原因は、同クラブが創設以来、貫いていた「女人禁制」にあった。
【続々、門戸開放の中で】
近年、伝統や格式を重んじる欧米の名門クラブが、従来の「メンズクラブ」を脱却し、女性に門戸を開く動きが進んでいる。その先鞭をつけたのはマスターズの舞台となる米国ジョージア州のオーガスタ・ナショナル。同クラブが2012年に女性メンバー受け入れを決定すると、その2年後の2014年には英国のセント・アンドリュースも260年続いた「男性オンリー」にピリオドを打ち、女性受け入れを決めた。
2016年にはロイヤル・セント・ジョージズ、ロイヤル・トゥルーンなど英国の4つのクラブも、これらに追随する形で女性に門戸を開いた。
だからこそ、ミュアフィールドの姿勢にも注目と期待が寄せられた。だが、2016年5月に行なった同クラブメンバーたちによる投票では、ポリシー変更に必要な3分の2以上の票が得られなかったため、ミュアフィールドは従来通り、「男性オンリー」のままのクラブとして存続していくことが決まった。
この決定にはゴルフ界のみならず内外の各種団体、組織などからも批判や批難が殺到。そして、R&Aがミュアフィールドを全英オープン開催コースのローテーションから外した。
だが、名門ミュアフィールドを全英オープンの舞台へ戻したいと願うメンバーたちが動き、2017年に再度投票を行なったところ、80.2%が女性メンバー受け入れに賛成。規定変更に必要な3分の2以上を得票したため、晴れてポリシー変更が実現した。
【大切なのは未来】
その決定から2年が経過した今年、女人禁制だった275年の歴史を塗り替える初の女性メンバー12名が、男性新メンバー3名とともに、ついにミュアフィールドの門をくぐることになった。
「我々はミュアフィールドの豊かな歴史を誇りに思っているが、同時に、このクラブの素晴らしい伝統を新しいメンバーたちが享受する未来が楽しみでならない」とは同クラブのキャプテン、アリスター・キャンベル氏の喜びの言葉だ。
そう、守りたい伝統、守るべき伝統はもちろんあるが、一番大切なのは伝統の遺産を生かすべき未来だ。
実を言えば、私にもミュアフィールドで差別的待遇を受けた経験がある。丸山が優勝争いを演じ、4位に甘んじた2002年大会終了後、私は現地に数日間残り、ミュアフィールドのキャプテンなど数人に直接取材をする好機に恵まれた。
キャプテンらは、みな親切で、私のインタビューにきっちり対応してくれた。だが、取材後、「せっかくだから、お茶でもどうぞ」という段になった際、その部屋へ連れていってもらえたのは男性の編集者とカメラマンだけだった。
私だけは、一人の係員のエスコートで別の建物内の小さな小さな一室へ導かれ、そこに「お茶とお菓子」が運ばれ、たった一人で休憩した。もちろん親切で丁寧な接し方ではあったが、なんとも表現しようのない奇妙で屈辱的な体験だった。
ゴルフの世界に差別はあってほしくない。ゴルフ界のリーダー的存在である名門クラブであれば、なおさら、世界の範となるべき姿勢を取ってほしい。
紆余曲折があったが、ミュアフィールドがついに女性メンバーを「ウエルカム!」と迎え入れる7月1日はゴルフ界の歴史的な1日になるはずだ。
そして、全英開催コースが現在未定の2023年以降に、ミュアフィールドで全英オープンが開催される日が、再び到来するはず。その日が今から楽しみだ。