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世界最強、優勝候補筆頭が転倒して棄権するまで。ダスティン・ジョンソンの23時間

舩越園子ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学・客員教授
ショートアイアンで軽く試打。「フツウにスイングできない」。痛みは癒えなかった(写真:ロイター/アフロ)

「プレーしたい。プレーしたいんだ。でも、問題はスイングできないことだ」

オーガスタ・ナショナルのクラブハウス前。午後2時3分、初日の最終組でティオフするはずだったダスティン・ジョンソンは、練習場から1番ティに向かって歩き出したが、その途上でふいに足を止め、方向転換。大会関係者に棄権する意志を伝えた。

何十人もの世界のメディアに囲まれたジョンソンは終始、下を向き、悔しそうに「プレーしたい。プレーしたかった」と繰り返した。

世界ナンバー1、世界最強で、マスターズ優勝候補の筆頭だったジョンソンが、まさかこんな形で戦線離脱するとは、誰一人、想像すらしていなかった。

【なぜ、こんなことに?】

マスターズ開幕前日の水曜日の午後3時ごろ。悪天候でオーガスタがクローズになり、宿舎としてコース近郊に借りている民家へ引き上げてきたジョンソンは、屋外に停めていた車を動かすために外に出ようとした。その際、家の中の階段で足を踏み外し、背中側から転落。腰の左下部と左ひじを強打し、内出血を起こして赤黒く腫れ上がった。

家の中にいた婚約者のポーリナは「雷のように大きな音を聞いた」という。

「なぜ、こんなことになってしまったんだ?」

駆け付けたマネージャーの顔を見るなり、ジョンソンはそう叫びながら悲痛な声を上げたそうだ。

腰もひじも痛みがひどく、医師による処置を受け、消炎鎮痛剤が処方された。数時間後、マネージャーは事故の事実を大会側とメディアに伝える声明を出したが、「明日、ティオフできるかどうかはわからない」とされていた。

幸いにも初日のジョンソンは午後2時3分の最終スタート。事故からスタートまで23時間。その時間内でなんとか痛みが治まり、プレー可能になることが望まれていた。

【苦渋の決断】

そして初日。正午すぎにオーガスタに到着したジョンソンは午後1時少し前から練習場でゆっくり球を打ち始めた。とはいえ、ショートアイアンで軽く打ちながら様子を見るだけ。

それでも、しばらくすると痛みが悪化したようで、トレーラーの中へ入っていき、痛み止めの処置を受けて再び練習場へ戻ってきた。

時計が2時を指したとき、ジョンソンは1番ティへ向かって歩き出した。

「ダスティンはティオフするぞ」

誰もがそう思ったが、ジョンソンは途中でふいに足を止め、方向転換してクラブハウス方向へ。そして大会側に棄権の意志を伝えた。

それは苦渋の決断だった。

【あと2日あったら、、、、】

「くそっ!プレーしたいんだよ」

悔しさと怒りをぶつける先が無いという様子で、珍しくそんな言葉を大勢のメディアの前で吐き捨てるように言った。

「たぶん今、僕はキャリアで最高のゴルフをしている。それなのに、、、、」

「マスターズは僕が大好きな大会の1つ。それなのに、、、、、」

悔しさばかりが込み上げた。

「どうして昨日だったんだ。どうしてあんなところで転んだんだ。プレーしたかった。プレーしたかった。問題は、スイングできないってことだ」

短いクラブだけなら、なんとか打つことはできたが、ミドルアイアン以上は「フツウのスイングができない。最大で80%しかスイングできない」

それは、このオーガスタでグリーンジャケットを羽織るための戦いに耐えられるものではない。それを痛いほどわかっているからこそ、ジョンソンは棄権を決意せざるを得なかったのだ。

事故からスタート時間まで、ほぼ23時間。冷やしたり温めたり、できる限りのトリートメントを受け続けたが、23時間では治らなかった。

「あと2日あれば、たぶん治る。戦えるようになる。転んだのが月曜日だったらプレーできたと思う。なぜ、水曜日だった。なぜ、、、、、」

それ以上は言葉にならなかった。

ジョンソンはメジャー大会で、どうしてだか“事件”に遭遇してしまう。2010年全米オープンで最終日に「82」と崩れて勝利を逃し、その年の全米プロでは72ホール目にバンカーでソールしてプレーオフ進出を逃した。2015年の全米オープンでは72ホール目に3パットして目前の優勝を自ら手放し、昨年の全米オープンではルール上の珍事に巻き込まれた。それでも優勝をもぎ取り、ついに悲願のメジャー優勝を果たしたが、2つ目のメジャータイトルは予期せぬ形で遠のいた。

だが、ジョンソンは何度“事件”に遭遇しても立ち直ってきたからこそ、世界ナンバー1に輝く今に至ったのだ。

このままでは終わらせない――胸の中で、そう誓っているに違いない。

ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学・客員教授

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。百貨店、広告代理店勤務を経て1989年に独立。1993年渡米後、25年間、在米ゴルフジャーナリストとして米ツアー選手と直に接しながら米国ゴルフの魅力を発信。選手のヒューマンな一面を独特の表現で綴る“舩越節”には根強いファンが多い。2019年からは日本が拠点。ゴルフジャーナリストとして多数の連載を持ち、執筆を続ける一方で、テレビ、ラジオ、講演、武蔵丘短期大学客員教授など活動範囲を広げている。ラジオ番組「舩越園子のゴルフコラム」四国放送、栃木放送、新潟放送、ラジオ福島、熊本放送でネット中。GTPA(日本ゴルフトーナメント振興協会)理事。著書訳書多数。

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