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麻薬、誘拐、抗争。コロンビアで成り上がった日本人エメラルド王の今

藤岡利充映画監督・映像ディレクター
エメラルド原石と早田(2008年頃)コロンビア ボゴタ  写真:釣崎 清隆

製作費三億円、規格外の自主映画

 2005年2月。「エメラルド・カウボーイ」という映画が日本で公開された。コロンビアのエメラルド鉱山を舞台に、一人の日本人が困難を乗り越え「エメラルド王」に上り詰めていくストーリーだ。フィクションならB級映画のストーリーラインだが、すべて実話をもとにしている。映画製作費は3億円。エメラルド王本人が製作費を出し、本人役を演じ、劇中で使用された銃はすべて本物という規格外の自主映画だ。

 2019年11月。その映画製作者でエメラルド王の早田英志(はやた えいし)をインタビューする機会を得た。当時79歳。新宿の小さなバーに現れた早田は、体格は小柄で、サングラスをかけていること以外、服装も含め、どう見ても普通のおじいちゃんだった。とても「エメラルド王」には見えない。

「サングラスはどうしましょう。外した方が良いですか?」

 エメラルド王としてカメラにどう見せたら良いか、早田はこちらに指示を仰いだ。サングラスを野球帽の上にひっかけ、ジャンパーを脱いで始まったインタビューは、5時間に及ぶ。それらを短くまとめた動画はこちらだ。

↓エメラルド王の独白(再生時間15分)

高みを目指し挫折したインテリ

 早田英志は1940年、埼玉県熊谷市に五人兄弟の次男として生まれた。戦争中に熊本へ疎開、そのまま小中高を過ごす。高校卒業後は、東大を目指して2浪の末、東京教育大学(現筑波大学)へ入学。卒業後は、日本の航空会社へ就職しようとするも挫折。1965年25歳のときにアメリカのノースウエスト航空へ就職した。

「もともと日本を出ようと思ったのは、就活で差別を感じたからです。志望した航空会社の採用担当者から、あなたの大学は指定校じゃないから推薦できないと言われた。僕は成績優秀じゃないので、推薦を使わず一般公募の倍率で就職を勝ち残るのは無理です。この学歴差別に憤ったのが日本を出るきっかけです」

航空会社勤務時代の早田 英志 提供:HIROKO HAYATA
航空会社勤務時代の早田 英志 提供:HIROKO HAYATA

コロンビアに見たアメリカ西部開拓時代

 その後、パンアメリカン航空へ転職し飛行機のメカニックとして働き始めた早田は、30歳で新しい道を選ぶ。1971年、中南米のコスタリカ国立大学医学部へ入学。そこで、あるニュースを見た。

「コスタリカで近隣のコロンビアのニュースが頻繁に報道されていた。麻薬マフィアの抗争。それからエスメラルデーロ(エメラルドに携わる人)の抗争。違法なコカインとかドラッグは全く興味なかったけど、エメラルドは全くの合法です。おお!コロンビアにはアメリカの西部劇のような世界があるのか。これは面白い!と思ったわけです」

首都ボゴタから約200kmのところにエメラルド鉱山地帯がある
首都ボゴタから約200kmのところにエメラルド鉱山地帯がある

 コロンビアは世界最大のエメラルドの産出・輸出国である。当時は多数の左翼ゲリラ組織や極右民兵団が暗躍し、殺人、テロや誘拐などが頻発、社会不安が高まっていた。エメラルド鉱山地帯はエスメラルデーロが支配し、その抗争は「エメラルド戦争(グリーンウォー)」と呼ばれた。

鉱山地帯でエメラルド・カウボーイ

 1974年、母の死去で帰国していた早田は、日本の宝石会社のプロジェクトに雇われ、コロンビアへ渡った。34歳のときである。(宝石会社は半年後に倒産)

「最初は原石を商売にするエメラルド・カウボーイ(原石屋)です。バスで鉱山へ行って、採掘された原石を買って、売る。僕は現金24万円で始めた。それが倍々ゲームで売れた。24万円が50万円になる。50万円が100万円になる。そんな調子で商売をして、2〜3年したら500万円のジープが買えた。4〜5年たつと、別の日本の宝石業者からエメラルドの輸出業者になってくれと頼まれた。それから一気に日本のシェアをとって行った」

エメラルド・カウボーイ時代の早田。原石の値段交渉をしている。 提供:HIROKO HAYATA
エメラルド・カウボーイ時代の早田。原石の値段交渉をしている。 提供:HIROKO HAYATA

合法的なエメラルド王

 早田がエメラルド・カウボーイとして活動し始めた頃、日本は高度経済成長から安定経済成長に入り、高級品のエメラルド需要は急激に高まっていた。1990年、コロンビアから日本のエメラルド(他貴金属含む)輸入額は150億円近くまで拡大した。(参照:コロンビア 71類 財務省貿易統計)

 日本市場が大きくなれば、日本人との太いパイプを持つ早田の取引量も大きくなる。さらにエメラルドの輸出だけでなく、鉱山主として採掘も始め、いつしか早田は『エメラルド王』と呼ばれるようになった。

ボディーガードと早田(68歳頃) コロンビア ボゴタ  写真:釣崎 清隆
ボディーガードと早田(68歳頃) コロンビア ボゴタ  写真:釣崎 清隆

「日本のテレビなどで、世界で一番エメラルドの取引量が多いから『エメラルド王』と紹介されましたね。でも、コロンビアの鉱山王はビクトル・カランサという男。彼は全ムッソー(コロンビア最大のエメラルド鉱山)の鉱山主でしたから。僕はあくまで二番手。僕は合法的なビジネス輸出でエメラルド王だった」

 ビクトル・カランサとはコロンビアで「エメラルド皇帝」と呼ばれ恐れられたエスメラルデーロだ。コロンビア最大の鉱山主で、カランサによって起こされたエメラルドウォーでは数千人の死者が出たとされる。また麻薬取引にも深く関わっている疑いを持たれていた。(2013年に病没)

エメラルドの影

「エメラルド鉱山主仲間のほとんどは、コカインビジネスをやっていた。彼らからしたらどっちも一緒。でも、僕はコカインをやらなかった。ある時、マフィアの大物が訪ねてきて、あんたの輸出額10億円貸してくれれば3億円輸出できると頼まれたこともあった。もちろん、拒否した。エメラルドは合法だけど、コカインは違法。家族や、お客さんに迷惑がかかることはできない。それが『日本人の誇り』です」

 コロンビアのエメラルドには裏の顔があった。麻薬密輸業者がエメラルド業者に輸出額の水増しを依頼し、その水増し分で麻薬の代金決済をすることがあった。共同通信(2002年9月25日記事)によると、縮小する日本エメラルド市場をよそに、アメリカ市場は過去25年で10倍増という異常な伸びをみせたとある。そこには麻薬の資金洗浄の疑いがあった。合法的な輸出王となった早田にもその誘惑があった。

「今でも鉱山仲間が言う。早田、お前がこっちの世界に入っていれば、お前の頭脳と統率力でパブロ・エスコバル並、いやそれ以上になれただろうよって(笑)」

(パブロ・エスコバルはコロンビアの有名なコカインマフィア。麻薬王と呼ばれNETFLIXでドラマ化もされた。1993年射殺)

身代金目当ての誘拐が頻発

 さらに麻薬だけでなく、誘拐の危険もあった。コロンビアではゲリラやマフィアの有力な資金源として誘拐が頻発。日本人もたくさん誘拐されている。早田自身もその危険に何度もあい、切り抜けてきた。

「あれ、誘拐されるのは、ドジなんです。コロンビアではルーザー(敗者)。鉱山主は絶対にやられない。あれはきちんと防衛していない人がやられる。だから僕自身はできない。やるとしたら家族を狙ってくる」

 誘拐される側に問題ありとするのは、一般人からすると理解できない感覚だが、そこはエメラルド王たる所以の言葉。早田自身は、娘の誘拐未遂事件をきっかけに、1982年に家族を安全なロサンゼルスに移住させた。

(2016年時点でコロンビアの誘拐被害は188人まで減っている)

ライバルとの抗争中に映画製作

2001年、友人の薦めもあり、早田は映画製作を始めた。

「なぜ映画を作ろうと思ったか。それは冒険ですよ。当時、友人のハリウッドの映画プロデューサーが言った。お前が白人なら間違いなくアメリカで大ヒットの物語だ」

映画「エメラルド・カウボーイ」より (c) 2002 Andes Art Films
映画「エメラルド・カウボーイ」より (c) 2002 Andes Art Films

 撮影は困難を極めた。早田役を演じる予定だったアメリカ人俳優は、危険なコロンビア撮影を嫌がり、序盤で帰国。急遽、早田本人が早田役を演じることとなった。しかも同時期、早田はライバル鉱山主と抗争中で、そのために用意されていた銃は、そのまま映画の小道具となった。完成した映画は2003年に全米25都市で公開、翌年にはコロンビアでも公開。2005年、満を持して日本で公開するも、ヒットしなかった。早田は、その悔しい気持ちを正直に語った。

「当たればよかったけど、当たらなかった。だから、結果としては作らなかった方が良かったと思う。お金じゃないですよ。かけたお金はたかだか数億円。お金なんか一銭も儲けなくていいけども、人々が受け入れてくれないのだったら、バカの一人踊りになっちゃいます。映画の目的は作ることじゃなくて、多くの人に届くことですからね」

逮捕か暗殺か。冒険者の黄昏。

 2008年、リーマンショックで世界的な金融危機となり、早田もそのあおりを受けた。鉱山、輸出、警備会社の3本柱だった彼の会社は、まず警備会社が倒産。日本へのエメラルド輸出も激減し、コロンビア政府による鉱山への規制・統制も厳しくなった。2013年、早田の会社はすべて倒産、コロンビアを去った。

2019年11月 東京 新宿 (c)タイクーン・ピクチャーズ
2019年11月 東京 新宿 (c)タイクーン・ピクチャーズ

「僕は国を作りたかった。稼いだお金で何十人、何百人の早田帝国を作って喜んでいた。でも時代の趨勢でそれも終わった。伝え聞くエメラルド仲間の多くは悲惨な最後です。みんな追求を受けるんです。ダメになった時に、過去の古傷が現れて、逮捕や暗殺される」

 実は、早田の前に初代日本人エメラルド王Kがいた。早田とも親交のあったKは1985年、麻薬取引で逮捕・収監された。郷に入れば郷に従え。日本人であろうともKのように変容するものもいる。

 早田がエメラルド王として成功し、逮捕されず、殺されず、倒産後も静かに暮らせているのは、『日本人』という枠組みをギリギリで守ったことかもしれない。しかし、本人の心中は違うようだ。

「でも倒産したとき、ちょっと思った。麻薬取引をやっていれば面白かったのかなと。それはお金の魅力じゃなくて、冒険を求めて一線を超える魅力。『日本人の誇り』の次に『何』が自分を幸せにするのか、を考えることは今もしばしばある」

 現在、早田はアメリカのロサンゼルスで娘家族と共に暮らしている。

「僕は今、小説を書いています。スケールの大きい恋愛大河」

 彼の新しい冒険は、銃を使わず、ペンとパソコンで、日本の文学賞を狙うことだ。

早田 英志(はやた えいし) 略歴:1940年埼玉県生まれ。東京教育大学(現筑波大学)卒。ノースウエスト航空、パンアメリカン航空に勤務。1971年コスタリカ国立大学医学部入学。1974年コロンビアに渡りエスメラルデーロになる。1979年ハヤタ・ユニオンを設立。1994年コロンビア・エメラルド・センター設立。2005年映画「エメラルド・カウボーイ」日本公開。2013年会社がすべて倒産。コロンビアを去る。現在、アメリカ・ロサンゼルスで暮らす。著書「死なない限り問題はない」(東京キララ社)ほか。

早田英志ブログ

参考文献:エメラルド・カウボーイ 早田英志(太田出版)/死なない限り問題はない 早田英志(東京キララ社)/エメラルド・カウボーイズ 早田英志(PHP研究所)/エメラルド王 早田英志・釣崎清隆(新潮社)/コロンビア内戦 伊高浩昭(論創社)/映画「エメラルド・カウボーイ」 DVD(アップリンク)

映画監督・映像ディレクター

山口県出身。1976年生まれ、立命館大学卒。2013年、マック赤坂などに密着したドキュメンタリー映画「立候補」を発表。選挙を新しい角度で切り取った内容が国内外で評価を受ける。ポレポレ東中野にて7ヶ月のロングラン上映を記録。毎日映画コンクールドキュメンタリー映画賞を受賞。第一回Yahoo!オーサー映像アワード受賞。他にXbox360「ハイデフ」篇・マイクロソフト「私の夢」篇などのCMやTV番組の演出も手がける。ポプラ社より「泡沫候補」を出版。 (株)タイクーン・ピクチャーズ取締役・ワードアンドセンテンス合同会社役員。

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