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癌で養母を失い再起を誓ったジョブズ  〜スティーブ・ジョブズの成長物語〜挫折篇(6)

榎本幹朗作家/音楽産業を専門とするコンサルタント
(写真:ロイター/アフロ)

Appleから逃げるように去り、人生の目標を失ったジョブズだったが、癌の遺伝子治療に役立つワークステーションを創ろうと決意。ネクスト社を創業し、再起した。彼の新作ネクスト・キューブには後のiPhoneの中核技術が宿されており、それは巡り巡って音楽産業を救うことになるが、当時、誰も知る由もなかった。

■Appleから追放。癌で養母を失い再起を誓ったジョブズ

 うららかな土曜日のことだった。メンロパークにある広場の芝生では、子どもたちが駆けまわり、大人たちはホットドッグを頬張ってジョブズのひらいたピクニックを楽しんでいた。

 三十代の半ばに達したジョブズは少し離れた木陰で、社員の家族たちの笑い声を聴いていた。側には友人の記者がいた。この新しい会社にとって家族の支えがいかに大切か。切々と語ったという[1]。彼は変わりつつあった。それは私生活にも現れていた。

 ジョブズはかつて自分の赤ん坊を頑なに認知せず、遺伝子検査が陽性でもパートナーに押し付けてスキャンダルになったことがある。そのまま豪邸で一人暮らしを続けていたが、Appleから追放されてから、娘の暮らす家にふらりと姿を現すようになった。

 ほどなく父性に目覚めた彼は、娘のリサを引き取ることにした。引っ越してきた十四歳の少女は健気に喜んで父の隣部屋を選ぼうとした。ジョブズはよき父親になろうと彼なりに努力していたが、娘が高校生になった頃には関係がぎこちなくなっていた。

 ネクストの社員と子どもたちの笑い声がさざめくなか、ジョブズの面持ちは重たげだった。

「プレッシャーを感じていたんじゃないかしら」と財務責任者だったスーザン・バーンズは振り返る。ネクストの社員だけでない。その家族の生活もまた、彼の肩にのしかかっていた。

 育ての親が肺癌になったのを機に、病人へ無類の共感を見せるようになったように、家族を持ったジョブズは、家族持ちのスタッフに痛切な責任感を感じるようになっていた。

 ネクストの「めちゃめちゃ凄い」ワークステーションは、全く売れてなかった。

 大学向けのワークステーションを創る。そう決めたのはAppleを辞めたあと、スタンフォード大学の図書館に通いつめた時だ。進路に迷った高校時代も、Appleを創業する前もここに通った。人生に迷うと本を読み漁るのが彼の癖だった。

 Appleを退社した時の契約で、次に興した会社では、個人消費者向けにコンピュータを創ることを禁じられていた。つまりパソコンはもう創れない。人生の目標を失った彼は、齢三十にして早くも中年の危機を体験しつつあった。

 政治家への転身も考えた。宇宙船スペースシャトルのクルー募集にも応募したが、落選した。当選した小学校教師クリスタ・マコーリフを載せたチャレンジャー号は、生中継のさなか爆発し、空に散った。

 そんなある日、スタンフォード大学の側にあるカフェテリアでのことだった。

 ランチを共にした生化学の教授が、遺伝子治療の研究で困っていることがあると話し始めた。計算が複雑で、実験に時間がかかりすぎるというのだ。

 その瞬間、ジョブズの目が輝いたと教授は振り返る。

 大学向けのワークステーションを創れば、もう一度、世界を変えられるのではないか。学生や教授がコンピュータで気軽にシミュレーションできるようになれば、様々な研究、とりわけ製薬や先端医療は飛躍的に進むだろう。かれはその年、末期癌で痩せこけた養母クララを失おうとしていた。

「大学に普及させれば、癌の治療法だって見つかるかもしれないんだ!」[2]

 それが才あるエンジニアを新たな会社に誘う際の、彼の口説き文句となった。ネクスト社を代表するソフトウェアの魔術師となったアニー・テヴァニヤンも、そんなふうに説得されて入社した。大学で教授とともにMach(マーク)カーネルを創りあげた若者だ。

 彼の手掛けたMach(マーク)カーネルはやがてネクストのOS、新生MacのOS X、そしてiPhoneのiOSの中核となる。

 若きテヴァニヤンは毎日、計算機を叩いては溜め息をつくことになったという。彼は天まで昇る勢いだったマイクロソフトの誘いを断って、ネクストに来たのだった。マイクロソフトに行けばもらえるはずだったストックオプションの金額は株価の急騰で、ものすごい数字になっていた。

 ネクスト社の給料は、どの社員も一律で一緒だった。Mac部門で給料の差異を知った社員たちがやる気を失ったのを反省し、どの社員も平等に大切にしたかったのである。だがそれはそれでやる気の出ないものだし、他社から人材を集めにくい。ジョブズの給料フラット制はやがて有名無実化した。

    × × ×

 一九八八年一〇月。三年ぶりに登壇したカリスマに世界は熱狂した。

 製品発表の会場にオーケストラ・ホールを選んだのは、おそらくデスクトップ上で動くものでは世界初となるソフト・シンセサイザーを、魔術師テヴァニヤンがネクストで作り上げたからだ。

 そこには「失敗したらネクストは倒産」と知らない大人から聞きつけた十歳のリサが父を励まそうと、泣きそうになりながら健気に駆けつけ、最前列で座って見守っていた。

 ネクスト・キューブが、ヴァイオリニストとともにバッハの協奏曲イ短調を生演奏すると、初代Macが世界初の美しいフォント表示を見せた時のようにスタンディング・オベーションが起こった。

 研究の世界だけでない。ネクスト・キューブに込められた技術は、音楽の世界すら変えるのかもしれない…。

「史上かつてない大騒ぎとなった」とタイム誌はイベントを評し、「近年、いちばんエキサイティングなマシン」とニューズウィーク誌は新製品を賞賛した。

 彼の意図通り報道は過熱した。だが、ジョブズ入魂のワークステーション、ネクスト・キューブは全く売れなかった。 (続く

■本稿は「音楽が未来を連れてくる(DU BOOKS刊)」の続編原稿をYahoo!ニュース 個人用に編集した記事となります。

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[1] Brent Schlender, Rick Tetzeli "Becoming Steve Jobs" (2015), Crown Business, Chap. 4, p.115

[2] Alan Deutschman "The Second Coming of Steve Jobs" (2001), Crown Business, Chap. 1, p.46

作家/音楽産業を専門とするコンサルタント

寄稿先はNewsPicks、Wired、文藝春秋、新潮、プレジデント。取材協力は朝日新聞、ブルームバーグ、ダイヤモンド。ゲスト出演はNHK、テレビ朝日、日本テレビ等。1974年東京都生まれ。2017年まで京都精華大学非常勤講師。上智大学英文科中退。在学中から制作活動を続け2000年、音楽TV局のライブ配信部門に所属するディレクターに。草創期からストリーミングの専門家となる。2003年、チケット会社ぴあに移籍後独立。音楽配信・音楽ハード等の専門コンサルタントに。著書「音楽が未来を連れてくる」「THE NEXT BIG THING スティーブ・ジョブズと日本の環太平洋創作戦記」(DU BOOKS)

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