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iPhoneを予感していた29歳のジョブズ〜iPhone誕生物語(1)

榎本幹朗作家/音楽産業を専門とするコンサルタント
若きジョブズはスマートフォンの時代を予感していた(写真:ロイター/アフロ)

■スマートフォンを予見していたジョブズ

「スティーブ、これはなんだい?」

 執務室を訪れたスカリー(Apple社 元CEO)が若きジョブズに尋ねた。およそ34年前、マッキントッシュが誕生して間もない頃だ(※1)。

「これは未来だ。ぜひあなたに見てほしい」

 そう答えると、ジョブズは立ち上がって机上のベルベットを取り払った。小さな端末らしきものが顕れた。キーボードはついていない。端末を覆うスクリーンを、直接タッチして操作できるのだろうか。HP社がタッチパネル式のデスクトップPCを商品化したばかりだった(※2)。

 謎解きを試みるスカリーに微笑みながらジョブズは、これは未来の電話だと言った。「Mac Phone」とそのモックを呼んだという。

「いつの日かAppleは、こうしたプロダクトを創ることになるだろう」

 あの日、29歳のジョブズがそういったのをスカリーは確かに覚えている。その頃のふたりは日がな語り合う仲だった。仕事だけでなく、芸術について、音楽について、人生についても語り合った。ある週末のことだ。

「自分は早く死ぬと思う」

 ブランチのあとジョブズは、スカリーにそう打ち明けた。恋人やごく親しい友人にしか漏らしたことのない、理由なき不安だった(※3)。

「人生は短い。自分ができる本当に凄いことは、ごく僅かしかないと思うんだ」

 なぜジョブズが駆り立てられるように働くのか。スカリーは理由に触れた気がした。同じ時期、ジョブズはインタビューでこう答えている(※4)。

「30代、40代になったアーティストが、もの凄い作品で寄与するケースは滅多にない」

 人の脳はコンピュータのようなもので、何かを考える度に化学パターンが脳に刻み込まれている。できあがった神経回路は使うほどに強化され、人を有能にしてくれる。だが回路が太くなるに連れ、思考はレコードの溝に嵌ったようになり、自らの思考を根底から疑わなくなる。

 そうして革命的なものづくりからかけ離れた中年ができあがるのだと、ジョブズは考えていた。彼は若き日に、人工知能(AI)について聴き学んだのだろう。ニューラルネットワーク論に基づいた洞察だったように思う。

 後年、ジョブズはクリステンセン教授の『イノベーションのジレンマ』に出会うが、そこには似たようなことが書かれていた。

 ベンチャー企業が成功して刻がたつと、みずからの創りあげたバリューシステム、自分たちに富をもたらしたエコシステムを捨てることが出来なくなる。新しいエコシステムが登場して、そちらが伸びると分かっていても、乗り換えできずに衰退するのだ、と。そこに社員や下請けの家族や生活がぶら下がっていて、無慈悲に捨てられないからだ。

 20代の今しか、生きた証と誇れるものづくりはできないかもしれない...。

若きジョブズは生き急いだ。

 CPUのロードマップを見誤って、次期Macの開発を失敗させた。過大な要求に疲れたエンジニアたちの大量退職を招いた。そしてスカリーたち経営陣と対立し、Appleから追放された。

「これから何をして生きればいいのか。何ヶ月もの間、私にはわかりませんでした」

 20年後、スタンフォード大学の卒業式典でジョブズは語った(※5)。金ならあった。いっそシリコンバレーから逃げて隠遁してしまうか。結局、何かを創ることへの激しい愛をどうしても消せなかったので、ジョブズは再起を選んだ。

「そのときはわかりませんでしたが、結局、Appleから追放されたのは人生で最良の出来事だったのです」

 新たに興したNeXT社とPixar社は、Appleの創立のようにはいかなかった。Pixarは2年でキャッシュが枯渇。NeXTは6年で累積2億5000万ドルの赤字となった(※6)。両社ともハードウェア事業から撤退を余儀なくされ、OSとコンテンツに向かわざるをえなくなった。だが、ジョブズは挑戦者であることをやめなかった。

「重圧に苦しむ成功者から身軽な挑戦者に戻れました。物事に対する思い込みも薄れました」

 失意が、30代の頭脳に出来上がったレコードの溝を消してくれた。PixarのCG専用ワークステーションは売れなかったので、大胆に業転してアニメ・コンテンツの制作に専念した。NeXTもワークステーションの製作・販売を捨て、次世代OSの開発に集中した。 ハードを捨てるなど、若きジョブズの思考パターンには無かった発想だ。

「おかげで私は解放され、人生で最もクリエィティブな期間に入ることができたのです」

 やがてPixarは低迷していたディズニー・アニメの救世主となり、次世代OSの開発に失敗したAppleも、NeXT OSを求めてジョブズに復帰を請うこととなった。

それだけでない。今振り返ればわかる。この時期の仕事は、iTunesを超える革命で世界の音楽産業に復活をもたらすことにもつながっていた。

「将来を見ながら点と点を結ぶことなど誰もできません。出来るのは振り返って結び合わせることだけです」

 だが、いつの日か点と点は結ばれる。そう信じた者だけが、異なる結果を得るとジョブズは学生たちに語りかけた。すべてが結び合わさり、衰退に苦しんだAppleと音楽産業に復活が訪れる物語を、これから書いてゆこう(続く)。

■本稿は「音楽が未来を連れてくる(DU BOOKS刊)」の一部をYahoo!ニュース 個人用に編集した記事となります。

関連記事:

iPod誕生の裏側~スティーブ・ジョブズが世界の音楽産業にもたらしたもの(1)

※1 NHKスペシャル取材班編『Steve Jobs Special ジョブズと11人の証言』(2012年) NHK出版, pp.152

※2 http://www.hpmuseum.net/display_item.php?hw=43

※3 『Playboy』1985年2月号

※4 http://news.stanford.edu/news/2005/june15/jobs-061505.html

※5 Pixarについては、アイザックソン『スティーブ・ジョブズI』pp.383、NeXTについては、脇英世 著『IT業界の冒険者たち』ソフトバンククリエイティブ (2002)、スティーブ・ジョブズの章

※6 http://jobs.aol.com/articles/2011/08/25/timeline-of-a-revolutionary-the-rise-of-steve-jobs/

作家/音楽産業を専門とするコンサルタント

寄稿先はNewsPicks、Wired、文藝春秋、新潮、プレジデント。取材協力は朝日新聞、ブルームバーグ、ダイヤモンド。ゲスト出演はNHK、テレビ朝日、日本テレビ等。1974年東京都生まれ。2017年まで京都精華大学非常勤講師。上智大学英文科中退。在学中から制作活動を続け2000年、音楽TV局のライブ配信部門に所属するディレクターに。草創期からストリーミングの専門家となる。2003年、チケット会社ぴあに移籍後独立。音楽配信・音楽ハード等の専門コンサルタントに。著書「音楽が未来を連れてくる」「THE NEXT BIG THING スティーブ・ジョブズと日本の環太平洋創作戦記」(DU BOOKS)

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