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幼稚な起業家と成功する起業家の根本的な違い 幻想から脱却せよ

遠藤司皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー
(写真:アフロ)

 2月8日、東洋経済オンラインに「「起業家が育たない日本」はまともな社会だ」と題する記事が掲載された。

 記事では、カート・アンダーセンの『ファンタジーランド』が取り上げられる。トランプ政権を生み出したのは、アメリカ人の現実と幻想の区別がつかない国民性にある。アメリカ人は、3分の2が、天使や悪魔がこの世で活躍していると信じている。3分の1以上が、地球温暖化は科学者や政府やマスコミの共謀による作り話だと信じている。3分の1が、政府は製薬会社と結託し、ガンが自然治癒する証拠を隠蔽していると信じている。4分の1が、ワクチンを接種すると自閉症になると信じている。なんとも興味深い話である。

 こうした国民性を生み出したのは、権威を疑い、体制に逆らい、自由と平等を絶対視することで価値相対主義を招いた、リベラル派(左派)である。この風潮を徹底していけば、客観と主観、あるいは現実と幻想の区別がなくなっていくのも当然であろう。相対主義の帰結は、自由放任主義や自己中心的な個人主義である。このようなアメリカ人の幼児性が、トランプ政権を生み出したのである。

 ところで、このアメリカというファンタジーランドを象徴するのが、シリコンバレーの起業家だ。才能豊かな若者が大きな夢を抱き、起業する。彼ら起業家の象徴は、例えばスティーブ・ジョブズである。大企業に立ち向かう起業家は、反体制的な個人主義の理想にも合致する。日本では起業家が育たないと嘆く声が絶えないが、それもそのはず。ファンタジーランドの幻想をいくら追いかけたところで、現実にはならないのだから。

 以上が記事の内容である。たしかに幻想を求めるばかりの起業家は、成功にはほど遠いように思う。しかし、ちょっと待ってほしい。日本の起業家は、このようなアメリカ的(?)な起業家像に当てはまるものだろうか。また、記事のタイトルにあるように、起業家が育たない日本は本当にまともな社会だと言えるのだろうか。より深く検討してみる必要がある。

日本の起業家は何を目指しているのか

 筆者の話で恐縮だが、学生時代に、とある政治家にお会いしたことがある。そのセンセイは、将来は総理大臣になるのだと、語気を強めて主張していた。立派な人だと思った筆者は、総理になったらどんな政策を実行するのかと、率直に聞いてみた。しかし、政策に関する答えは返ってこなかった。男ならやはり大きな夢を抱かなければ、というのが答えであった。

 また筆者は、大学で経営学やイノベーションを教えているのだが、何かの集まりに参加すると、自分も起業したいだとか、成功したいなどと言ってくる人たちが現れる。どのようなビジネスで起業するのかと聞くと、それを考えているのだという返答が返ってくることが多い。もっと酷い人は、儲かるビジネスを教えてくれ、とまで言い放つ。たとえ知っていたとしても、彼らには教えたくない。

 このような、単にビッグになりたいという大望を抱く人には、筆者もまた違和感を覚える。なぜならそこには、世の中をよくしたいとか、困っている人を助けたいといった社会貢献の視点がないからである。彼らは、ビッグになること、起業すること、大金を稼ぐことが目的化しており、それゆえ自己中心的で、他者への配慮に欠けている。そのような幼稚な考えでは、成功を収められるはずがない。

 実際に起業した日本の起業家は、彼らと同じような考えを持っているのだろうか。「ベンチャー白書2018」によれば、日本の起業家の主な起業の動機は「自分のアイデアや知識・技術を活かしたい」(60.9%)と「社会的な課題を解決したい、社会の役に立ちたい」(59.8%)である。「経済的な成果を得たい」と回答した人は、24.6% しかいない。ようするに彼らは、アメリカ的な幻想を抱いて起業したのではない。自らの手で現状を変え、よき社会を実現しようとして、新たなビジネスに乗り出したのである。

 日本の起業家には、自らの強みを活かし、他者のために貢献しようという姿勢がみられるのである。だからこそ彼らは、困難な道のりを乗り越えて、起業に成功した。幻想から逃れ、地に足をつけて歩み出すことができたのである。

ビジネスの本質に立ち帰れ

 過去に何度も述べてきたことだが、ビジネスとは、他者に貢献することで、感謝の気持ちとしてお金をもらうことである。また、より大きな貢献がしたければ、自分が得意としていることを仕事にしたほうがよい。自らの能力を活かして、他者にいかなる貢献ができるのか。これを考えたときに、起業の道は開かれる。

 たしかに日本では、起業家が育たない。中小企業白書によれば、2016年の日本の開業率は 5.6% であり、イギリスの 14.6%、フランスの 12.7% と比べると、著しく低い。とはいえ、これをもって「まともな社会だ」などと言い切ることはできない。社会に何ら問題がなく、困っている人もいなければ、新たなビジネスは必要ないだろう。だが、すべての人が認めるように、わが国は問題だらけである。そうであれば、一念発起して起業し、よりよい社会を実現しようという気概のある人が育たないことは、相当まずい状況であると言わざるをえない。

 失敗を許容せず、再チャレンジの難しい日本において起業に成功した人たちに対し、筆者は敬意を表する。彼らは他者に貢献しようとし、覚悟を決めた人たちである。そういう人たちが、健全な社会をつくり上げていく。その社会は、ファンタジーランドなどではなく、われわれの望むところの、現実的な、人々の生活するよき社会である。

皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。複数の団体の理事や役員等を務めつつ、実践的な経営手法の開発に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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