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MITの教授が語る、AI時代の教育システム 「人間はロボットではない」

遠藤司皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー
(写真:アフロ)

 6月12日、MITテクノロジーレビューに「教育への投資が自動化と戦う武器になる――MITのアシモグル教授」と題する記事が掲載された。

 AIやロボットは、本来、賃金や労働需要を増やす便利な「実現技術」のはずだ。しかし現実には、人間の仕事を奪う「置換技術」とみなされている。 マサチューセッツ工科大学のダロン・アシモグル教授は、問題は現行の教育システムにあると述べている。

 アシモグル教授は、経済学者である。彼によれば、ここ数十年の技術革新は賃金の引き上げにつながらなかったし、目覚ましく生産性を向上させることもなかった。アシモグル教授の調査によれば、現在の高卒の中年男性は、前世代の高卒の中年男性よりも、なんと35%も実質的な収入が少ない。なぜか。賃金を増やすのは、従業員の作業の生産性を向上させる「実現技術」だが、現在普及しているのは、多目的に用いられるロボットのような「置換技術」だからである。

 重要なのは、置換技術を実現技術へと、再解釈することである。技術はそれ自体、何事かをなすための方法や手段にすぎない。いつも言っているように、包丁は人殺しの道具にもなれば、美味い料理をつくる道具にもなる。しかし、美味い料理をイメージし、それを実現したいと思うのは、人間である。高卒の中年労働者の賃金を上げたいと思えば、そのためにテクノロジーを活かすことはできよう。

 アシモグル教授の言うように、AIによって教育システムの全面的な見直しが可能である。現在の教育システムはワンパターンの汎用型であり、これは19世紀以来ほとんど変わっていない。AIは、学習スタイルや生徒のタイプに合わせた教育カリキュラムを設定する際の助けになる。一人ひとりの人間の目指すところに従って教育を受けることが可能となり、能力は培われ、それを用いて生産的な仕事を行うことができるようになるのである。

AI時代の教育システム

 イノベーションにおいて、教育はきわめて重要な問題である。

 かつて教育は、人間をロボットのように画一的なものとするためになされてきた。近代的な機械システムの中に組み入れるには、それが必要だったからである。しかし、人の代わりに仕事をこなすことのできる技術が開発されれば、人間はいらなくなる。かくして人間は、いつ自分に代わるロボットが生まれるかと、戦々恐々とするようになる。

 不安や恐怖は、人の行動を抑制する。したがって、イノベーションの最大の敵である。わが国においてAIは、それを助長させているのである。さらに不安や恐怖は、小さなミスや失敗を許さない空気をつくり出す。成功は数々の失敗を重ねることでしか生じない。小さく始めて、次々と試作して(ラピッドプロトタイピングと言う)、成功の糸口をつかみながら着々と前に進んでいくことしか、成功の道はない。

 文科省の指導のもと、現行の学校教育はガチガチのカリキュラムに縛られていて、画一的な教育を施すことしかできない。100人いたら100人とも興味関心や目指すものは異なるはずなのに、同じ知識を与えているのが現状である。だから学生らは、退屈する。自分の興味関心のある、スマートフォンの世界に逃げ込むようになるのである。

 よって筆者は、講義中にスマホでガンガン調べろと言っている。どうせほとんどの学生は、講義中に手をあげて質問などしない。しかも現在は知識社会、疑問に思ったらスマホで調べたほうが手っ取り早いのである。その疑問は、自らの興味関心から生じた疑問なのだから、調べた知識は定着するだろう。かくして講義の習熟度は上がる。スマホでゲームなどをやったらどうするか?試験で落ちるだけである。

 いずれにせよ、共通の知識ばかり教えていては、多様な人材が生まれない。誰もが当たり前に身に着けている能力は、早晩ロボットに置き換えられる。自分なりの能力を身に着け、それを用いてよりよい生産を行う方法さえ見つかれば、ひとまずは自己の存在意義は維持できる。

AI時代の教育は、イノベーション教育

 すべてがパーソナルな時代が到来した。なりたいと思うものには、努力次第でなれるのが、この時代の特徴である。人間の能力を補強するロボットの扱い方さえ見いだせれば、その可能性はさらに高まる。AIは、イノベーションを促進するのである。

 ハーバード大学のトニー・ワグナー教授は、伝統的な教育方法は、子供たちを無気力にしてしまうことが多いと述べる。学生たちは事実を学ぶが、その背景にある概念を理解しようとしない。したがって、知識を用いて何かを生み出すことができないままである。科目と科目を分ける明確な線引きをなくし、もっと目的的な教育を行う必要がある。とりわけ、物事に取り組むなかで、必要に応じて様々な知識を自ら身に着けていくような教育形態が望ましい。

 AIがそれを可能にすると、アシモグル教授は述べているのである。人は内的に動機づけられたときに、より知識を習得し、また成果を上げる。そうであれば、興味関心の向かうところにしたがって学習したほうがよい。自分のやり方で、意味があると思われる知識を習得し、現実に応用してみるのである。そうするときに、はじめて知識を身に着けたと言うことができるだろう。

 すでにMITメディアラボは、そういう教育を行っている。成績はつかない。必修科目もほとんどない。授業のとり方は自由だ。やるべきことは、ただ世の中で必要とされるものを創造することだけである。入学には、標準テストを受ける必要さえない。志願者は、出願書類で自分の関心のある分野を上げ、入学するにふさわしい説得力のある理由を伝えることが求められている。くだらない偏差値なるものよりも、その人の意思や実行力のほうが、成果を上げるためにはよほど信頼できる。ついていけなかったらどうするか?辞めればよいだけである。

 今後も必要とされる人間になりたければ、自分らしく生きていたほうがよい。そうなるために、自分の習得したい知識を習得したほうがよい。人間は、ロボットではないのだ。もちろん基礎知識は重要である。しかし、知識の詰め込みばかりで、実際に活かすことができないのであれば、何のための教育だろうか。

皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。複数の団体の理事や役員等を務めつつ、実践的な経営手法の開発に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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