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効率を目指すと生産性が低くなる

遠藤司SPEC&Company パートナー 皇學館大学 非常勤講師
(ペイレスイメージズ/アフロ)

 わが国の労働生産性は、1970年頃から、ずっと先進国最低である。

 日本生産性本部の「労働生産性の国際比較」によれば、2016年の日本の時間当たり労働生産性は、46ドル。これは、OECD加盟35ヶ国中の20位であり、主要先進7ヶ国中、最下位である。

 そこで、労働生産性を向上すべきだという議論が生まれる。労働生産性とは、労働者1人当たりが生み出す成果のことである。つまり、労働量に対して生まれた生産量あるいは生産価値の大きさを高くすることが、労働生産性の向上である。

 わが国の労働生産性が低いのは、過剰なサービスが原因だとか、ITスキルが低いせいだとか、色々と言われている。いずれにせよ、その解決策は、業務効率を高めよといったものが中心的である。しかしながら、ビジネスの現場にせよ、ネットニュースにせよ、常日頃から業務効率化の推進は、うるさいくらいに叫ばれている。それでも生産性が向上しないのはなぜかということを、真剣に考えてみる時期が来たのかもしれない。

 筆者の考えを述べておきたい。生産性が向上しないのは、効率ばかり追い求めているからである。あるいは、近視眼的に目の前の問題にばかり目を向けてしまっていることが、生産性の向上を抑制している。

生産性のジレンマ

 ハーバード・ビジネススクールのウィリアム・アバナシー教授は、自動車メーカーの工場を観察し、生産性の高い工場ほど新しい製品のアイディアが出にくくなることを発見した。これを「生産性のジレンマ」と呼ぶ。

 効率を追求するということは、無駄を削減するということである。たしかに無駄は、よくない。しかし、あまりにも効率ばかりを追求すると、あれも無駄、これも無駄、ということになってしまう。そのため、新しい製品を生み出すための諸活動にかかる時間についても削減の対象とされ、結果としてアイディアが出てこなくなるというわけである。

 効率の追求は、一つの事業に従事しているときには、効果を発揮する。しかし、事業は目的を達成すれば、あとは衰退する。競争によって価格は下がり、売り上げと利益もまた下落する。効率化によって補うことは可能だが、いずれ頭打ちになるだろう。かくして、効率化の推進はさらに進められるが、生産性は向上しなくなる。

 新しいビジネスを生み出すためには、挑戦し、失敗を重ねて、成功の糸口をつかむ必要がある。これを一般に、トライ&エラーと言う。失敗をしないのは、無難なこと、手慣れたこと、失敗する余地のないことを行っているからである。新しいことを行うと、予期せぬ障害が必ず生まれる。どこに障害があるのかをつき止め、その解決策を講じ、実際に試してみることで、新しい仕組みや方法が生まれてくる。すなわち、ビジネスが創造される。

 失敗をせず、効果が上がりやすいのが、効率化である。なぜなら効率化は、コストがかかっているものを取り除けばよいからである。しかるに、物事を行うに当たっては、必ずコストがかかる。したがって、コストカットを目的としてしまえば、いずれ事業そのものを止めてしまうことになる。その前に、他社との差異のないビジネス、顧客が求めるもののない無価値なビジネスが出来上がっていく。

 生産性の向上とは生産による価値の向上であるのに、その手段としての効率化は、そればかりでは、価値の低下を招くのである。そしてわが国の場合、たしかに効率にばかり目が向けられている。本来削ってはならないものまで削ってしまうせいで、ビジネスの価値が下がり、結果として一人当たりの労働量の多さで補うことになるのである。とりわけサービス業において、その傾向は顕著である。

 重要なのは、労働量の多さや効率化ではなく、ビジネス価値の高さである。一見すると無駄と思われたものを、本当に無駄だったのかと問い直す必要がある。考える余裕のない企業、失敗を許さない企業では、価値あるビジネスは生まれない。

創造のための効率化にシフトせよ

 「人は優れているほど多くの間違いを犯す。優れているほど新しいことを行うからである。」ピーター・ドラッカーの言葉である。

 重要なのは、やってみることである。したがって、考える時間、やってみる時間、結果を共有する時間という無駄を、許容することである。また、新しい技能や知識を得るためのコスト、学習し、よりよいアイディアを生み出すための学習のコストを、むしろ上げることである。

 もともとPDCAサイクルは、エドワーズ・デミングによって、工場における品質向上のために唱えられた。しかしビジネスは、品質や効率だけではない。新しい価値を生み出すこともまた、大いに重要である。したがって、ビジネスの現場では、あまりにもPDCA、PDCAと言わないほうがよい。それよりも、効率化や効果化のために用いるスキルやテクノロジー、知識の習得の時間を、現場に定着させたほうがよい。アイディアは頭の中で生まれるのだから、従業員の頭を鍛え、成長させたほうがよいのである。

 効率化は重要である。しかし、効率化を目的にしてはいけない。効率化は、事業を存続させるために必要とされる。すべての事業は衰退するのだから、日常的に新たな価値を生み出す余地を設けておかなければならない。すなわち、効率化は創造のために必要であるという認識を、社内に浸透させなければならない。

 グーグルでは、業務時間の20%を、普段の業務から離れて自分が取り組みたいことに充ててよいことになっている。またIBMは、メンバー同士の関係向上のために、在宅「のみ」の勤務形態を見直した。いずれも、ビジネス創造のためである。価値あるビジネスは、利益を生み出す。そうすれば、人手を雇うことができる。結果として、一人当たりの残業は減るし、ゆとりのある働き方ができるようになる。創造によって、生産性は向上するのである。

 今日の生産のための効率ばかりではなく、明日の生産のための創造に目を向ける余裕があれば、わが国の生産性は向上するだろう。もともと日本人は、世界中の人々が認めるように、クリエイティブである。効率ばかりの機械的でつまらない仕事ではなく、日本人の本来の強みを生かした経営がなされることが、日本再興の道である。

SPEC&Company パートナー 皇學館大学 非常勤講師

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。多数の企業の顧問やフェローを務め、企業や団体への経営支援、新規事業開発等に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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