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なぜ地方の人たちは「地域創生」と言いたがるのか

遠藤司皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー
(写真:アフロ)

 昨日、「地方創生のカギは学校教育にあり 郷土愛を育てる新たな取り組み」という記事を書いた。

 地域に愛着とか愛情をもった人でなければ、地域を担うことはできない。もし地域に対する愛がなければ、その地域が衰退したときには、そこから離れてしまう。とりわけ人は、自らの生まれ育った場所に愛着をもつ生き物である。したがって「地方創生」は、郷土愛を育むことから始まる。郷土愛は人と人とのつながりの実感によって育まれるのだから、地域の人たちとともに子供を育む仕掛けづくりが必要だ、という話である。

 ところで、どうやら一部の人たちは、「地方創生」という言葉が気に入らないらしい。かれらは「地域創生」という言葉に変えてほしいと思っている。しかし、今回の文脈の場合、「地方創生」でよい。ここでは郷土の話をしているのであって、土着の場所としての「地方」をこそ、積極的に擁護しているからだ。

 なお、土着というのは、土地に住み着くことという意味である。これは主に、昔から住み着いていることである。つまり、個人間のネットワーク、単なるヨコのつながりとしての地域ではなく、継承してきたよさの共有、タテのつながりとしての地域が、土着の地である。そのため地方創生のためには「地域愛」ではいけない。「郷土愛」を育むことを目指さなければいけない。なんの根拠もない「地域」に対する愛などは、定着しないのである。

 しかしながら、地域政策を行うにあたっては、たしかに「地域」と「地方」は分けて使われるべきである。これらの言葉を曖昧にしてしまえば、地方分権とか地方自治もまた、理解できなくなるからだ。以下の通り、両者の言葉の意味するところを整理していきたい。

「地方」と「地域」の違い

 「地方」という言葉に対してコンプレックスを抱く人がいるが、それは中央あるいは都会のほうが上だという感覚から生じているように思われる。

 例えば地域を Region という言葉の訳語として捉えるならば、その意味は、全体のうちの一部の領域となる。この場合、地方と訳されることの多い Local という言葉の意味と、さほど変わらなくなる。なぜなら Local もまた、全体に対する一部を指す言葉だからである。

 いずれもニュアンスは異なるものの、特定の場所を指す言葉でしかない。たとえば東京もまた、一つの Local な場所である。むしろ地元とか郷土を意味する地方 Local のほうが、単なる一領域である地域 Region よりも、創生のために使うにはよいくらいである。

 地方の人が「地方」という言葉を使いたくない理由は、そこに田舎 Rural の印象が含まれるからであろう。田舎の反対は、都会 Urban である。いずれの言葉にも、上下の意味合いはない。ようするに、地方創生という言葉を避けるのは、都会に劣る発展途上の地であるという感覚が、その人のうちにあるためである。

 そうはいっても、一般にもそう思われているのだから仕方ない。実際に、政府が「地方創生」という言葉を使うときの「地方」には、首都に対する地方 Province を意味することがほとんどである。「23区を地方創生だ!」と言っている人を、筆者はみたことがない。そういうわけで、地方創生という言葉を使いたくない人たちの感覚は、たしかに理解できるし、合理性もある。

 ただなんというか、そのような姿勢は消極的と言わざるをえない。創生(新たに創り上げること)は、前向きな姿勢でなければ行えない。筆者は地方を「創生」すべきではないと考えているからそのほうがよいのだが、しかし創生ならぬ「イノベーション」の場合であっても、やはり前向きな姿勢がなければ実現されない。

 地方にまとわりつくネガティブなイメージを払拭するために、地域という言葉を使うことは悪くない。地域を Area として捉えることが可能だからである。Area は広い意味で使われる言葉だが、端的にいえば、広がりのことである。この場合、行政的な区画といった意味はないから、地域は全体の一部ではなくなる。中心となる何かがあって、その影響する範囲を、地域とみなすことができる。

 では、中心となるのはなにか。自分たちである。だから地域づくりの意味における地域政策は、エリアマネジメントというのだ。地域は日本という全体や中央政府ではなく、自分たちが担うのである。その意味における「地域創生」は、うまくいくだろう。なぜなら、自分たちがやってやろうという前向きな意思があって、はじめて地域は発展していくからである。他人ごとではないからである。

地域創生ではやりたいことをやろう

 エリアマネジメントとは、自分たちに関わる領域を、何とかすることである。よってエリアマネジメントは、まずもって自分たちが、どういうまちにしたいかを考えるところから始まる。それらの意思を実現するために、自治体すなわち地方政府が存在するのである。国家にせよ地方にせよ、政府の行うことは我々の生活を支えることに他ならない。

 したがって、政府がやるべきと定めることをただやっていては、地域はよくならない。中心にいるのは自分たちなのだから、自分たちがやりたいと思うことをやったほうがよい。しかしそれは、地域のためになることである。かくしてエリアマネジメントは、地域とビジョンを一体にし、そのうちで自らの能力を発揮することで、地域をよくすることなのである。地域がよくなれば、自分もまた幸せになれる。だから自分が、地域をよくするのである。

 厳密にいえば、目指すべきものは「創生」ではなく、活性化である。活性化とは、働いていないものが活発に働くようになることである。よって地域活性化とは、地域に何らかの刺激やエネルギーを与えることで、地域の一部ないし全体を活発にすることを意味する。すでにあるものに意味を与え、活用することで、地域は活性化する。

 刺激やエネルギーを与えるのは、人である。ある人がそれらを与えようと思わなければ、地域は活性化しない。そうであるから、地域活性化を目指すのであれば、どだい何をしたってよい。ガンガンやりたいことをやって、元気に笑って楽しんだほうがよい。そういうもののほうがうまくいく。

 地域で何かをやるためには、地域を知らなければいけない。しかし、ただ知っているだけでは、何かをやろうとは思わない。人は自らに関わるものごとを好んで行おうとする。自分が愛を向ける対象が地域であれば、地域のために何かをなさんとするものである。そのため地域創生のためには、郷土愛の育成が求められる。地域を愛し、誇りをもつことで、落ち目のときにも自分たちの力を発揮し、地域を盛り上げていこうと思うようになるのである。

 人の意思が、活力のある地域をつくり上げるのである。だから地域活性化のためには、やらされるのではなく、やりたいことをやろう。自分が地域をつくり上げているのだと思えるようになったとき、地域にも自分にも、誇りをもつことができるようになる。

皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。複数の団体の理事や役員等を務めつつ、実践的な経営手法の開発に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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