Yahoo!ニュース

人手不足ではなく「待遇不足」 中小企業こそ賃金を上げよう

遠藤司皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー
(写真:アフロ)

 12月27日、東京新聞に「「人手不足倒産」13年以降最多 中小・サービス業など苦境」と題する記事が掲載された。

 景気の回復基調を受け、企業全体の倒産件数は減少しているものの、人手不足を理由に倒産する企業は急増しているようだ。2013年では「人手不足倒産」は34件だったが、2016年は二倍以上に増加。「多くの人手が必要で労働環境が厳しい介護や保育などのサービス業、建設や運送で増加が目立つ」とのことである。第一生命経済研究所の熊野英生氏の言うように、人手不足が中小企業などの成長の足かせになっているのが現状である。

 しかし人手不足は、人が余っている状況よりはずっとましだ。労働市場において需要が供給を上回っている状況でなければ、賃金は上がらない。基本的に人手不足による倒産というのは、業績が悪いため従業員の満足のいく賃金が払えないということなのだから、実のところそれは、人手不足ではなく、ビジネスがうまくいっていないというだけである。つまりまぁ、普通の倒産だ。

 うまくいっていないビジネスは、改善するか、さもなければやめてしまったほうがいい。もっと儲かるビジネス=高いお金を払ってでも顧客が利用したいと思えるビジネスを行い、従業員に高い賃金を支払うのである。そうすれば、自ずと人は集まる。結局のところ、昨今の人手不足なるものは「待遇不足」に他ならない。否むしろ、根本においては、経営力不足の問題である。

 何を言っているかといえば、労働力の多い少ないは、日本経済が今後どうなるかにはそれほど影響がないのである。「人手」が足りないのであれば、足りなくてもよくなるように効率化すればよい。あるいは、事業規模を縮小しても利益が確保できるように、ビジネスの価値化を目指せばよい。全くのところ、一人当たりの労働生産性は固定的ではない。この知識社会において必要となるのは、生産性の高さそれ自体よりも、生産性を高められる力、イノベーションを起こす力である。

「待遇」を考える

 現実には、賃金を上げることのできない企業も多いだろう。しかし人は、単にお金のためにだけ働くものだろうか。つまらない仕事で1000万円をもらうよりも、やりがいのある仕事で500万円をもらうほうを選ぶ人は、少なくないのではないか。例えば筆者のように、外資系企業で好成績を残し、それなりに高い賃金をもらっていたとしても(税金でもっていかれたが)、夢を実現するために大学で教鞭を執ろうとするようなヘンな人も、機会さえあればけっこう多いのではないだろうか。

 待遇なるものを、もう少し柔軟に考えてみたほうがよいように思う。人が足りないのであれば、人を探すしかない。各種の人材紹介サービスなどに登録し、魅力ある「人材」を募るのである。そのときに経営側が一方的に、あれもこれもと「条件」として定め、だけど賃金は安いですよというのでは、話にならない。どうしたら来たくなるのか、ここでなら自分が活かせると思ってもらえるのかを考えたほうがよい。

前に述べたように、仕事において「条件」を定めようとするのは、「近代」の経営観を引きずっているからである。ここでは、まず決められた職務があって、次に人間が当てはめられる。人は、単に生産するための道具、スキルを活かして労働を行う道具とみなされるのである。しかし元来、人は心をもち、自己に対する何らかの認識をもち、それを維持発展させようと努める生き物である。とりわけ有能な人材は、その傾向が強い。だからあれこれと「条件」などを決められれば、自分は自分として尊重されないであろうことを察し、その会社には近寄ろうとはしない。

 有能な人材を募るためには、例えば次のように言うとよいだろう。「わが社はこういったビジネスを行っている会社です。しかしこのビジネスは変革の時期に来ています。あなたのやりたいこと、できることを教えてください。わが社はできる限り、その実現のために支援します。」ビジネス変革をしようとする人材、ビジネスを創造しようとする人材を募るのである。できるできないではなく、やるかやらないか、である。意思のあるなしが、ビジネス創造の可能性を決める。

 人がまずあって、次に仕事が生み出される。その人の思いが実現され、より儲かるビジネスが生まれたとき、従業員にも高い給料を支払えるようになる。人を尊重すること、人の思いを尊重することから始めれば、現状から脱することができるようになるのである。

 中小企業は賃上げのために、人を活かすことから始めよう。それは人を信じ、人に任せ、そして喜んでもらう機会を与えるということである。新たに人を雇う必要はないかもしれない。いまいる人たちは、いまの仕事をよく知っている。仕事を通して成長を遂げられる機会が得られるとき、単純に賃金が高い安いではなく、自己実現を目指して人は、自らの仕事を行うようになるだろう。

『スーパーの女』を観る

 ほとんどの人は、仕事の改善の役割が与えられれば、思考したり、誰かに相談したりして、何らかの案を持ってくる。良い案もあれば、悪い案もあるだろう。失敗するかもしれない。しかし、ともに話し合い、改善を重ねたら、できる限りやらせてみたほうがいい。そうすることで、次の一手が打てるようになる。多くの失敗を経てしか、成功に至ることはない。

 以前「伊丹十三作品『スーパーの女』を観る 商店街復活に向けたマインドセット」という記事を書いた。この映画のいいところは、従業員がみんなで楽しそうに、自分の働くつぶれそうな小さなスーパーをよくしようと、様々な案を実行していくところだ。だから従業員らは、ただ安売りをするだけの大手スーパーの引き抜きにも応じない。そのスーパーは自分のスーパーであって、自分の人生そのものだからだ。そこでの自分が、本当の自分だからだ。

 従業員のよきマインドがなければ、よき行動には到らない。したがって、ビジネスは改善されない。まずは従業員に、前向きな姿勢で色々とやってもらおう。挑戦したことを心から認め、次の挑戦へと誘おう。そうすればきっと、ビジネスは価値化され、賃金も上がっていく。よい「待遇」の仕事とは、貧しくないくらいの賃金が得られ、自分の力を活かして自己の実現に向かうことのできる仕事のことだと、筆者は思う。

皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。複数の団体の理事や役員等を務めつつ、実践的な経営手法の開発に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

遠藤司の最近の記事