大学選びの本当のポイント つまらない4年間を過ごさないために

(写真:アフロ)

 8月24日、東洋経済オンラインに「「教育困難大学」がPR活動に躍起になる事情」と題する記事が掲載された。サブタイトルは、高校に「どぶ板営業」をかけさせられる教職員、である。

 内容については興味深く読ませてもらった。どこの大学も学生集めのために大変である。まさしくオープンキャンパスというものは、大学のPRの場だ。教職員や、自主的に参加してくれた学生らは、未来を担う高校生に来てもらうために、色々と趣向を凝らしながら企画に取り組んでいる。オープンキャンパスへの参加者が増加しており、経営も上昇傾向にある我が皇學館大学は、他大学よりも幸せな状況にあるようだ。否、皆で頑張っているからこそ、そうなったのである。終わるといつも充実した気持ちになるのは、われわれ教職員および学生が、一丸となって真剣に取り組んでいるからだ。

 そうであるから、記事に登場する「教員」には、少し言いたいことがある。「昔ながらのどぶ板営業と自嘲ぎみに語る」前に、もっとやれることがあるのではないのか。「どぶ板営業」から逃れ、学生がくる仕組みをつくる努力を最大限に払っているのだろうか。勇気を持って身を公衆の前に晒し、大学の名前を売ろうとしているのだろうか。自分の大学の誇りを守り、以後の発展を担う覚悟は持っているのだろうか。

 ここで言いたいことは、高校生の皆様もまた、大学選びには慎重になったほうがよいということである。やらされ感を持って大学に所属している教職員のいるところと、学生自らが手を挙げて大学の運営に関わるところとでは、学びの質もまた変わってくるように思われる。偏差値が高いこととか、有名大学であることは、今後の人生を何も規定しない。未来に向かって努力できる学びの場、そのような学生を育てようと真剣に取り組んでいる教育の場に入り、そこで実際に成長することが、将来を決めるのである。

何を目指している大学か

どの大学のオープンキャンパスに行くのか

 どこに向かっているのかがわからないうちは、どこにも向かうことはできない。それは大学も人間も同じである。終りとともに始まりがある。終りを定めている大学、すなわち教育目的を明確にしている大学に入ることが、成長のトリガーとなる。

 例えば皇學館大学は、「先人の叡智に学び、現代社会の課題に応える」ための学びを得る大学である。つまり目的は、現代社会の課題に応えることであり、そのための基礎となる学びは、先人の叡智に学ぶことである。学ぶ分野については色々とあり、目的のために必要な学部・学科が揃えられている。清水潔学長の言葉で言えば「過去に学び未来を創造する「稽古照今」の学風を基盤とし、わが国の歴史・伝統を究明・継承・応用し、日本人としてのアイデンティティーを備えた、社会の各領域において、次代を担う信頼され尊敬される人材の輩出」を目指すのが、皇學館大学である。

 ようするに皇學館大学は、よき日本人となるための大学、ということである。そのなかで筆者の所属する現代日本社会学部は、日本を動かす人材となることを目指す学部である。冗談ではない。本気でそう思ってやっている。基礎的なことを学んだ後は、政治経済、地域社会、社会福祉、伝統文化の4つの分野に分かれ、その分野で自分のできる「日本を動かす」仕事に就くことを目指すのである。教員は、個々の学生の将来のために、一人ひとり親身になって話を聞く。到達地点が明確であるから、ほとんどの学生はそれに向けて、色々と活動的に学生生活を過ごしている。筆者は彼らが笑っている姿をみるのが大好きである。

 別に本学に入学することを推奨しているのではない。自らの目指すものと、大学の目指すものが合致している大学を選ぶべきと言っているのである。もしまだ明確に目指すものがないとしても、自分が進むのによさそうな方向性くらいはあるだろう。オープンキャンパスに行く前に、その大学がいかなる大学か、目指すものは何かをよく調べたほうがよい。楽しそうな大学、ではなく、自身の成長にとって意義のある大学、である。そのような大学に行くためには、たとえ遠方であっても躊躇してはならない。4年間は貴重である。

実際に取り組んでいるか

オープンキャンパスで何を視るのか

 オープンキャンパスでは、目指すものに真剣に取り組んでいるか、これから取り組むことができるかを確かめに行かなければならない。イメージがよいか悪いかとか、先生はニコニコしているかどうかではなく、そこが自分の成長できる環境かどうか、である。

 とくに重要なのは模擬講義である。単に教員が教えやすいことや、聞こえのよさそうなことを講義している大学は、学生を見ていない。メッセージ性がないから、メッセージがないのである。つまり、そのときはよいかもしれないが、入ってみてからガッカリする可能性が高い。そこに4年間いなければならないことを想像してほしい。学生には不幸になってほしくない。

 本学の話をすれば、実は現代日本社会学部の模擬講義は、7月を新田均学部長、8月を筆者が行った。学部長は、文科省が目指している教育や、今後の社会に求められる人間の姿などについて、アクティブに語った。はっきりいって大成功である。次は筆者なのだが、筆者は内向的で人見知りの性格であるから、始まる直前まで手が震えていた。しかし、言いたいことは言ったと思う。テーマは「生きがいを持って幸せに働くということ」である。そういう学生を、われわれは育てたい。

 また、学生の話を聞くことも重要である。学生は、実際にその大学で学んでいる。いかなる学びを得られるのかを、率直に聞いたほうがよい。また、事前に考えておき、自分はこのようなことを学びたいのだが可能かと、質問をぶつけたほうがよい。できないと返答があったのならば、その大学への入学は再考の余地ありだ。

 オープンキャンパスは楽しみに行く場所ではないし、ましてや記念品をもらいにいく場所ではない。むしろそういったことに気を散らせてしまう取り組みを行っている大学は、危険である。中身がないから、様々なオプションで誤魔化そうとする。真っ向勝負をかけている大学のほうが、実りある人生のためには有意義といえるだろう。

 不安は無知によって生じる。冒頭の記事にあるような「勉強が苦手なのだが、大学に入って大丈夫か」「この大学を出ると就職は大丈夫か」といった漠然とした不安は、大学の目指すものの理解と、そのための実際の学びの内容を知ることで、解消する。これらの質問に対する回答はこうだ。勉強が苦手でも、頑張れる心構えがあるならば大丈夫である。就職は、目指すもののために成長すれば大丈夫である。ゆえにオープンキャンパスには、目指すものに到達できる環境かどうかを判断するために参加したほうがよい。

 

道を拓く場所を見出すために

 本学部の新田学部長は、ある人が大学を視察したときに、この大学の教育はいかなるものかとの質問に対し、次のように答えたという。「どうぞ学生を実際にご覧になってください。これが私たちの教育です。」

 本学の教職員は、学生の成長のために真剣に取り組んでいる。教員は講義の内容やカリキュラムを深く考え、多くの時間を割いている。職員もまた、学生のために様々な改革を行い、学びの環境をよりよいものとしている。「全学一体の姿勢」で、学生らの成長のために日々奮闘しているのである。

 「どぶ板営業」が問題なのではない。大学が目指すものがないこと、それを学生に訴えられていないことが問題である。学生は成長のために大学に来る。目指すものがないならば、結果は出るはずがない。そのため教職員は、「どぶ板営業」を「かけさせられる」ことになるのである。もっと言えば、筆者は「どぶ板営業」を積極的にしたほうがよいと思っている。形はどうあれ外に出て、本学に入れば君たちは成長すると、われわれは君たちをこのように成長させたいと、一人ひとりが子供たちに対して真剣に語るのである。そういう大学でこそ、人は成長する。大学の立て付けとか、規模の大きさではなく、思いの強さによって大学を選ぶことを筆者は勧めたい。

 筆者の明日の仕事は、保護者会の浜松会場への参加である。ある学生のご両親に「学生は頑張っています」と伝えてきたいと思う。