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ムカッとさせると、ちゃんと読まない:感情は目的のために用いられる

遠藤司皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー
(写真:ロイター/アフロ)

1月17日、「「写真撮影禁止」の時代錯誤:お客さんを自由にすれば観光地はもっと栄える」というYahoo!記事を掲載した。

ネットの反応をみると、多くの人は賛同してくれてはいるようだが、一部の人は怒り心頭、といった感じである。しかし、その怒りは誤解から来ている。前回の記事の内容を、ざっくりとまとめていきたい。

誤解からの怒り

怒りの内容は、およそ以下の二点である。冷静な意見もあって、非常に参考になったが、多くは汚い言葉を使って罵倒してくる。

1. 観光客のマナーが悪いから禁止になるんだ!

2. 創作者の権利を蔑ろにしてもいいというのか!

1に関して、それはまさに筆者が主張しているところである。他の人の迷惑になる行為、マナーの悪い行為は、禁止すべきである。しかし、無下に「撮影禁止」と書くのでは、興がそがれるし、せっかくのPRの機会を失うことになる。よって、一定のルールのもとに、写真撮影を楽しんでもらえる空間を、別のどこかに設けるという解決方法はいかがか、ということを提案しているのである。自由とは、思うがままに振る舞うこと、放縦ではない。マナーを守ることから自由ははじまると、そのように述べている。

2に関しては、何というか、言いがかりである。筆者は創作者の権利を侵害してもよいなどとは一言も言っていない。人がつくったものには、人の想いが込められている。その価値は厳格に守るべきであるし、よいものはさらに周知させるべきである。だから筆者は、PRの機会をどうつくるか、ということを述べた。そのため記事では、自作の切り絵を例に挙げている。自身の作品から、シェアしてもらってもよいものを選び、それを写真に撮ってもらうように積極的に働きかけるのである。ようするに、呼び水となる一部の作品と、買ってもらうための大多数の作品とを、分けるのである。そうすれば、作品を周知させることができるようになる。

なお、切り絵を写真で撮られると商売にならないという意見もあるようだが、そのようなことはない。切り絵は切り絵であって、写真ではない。切り絵という優れた技巧品だからこそ価値があって、手元に置いておきたいと思うのである。だからネットの通販でも、切り絵は売られている。アイディアやデザインが真似されると困るという意見もあるが、そうであれば真似されても影響が少ないものを選択して、PRしていこうではないか。禁止するかオープンにするかという二者択一とは異なる選択肢もある。言いたかったことは、こういうことである。

せっかく書いたのにちゃんと読んでもらえないのは、なかなかつらいものがある。1はまだよいが、2などは言ってもいないことである。いずれにしても、誤解させたままではまずい。今後のためにも、そうではないと強く主張しておきたい。

しかるに、Yahoo!記事を書いていると、こういったことはよくよく起こることである。いったいどうして、このような誤解が生じるのか。どうやらその誤解は、怒りの感情が用いられることによって生じていることが多いように思われる。

怒りと行為

また怒られるのかもしれないが、まぁそう怒らずに聞いてほしい。

個人心理学者のアドラーによれば、人は感情に突き動かされて行為するのではない。例えば、怒りがあるから、怒るのではない。逆で、怒るという目的を達成するために、怒りという感情を用いるのである。基本的に人が怒るのは、自分のもつ何らかのものを守るためである。

人はそれぞれに固有の思考や信念を持っている。それらの思考や信念から外れることがあったとき、怒りの感情がつくり上げられる。人が怒るのには、4つの目的がある。人を支配するため、優位に立つため、自らの権利を守るため、正義感を発揮するため、である。これらのうちの何らかの目的を達成するために、人は怒る。

そして人は、行為に対して理由づけをする。理由を探そうとする。そうすると人は、行為の理由であろうと思えるものを見つけたとき、それを表に出すことで、感情をあらわにする。目的が自分のもつものを守るためであるならば、怒るための理由は何でもよくなる。目的を達成することが重要なのである。

そして、誤解をする。怒りはわれを忘れさせる。よって、理由づけができそうな解釈をしようとする。あるいは怒るために、あら探しをしたり、別の論点を持ち出そうとしたりする。また、いつも怒っている人は、怒ることで自らの立場を確立したい人である。よって怒るための材料をそこら中から探してくる。だからそういう人は、SNSなどで、いつも怒ったコメントをしている。

ようするに人は、怒りたいから、怒るのである。怒ることで、自己の何かを守ろうとしているのである。しかし、本当に間違いであると思ったなら、怒らないで、間違いである部分を淡々と述べればよいだけである。冷静な意見のほうが、人を動かすという目的を達成するためであれば、手段として正しい。

リアクションからレスポンスへ

スティーブン・コヴィーの『7つの習慣』のなかに、リアクションとレスポンスの違いが記されている。

リアクションとは、いわば刺激に対する生体反応である。それに対してレスポンスとは、応答すること、返事をすることである。応答は、頭で考えないとできない。簡単に言えば、君は愚かだ、などと言われたときに、「何だとこの野郎!」となるのがリアクションである。「何で愚かだと言われたのか」とひとまず考えるのがレスポンスである。

刺激とレスポンスとの間には、クッションとなる4つの能力がある。すなわち、自覚(自分自身を客観的に見つめる能力)、想像(現実を超えた状況を頭のなかに生み出す能力)、良心(善悪を区別し、原則を意識し、考えと行動を一致させる能力)、意志(自覚に基づいて行動する能力)である。これらの能力によって、人は反応を「選択」することができる。どう行動するかを決めることができるようになる。

筆者もえらそうに言えたことではないのだが、これら4つを意識して、いかなる行動をなすかを選択できるようになるのが、成功の秘訣であるように思われる。リアクションには、正しい行為を選択しようという働きがない。それに対してレスポンスは、それを選択することを目指そうとする。アリストテレスのいうように「選択は思案による」。だから結局のところ、あるものを正確に受け止め、それをよく考え、正しいことは何かを意識してから行為することで、万事はうまくいくようになるのだろうと思われる。

怒りの感情があらわれたとき、自分は怒りたくて怒っているのだなと考えることで、行動が変わるのだという。習慣として心がけていきたい。

皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。複数の団体の理事や役員等を務めつつ、実践的な経営手法の開発に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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