【COP21閉幕】温暖化への対処をみんなで議論する時代へ 異論を唱えるにも「懐疑論」は不要

(写真:ロイター/アフロ)

パリで行われていた国連気候変動枠組条約のCOP21は会期を延長して交渉を続けた末、現地時間12月12日に「パリ協定」を採択して閉幕した。

「今世紀後半に世界の温室効果ガス排出量実質ゼロ(生態系等の吸収分につり合うまで減らすこと)を目指す」ことに世界が合意し、国内でもそれが大々的に報道されていることはきわめて感慨深い。これが「排出量実質ゼロ」の科学的、経済的、技術的、社会的、政治的、倫理的な意味を多くの人々が考え始め、論じ始めるスタート地点になってほしいと筆者は願っている。

そのときに一つの障害となってくるのが、温暖化の科学への懐疑論・否定論の存在である。最近、2回の記事(これこれ)にわたり、それについて書いてきた。

1回目で紹介したように、2012年に筆者は次のように書いていた。

温暖化論争をフォローするうえでぜひ知っておいて頂かなければいけないことは,欧米の産業界の一部の意を汲むといわれる組織的な温暖化懐疑論・否定論活動の存在である。…(中略)…本当は,このことを指摘するのはあまり気が進まなかった。傍から見れば「お前はインチキだ。」「いや,そっちこそインチキだ。」という泥仕合になってしまうからである。

いくら気が進まなくても、筆者は一度この構図にあえて乗ってしまった以上、半端で済ませるわけにはいかない。今回ももう少しこれについて書きたい。

ここではまず、最近の論文を参照して、上記の引用の根拠を提示したい。

温暖化懐疑論・否定論活動の実態が研究対象になりはじめた

2015年2月にNature Climate Change誌に載った解説によれば、温暖化懐疑論・否定論について分析した論文が2010年ごろから増え始め、この時点までで200篇以上の論文が出版されている。

そして、COP21が始まった11月30日にNature Climate Change誌に出版された論文はとりわけ興味深い。

米国イェール大学の社会学者であるJustin Farrelは、懐疑論・否定論の活動を行っていると目される4,556人の個人と164の組織のネットワーク関係と資金の流れを分析した。さらに、1993年から2013年までに米国のメディアと政治で気候変動が言及された文書(口頭の言及の記録も含む)40,785を分析し、懐疑論・否定論活動から発信された情報との一致度を定量的に調べた。

その結果浮かび上がってきたのは、「エクソン・モービル」と「コークファミリー財団」という2つの資金提供者を中心としたネットワークの存在だ。そして、この2つから資金が流れている懐疑論・否定論活動はメディアと政治へ効果的に影響を及ぼすことに成功している(つまりは組織立った活動である)という関係性が明らかになった。

コークファミリー財団は日本人には馴染みが無いが、非上場全米第2位の企業であるエンジニアリング会社コーク・インダストリーを経営し、全米長者番付で5位と6位に入るコーク兄弟の持つ財団である。

筆者は論文中にあまりにもはっきりと2つの資金提供者が名指しされているのを見て少し驚いたが、米英等の関係者の間では周知の事実なのだろう。

この論文が冒頭の引用の前半部分(欧米の産業界の一部の意を汲むといわれる組織的な温暖化懐疑論・否定論活動の存在)の一つの有力な証拠である。

「懐疑論者」と「温暖化論者」の心理学

一方、一般の人々が「懐疑論」(ここでは温暖化の科学に対する懐疑論。否定論も含む)と「温暖化論」(人間活動による温暖化が起きており、それは深刻なリスクであるという立場)をどのような心理で支持するかについても研究が進んでいる。

やはりNature Climate Change誌に2015年2月に出版された論文では、オーストラリアモナッシュ大学の社会心理学者Ana-Maria Bliucらが、米国人を対象としたオンライン調査を分析した。その結果、「懐疑論者」には自分が「懐疑論者」グループに帰属しているという仲間意識と、「温暖化論者」グループへの敵対意識が観察されたが、同じように「温暖化論者」にもグループ内の仲間意識と「懐疑論者」への敵対意識が観察された。

二項対立を助長するグループダイナミクスの存在が、心理学的に実証されたといえる。

この論文が、冒頭の引用の後半部分(「お前はインチキだ。」「いや,そっちこそインチキだ。」という泥仕合になってしまう)に関連して、傍から見てではないが、当事者の心理を説明する。

温暖化対策に異議を唱えるのに「懐疑論」は要らない

人々の半数ほどが温暖化の科学に疑問を持っている米国社会では、この二項対立を解きほぐしていくのはたいへんだ。

一方、日本に懐疑論者は多くない。たとえば、今年11月にみずほ情報総研が発表した日本人を対象としたネット調査で、地球温暖化の影響が「今後も現れない、そもそも起こっていない」と答えたのは1%だ。

しかし、20%近くが「わからない」と答えているし、温暖化の影響があると答えた人の中にも科学への疑問を持っていたり、信用を留保している人は少なくないだろう。そのような人たちが温暖化対策に違和感や懸念を持ったとき、たまたま説得力を感じる懐疑論に出会えば、「懐疑論者」グループに仲間入りする可能性があるだろう。いわば「懐疑論者予備軍」だが、そのような方々は決して少なくないと想像する。

断っておくが、筆者は温暖化対策に違和感や懸念を持つ方々を敵対視するつもりはまったく無い。(懐疑論・否定論に凝り固まった方々に対しては、反感をまったく抱かないといえば嘘になるが、そのような方々とも対話する努力は惜しまないつもりだ)

たとえば、「温暖化対策を理由に原発の再稼働がなし崩しになるのは受け入れられない」という意見も「温暖化対策で電気料金が上がって経済に悪影響を与えるのは受け入れられない」という意見も(この両者はしばしばまったく異なる価値観のグループから発せられる)、温暖化対策を考える上での社会の議論に組み込まれるべき重要な意見だと思う。

しかし、そのような意見を言う人が温暖化科学への懐疑論から入ってしまうと、議論の入り口でもみ合いになってしまい、意見を社会の意思決定に反映させるのが余計に困難になると思うのである。

そのような意見を主張するにあたり、懐疑論は不要であり、むしろ余計であると申し上げたい。

科学者の合意も想像してみてほしい

ところで、この記事に何度も出てきたNature Climate Changeという雑誌は、Natureの系列紙である。厳密にいえば学術誌ではなく科学雑誌であるが、そこらの学術誌よりもよほど厳しい論文審査がある。

科学にまったく興味が無い方でも、Natureという雑誌は聞いたことがあるだろう。小保方さんのSTAP論文が掲載され、後に取り下げられることになった権威ある雑誌が、そのNatureだからだ。Natureに載った論文に不正が一つでもあればどんな大騒ぎになるかは、みなさんご覧になってよくご存じのとおりだ。

そのNatureや系列紙のNature Climate Change、Nature Geoscienceといった雑誌に、温暖化の科学が正しいことを前提とした論文が常に何本も掲載されているのだ。そのことを考えると、温暖化がウソだったり間違いだったり不正だったりすることを信じ続けるためには、よほど強い動機と思い込みが必要であるように筆者には思われる。

もちろん、世界の首脳が集まってたいへんな交渉の末に合意に至った今回のCOP21がすべて茶番であると信じ続けることにも、相当に何かが必要だろう。

審査を経て出版された学術論文の97%は温暖化の科学に合意した内容であるという分析がある。残りの3%のうちのある割合は、既に述べた組織的な懐疑論・否定論活動に影響されているはずだ。

テレビの討論番組や公開討論会で、「温暖化論者」と「懐疑論者」を同数呼んで議論させるものがあるが(筆者も何度か経験した)、これだと「懐疑論者」側の声が実態よりもずっと大きく聞こえることになる。「温暖化論者」と「懐疑論者」を97対3の割合で呼んで議論したらどういう光景になるかは、こちらをご覧頂きたい。

もちろん、科学は多数決ではない。しかし、97%の側の科学者がどんなに厳密な相互検証を繰り返してその合意に至っているのかについても、想像をめぐらせてみてほしい。