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津波で「大人になったら頑張る」考え捨てた福島の新成人が今思うこと #これから私は

道満綾香Z世代のメディア「Z総研」アナリスト
コロナの影響で成人式が延期され、屋外で撮影を行った田中梨紗さん(本人提供)

2021年3月11日で東日本大震災から10年が経ちます。今年新成人となった若者は当時10歳。当時の状況をどう感じ、新成人となったいまどのような想いを抱いているのでしょうか。今年成人式を迎えた福島県出身の田中梨紗さん(早稲田大学2年)に話を聞きました。

「大人になったら頑張ればいい」という考えを改めさせられた震災の出来事

何をしていいかわからない。子供が感じた震災の現場

「想像をしたこともない地震がきた。怖がる生徒たちの中、避難訓練と同じようにいかなかった」

当時、福島県で小学校4年生だった自分を田中さんはそう振り返ります。

福島県では1405校の学校が被害を受けました。小学校は浜の方のエリアではなかったため津波の被害こそありませんでしたが、なんとか家に帰ると停電していました。勤務先から両親がすぐには帰れない状況の中、(停電で)電話もつながらない、公衆電話もつながらない、携帯電話は当時小学生で持っていないというシチュエーション。そこに3月の東北の寒さが10歳の田中さんとまだ保育園の弟と妹を襲いました。チャッカマンで火をつけ暖をとりながらその場をなんとかしのぐものの、母親が帰ってくるまで感じたことは「何をしていいかわからない」という怖さでした。

震災のその後、すすまない復興。感じた気持ち

停電が復旧してテレビをつけ、初めて津波の状況を見た時の気持ちは言葉にはできませんでした。

車圏内のいわき市などで津波によって亡くなった人がいる事実を目の当たりにして、「自分が生きていることは当たり前ではない」と、命に対しての重みを真剣に考えるようになりました。それまでは「大人になってから頑張ればいい」という考え方だったのを改め「いまを精一杯生きていく」と胸に刻んだのです。

学校が再開されても食品業者は動いておらず、給食がなくお弁当が続きました。食材の流通は飲食店にも影響を及ぼし街中のお店はずっと閉まっていました。ガソリンの供給もなかったことから、車でどこにもいけず、学校のグラウンドは液状化で外で遊ぶこともできませんでした。

しかし、印象に残ったのはそういった生活の不便に対する辛さではなく、浜の方で震災の被害に遭った人たちや放射線の影響があったと報道された人たちが、都心に引っ越した先でいじめにあったという問題に対してのやり場のない気持ちでした。

日本文化の良さ。そして自分の目で見た身の回りで起きたことを伝える意味

日本文化を学ぶ中学校に進んだ田中さん(本人提供)

海外の人たちの目から見た日本のイメージを少しでも変えたかった

海外の人たちの目から見た日本のイメージを少しでも変えたかった。

放射線の報道が頻繁に行われるようになると福島の人や農産物が国内で敬遠され、さらには日本全体も海外からそういった目で見られました。その時「福島の人も日本にいる人たちも同じ様にあくまで被害者なのに、なんでこんなに嫌悪の眼差しで見られないといけないのだろう。偏見を持ってはいけない」と強く感じました。

中学に入ってからは「日本文化の良さを海外に伝えたい」という漠然とした想いから、琴や茶道、そしてなぎなたを始めました。なぎなたでは県内で優勝し全国出場を成し遂げるなど、まさに「大人になる前にも頑張る」と心に誓ったことを体現していきました。

高校では文科省が将来有望な科学技術系人材の育成を目的に開始したスーパーサイエンスハイスクールに入学します。2年生時には、校内選考を勝ち取り、アメリカとカナダへの留学を果たし、日本文化の良さを伝えると同時に、震災や発電所の津波の被害の被害を身の回りの体験として伝えました。

「被災した自分だからこそ『目で見たことを伝える』ことを意識して、さらに日本って文化も人も素晴らしい国だよということを感じてもらえるよう尽力しました」

子供の時に体験したからこそ、震災を知らない子供に伝えたかった

高校の時に積極的に参加したのが、保育園や養護施設の子供たちと一緒に過ごして、世話をするボランティアでした。そこで話す機会があれば震災のことを伝えていきました。

「震災の瞬間自分は何もできなかった。まさに状況に流されるだけだったんです。当時園児だった妹と弟は怖がっていただけで、体験した防災知識までは伝えられないし、大人は子供が怖がるから教えようとはしない。大人は状況判断ができるけど子供はなかなかできないので、私の経験から少しでも伝えることができれば。被災した当時、自分が子供だったからこそ伝えたいんです」

震災から10年。そして、コロナが起こした心境の変化とは

震災後も走り続けた福島県の高校時代の田中梨紗さん(写真右・本人提供)
震災後も走り続けた福島県の高校時代の田中梨紗さん(写真右・本人提供)

震災で考え方に変化が起きた影響もあり、走り続けた中学・高校時代。

大学生になってもその勢いは変わらず、大手のセミナーやワークショップや、ボランティア活動なども行いながら、インターンに参加するなど、これまでと同様に精力的な活動を続けてきました。そんな時にコロナの影響を受け、様々な活動機会を失います。

「いろいろやっていたことや、やろうと思っていたことがコロナでできなくなってしまって。何もできない自分に嫌気が差して自信を失ってしまいました」

そこまで走り続けた田中さんにとって、急ブレーキはメンタルに影響を与えました。そのような状況で彼女は生まれ故郷の福島に帰ることとなります。

「何もしなくなって、自分と向き合う時間ができたんですね。実家に帰ると10年前の震災を思い出していて、”大人になる前も頑張る”と感じていた私がついに大人になるんだと思ったらこれまでと同じじゃダメだなと。震災の中必死でもがき苦しみながら復興してきたのを子供の時に目の当たりにしてきた私だからこそ、こういうピンチでも強くないといけないなと思いました」

2025年大阪万博の誘致プロモーションの様子。海外にも一斉に発信された(女子大生マーケティングユニット「TeamKJ」より提供)
2025年大阪万博の誘致プロモーションの様子。海外にも一斉に発信された(女子大生マーケティングユニット「TeamKJ」より提供)

「オンライン上でも活躍しているインフルエンサー達がたくさんいる。私は日本文化を世界に広げられるような活動がしたいと思っていたのですが、ある日Instagramを見ていたときにオーディションのお知らせを見たんです。ホームページを見てみると2025年の大阪万博プロモーションのアンバサダーもやっていて、これだなって思いました」

その後、オンライン上でのオーディションに合格し、2025年の大阪万博プロモーションイベント内で行われる若者向けの番組企画を実施して「日本文化の良さを海外に伝える」という活動を加速させています。あれから10年。失ったものとそこから得たもの。この体験を忘れることなく、これからの世代につなげていくことができれば、今の困難にも打ち勝つことができる。田中さんの成長はまだまだ続きます。

【この記事はYahoo!ニュースとの共同連携企画記事です。】

Z世代のメディア「Z総研」アナリスト

兵庫県出身。大学在学時に女子大生のマーケティングを目的としたTeamKJを設立し、プロデューサーを務める。大学卒業後はリクルートグループに入社。その後、スタートアップ数社でZ世代を対象としたPRやプロモーションを行い、数々のメディアに取り上げられるなど若者向けのアプリがブレイク。その後、Z世代のプロモーションやインフルエンサーのキャスティングを行う株式会社N.D.Promotonで取締役に就任。Z世代の研究メディア「Z総研」ではアナリストとして、ジェネレーションギャップが生まれるZ世代の「今」を取材している。

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