「17年間、お疲れさん」。引退する息子・狩野恵輔へ、父からの労いのメッセージ

引退会見での狩野恵輔選手(撮影:筆者)

■最愛のおばあちゃんに報告

(写真提供:戸成優弥)
(写真提供:戸成優弥)

 「墓参りに帰るよ」。8月27日、東京ドームでの試合を終えた狩野選手は、群馬の実家に電話をかけた。大好きなおばあちゃんに報告することがあったのだ。

 これまで「狩野恵輔」という野球選手を誰よりも応援してくれていたおばあちゃんに自身の決意を伝え、手を合わせたかった。

 「恵輔は本当におばあちゃん子でねぇ」。そう語るのは狩野選手のお父さんである狩野宏治さんだ。

 ずっと、一番の「恵輔ファン」だったおばあちゃんは毎日、テレビのCS放送で狩野選手がプレーする野球中継を見続けてきたから「野球に詳しくなっちゃって、言うことが解説者並みなんですよ(笑)。テレビに向かって『あぁ、そんなとこに構えちゃダメだよ』なんて言うから、『プロに向かって言うんじゃない』ってたしなめたりしてね」と宏治さんは笑う。

(写真提供:Koba)
(写真提供:Koba)

 一度、京セラドームにも応援に訪れた。「そのときで90超えてたね。オレがおぶっていったなぁ」。宏治さんは大変だったようだが、「目の前で恵輔が活躍する姿を見せられて、本当によかった」と振り返る。

 「オレも厳しかったし、母親も勤めていたんで、恵輔はおばあちゃんに優しくしてもらっていたんだねぇ。プロ入って帰省したときも、いつも我々に『おばあちゃんを大事にしてね』って言って帰っていった」。

(写真提供:Koba)
(写真提供:Koba)

 そんなおばあちゃんが亡くなったのが3年前。息を引き取る直前まで元気におしゃべりしていたそうだ。97歳だった。

 狩野選手はその日、横浜で試合をしたあと帰阪予定で、翌月曜は休日だった。試合後に急いで群馬の実家に駆けつけ、いとこと一緒にひと晩、おばあちゃんと並んで寝た。

 お通夜にもお葬式にも参列して見送れたのは、スケジュール的に野球選手にとって奇跡に近い。きっと、おばあちゃんがそうさせてくれたに違いない。

■父が監督、そしてキャプテンは怒られ役

(写真提供:戸成優弥)
(写真提供:戸成優弥)

 狩野選手が野球を始めたのは小学3年で、4つ上のお兄さんの影響だ。小学6年になったとき、宏治さんがそのチームの監督を引き受けることになった。「野球は未経験なんですよ。一番年上だったもんでね」。

 未経験なりにNHKで放映されていた元ジャイアンツ川上哲治監督の野球教室を見て、「走らせるのと遠投はやらせたねぇ。近くに投げるより遠くに投げさせろって言っててね。投げるときの指先は踏み出した爪先に向かって、とかね」と、宏治さんなりに必死だった。

 「ただね、恵輔には可哀想なことをしたな…」。キャプテンだった狩野選手に叱られ役を一任してしまったという。それは、ときに理不尽な叱責もあった。

 「恵輔も率先して道具を片づけたりしてたんだけどね。子どもだから勝手なことをする子もいる。そういうとき、全員を集めて恵輔を殴ったんだ。『オレがやったんじゃないのに、なんでオレが殴られるんだ』って言ってたけど、キャプテンとして耐えてたなぁ。今から考えれば、可哀想なことしたなって思うよ」。

■性分は父譲り

(写真提供:Koba)
(写真提供:Koba)

 しかし、父の教えは狩野選手の人となりを作り上げた。曲がったことが大嫌いな宏治さんは「いいことはいい。悪いことは悪い」とハッキリしており、PTAの役員も務めながらよその子でも間違ったことをしていれば注意し、保護者会で改善できることはどんどん提案した。

 そんな厳しい教育があったからこそ今までやってこれたと、狩野選手は宏治さんを尊敬している。「オヤジが厳しくなかったら、野球の道に進まなかっただろうな…」。あるとき狩野選手が自分の子どもたちにそう言ってるのを耳にし、宏治さんは本当に嬉しかったそうだ。

(写真提供:Koba)
(写真提供:Koba)

 人一倍努力できたのも、宏治さんの厳しさゆえだ。「恵輔にはとにかく辛く当たった。アイツもなんとか試合に出してもらおうって、朝早く起きて走って素振りして、それから学校行って…ってやってたね。でも人が見てるところではやらない。見てないとこで必死でやる。もしかしたら、オレに一番似てるのは恵輔じゃないかな(笑)」。

 思いやりがあって、曲がったことが大嫌い。裏表がなく、ものごとをストレートに言う。「オレもそうだけど、恵輔も言いづらいことをズバッと言うから、これから社会に出てそこは気をつけろと」。似ているからこそ、心配が尽きない。

■狩野選手自身は男の子3人と女の子2人のお父さん

(写真提供:Koba)
(写真提供:Koba)

 狩野選手には3人の息子と2人の娘がいる。「一番上の長男(中1)は本当によく下の子の面倒を見る。風呂も入れて体を洗ってやってね。(留守がちな)父ちゃんの代わりをしないとって思ってるんかな。3歳から夏休みは1ヶ月、こっち(群馬)にいたりするんだけど、家族が大切だという話をよくしている。『こういうときは助け合わないと』とか、子どもながらに家族を大事に思っているのが、言葉の端々に出てくる。あぁ、恵輔と(奥さんの)聖子がそのように育ててるんだなぁって」。家族7人の絆の強さを感じるという。

(撮影:筆者)
(撮影:筆者)

 「野球が好きなのは2番目(小5)と3番目(小3)。特に2番目は父ちゃんの野球が大好きで、キャッチボールしたりバッティングしたり、こっち来ても家にいるのは寝てるときくらい(笑)。畑でベースランニングやスライディングしたり、ブロック塀にボール当てたり、恵輔の小さいころソックリ。一番似ている」。

 狩野選手も小さいころ、おばあちゃんと散歩しながら棒を拾ってきては、よく素振りをしていたそうだ。「だから(引退は)2番目が一番辛いんじゃないかな」と慮る。引退会見で狩野選手も、子どもに「イヤだ」と言われたと明かしていた。

■子どもたちの前で鮮烈な活躍

(写真提供:しろくま)
(写真提供:しろくま)

 そんな子どもたちは、“父ちゃんの野球”を生で観戦する機会が少なかった。

 2014年夏、1ヶ月預かっていた長男を群馬から関西に車で送ってきた日の夜、狩野家では家族会議が開かれた。テーマは「もし今季でダメだったら、仕事をどうしようか」という内容だった。

 そこへマネージャーから電話が入り、翌日の1軍昇格を告げられた。

 「今まであまり見せてないから、オヤジ、子どもたちを連れてきてよ」。ファームの鳴尾浜に行く予定だったのが甲子園へ変更だ。

 そして、子どもたちの目の前で最高の姿を見せることができた。1号2ランを含む3安打4打点の大活躍だ。(詳細記事⇒2014年8月29日「おかえりなさい!狩野恵輔選手!!」

 雨のためにヒーローインタビューは実施されなかったが、子どもたちにとって「狩野恵輔選手」は永遠にヒーローだ。

 と同時に、両親にも素晴らしい親孝行ができた。

■家族の前で最後のマスク姿

(写真提供:Koba)
(写真提供:Koba)

 「ここ何年かは、正月に帰ってきても『今年で最後かも』ということは言っていた。でも本当に見れなくなると思うと、淋しいなぁ」と胸中を吐露する宏治さん。

 地元の上毛新聞にも先日、『お疲れさま、狩野恵輔選手』との見出しで記事が掲載され、多くの人が労いや惜しむ声を寄せてくれたそうだ。

 「記録には残らなかったけど、記憶には少しは残っていたのかな」。そう話す宏治さんは誇らしげだ。

 「恵輔が『キャッチャーで入ったからキャッチャーで終わりたい』ということを言っていたことがある」。宏治さんもまた、マスク姿を見たいと思っている。そして天国のおばあちゃんも…。

 9月27日、ファームでの引退試合では「キャッチャー・狩野恵輔」を披露する予定だ。兄家族を含めた狩野家は早朝4時に出発し、群馬から駆けつける。

 「本当によくやった。17年間、お疲れさん」。こうメッセージを贈った父は、息子の最後の勇姿を見届ける。

【狩野恵輔選手*関連記事】

2014年8月30日「おかえりなさい!狩野恵輔選手!!」

「最後はキャッチャーで終わりたい」―根っからの捕手、狩野恵輔選手の引退