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「なかったこと」にし続ければ、戦争も虐殺も繰り返されることになる #深沢潮さんインタビュー 【後編】

渥美志保映画ライター

韓国ドラマの魅力は、どこかに社会的な視点があることーー韓国ドラマ好きとしても知られる深沢潮さんはそう語ります。新刊『李の花は散っても』は、日韓の国境を超えたラブストーリーですが、その背景として両国の関係が克明に描かれた作品。作品内で特に衝撃をもって目にするのは、関東大震災の時に起こった朝鮮人虐殺の描写です。日本ではこうした、いわば「国の恥部」のような出来事は、なかなか映画やドラマのテーマに扱われることはありません。一方、韓国ではそうした作品が次々と作られ、中には国民的な大ヒットを記録した作品もあります。韓国がそうできるのはどうしてなのか。日本がそうできないのはなぜなのか。【後編】ではその点について、作品紹介を絡めながら、深いお話を伺っています。

【前編 社会派だから面白い韓国ドラマ、その根っこにあるスピリットとは?】はこちら

ーー 韓国のカルチャーを楽しむ人が韓国の歴史を知らないままでいいのか、という話はいろんなところで言われることですよね。私は、絶対とは言わないまでも知っている方がいいと思うんです。ドラマや映画から感じられるものが何倍にも増えるし、日本も少なからず関わっていることだし。特に植民地時代を舞台にしたものは、「見たくない」と敬遠する日本人が多いですよね。

深沢潮(以下、深沢) 日本の植民地時代から韓国の独立までの時代を描いた新刊『李の花は散っても』(以下『李の花』)を書くに当たって、同時代が舞台の映画やドラマをだいぶ見ました。『緑豆(みどりまめ)の花』という作品は歴史に誠実に描かれていて、ドラマとしてもすごくよかった。日本の韓国ドラマファンにぜひ見てもらいたい作品ですよね。

ーー すごくいい作品ですよね。李朝末期を舞台にしていて、「甲午農民戦争」という、日本軍が半島に入るきっかけとなった民衆蜂起を描いています。これをきっかけに清との対立が激化し、日清戦争が始まります。

深沢 日本の教科書では「日清戦争のきっかけ」と書かれているだけで、甲午農民戦争の二次蜂起については一切触れられていないんですね。執筆者が起こした「教科書検定は検閲ではないか?」という問題を巡る「家永裁判」というのがあるんですが、その際に削除されたのがまさにこの記述です。これは日本の植民地支配に対して抵抗運動があったことを後世に伝えたくないという歴史修正なんですよね。実際にこの戦争で多くの民衆が日本軍に虐殺されていて、『緑豆の花』ではそういう部分も描かれています。

ーー 差別の話でもありますよね。『賢い医師生活』のチョ・ジョンソクと、『不滅の恋人』のユン・シユンが仲のいい異母兄弟を演じているんですが、兄は奴婢の母親から生まれているから、父親にゴミのように扱われている。さらにその父親は郡主(地方長官)なんだけど成金の平民で、支配階級である両班(貴族)に蔑まれている。弟はそうした階級差別がすごく嫌で「身分制度がなくなった先進国=日本」に入れ込んでいくんだけれど、結局は日本人から朝鮮人として差別されている。兄弟は政治や時代に翻弄されたまま、甲午農民戦争で敵同士として戦うことになってしまいます。

深沢 弟は、いわゆる「チニルパ(親日派)=日本人の協力者」ですが、典型的な悪役ではなく、「なぜそうなってしまったのか」という苦悩や、良心と立場の間で葛藤する姿も描かれていますよね。ちなみに韓国での「親日派」は「日本文化が好き」という意味ではなく「植民地時代の日本の協力者」という意味で、「チニルパだった」と発覚すれば、今でも糾弾される空気があります。

ーー 祖父が「チニルパ」だったと発覚し、俳優さんが謝罪、なんてニュースは今も時々ありますよね。知られざる「チニルパ」の存在が鍵となるサスペンスの傑作『サメ 愛の黙示録』(キム・ナムギル、ソン・イェジン主演)もありましたね。

深沢 この甲午農民運動は独立運動につながる「種」のようなもので、韓国の精神の根幹に関わる「ナショナルプライド」と言えるものだと思います。韓国で古代史を教えている先生がおっしゃっていたんですが、「植民地化された歴史を持つ国には、そうでない国からは想像もつかないナショナリズムがある」と。ナショナリズムや民族意識が時に強く出るのは、国を奪われた記憶と、その危機意識があるからなんです。例えば国旗も、日本では右派の象徴のように思われていますが、韓国では右派も左派も関係なく国旗を持って独立運動を戦ったから、感覚が違うんですよね。

ーー でも韓国の場合、「愛国心=国のやることを常に肯定」というのとは違いますよね。政権が国民をいじめるような政策をすれば、デモや抗議運動が起こるし、支持率も簡単に下がるし。

「なかったこと」にしてしまえば、また悲劇が起こってしまう

ーー 一方で、韓国の映画やドラマには「国が国民を切り捨てる」という場面もしばしばあるんですよね。ああいう描写は光州民主化運動を知る人たちには、すごくリアルなんだろうなと。国が言う「国民のため」の嘘っぱちをひしひしと感じる昨今の日本ですが、深澤さんの新刊『李の花は散っても』(以下、『李の花』)にも、同じようなことを感じました。

深沢 『李の花』で、その際たる存在として登場するのが李朝最後の王子、李垠(リ・ギン)なんですよね。10歳で日本に連れてこられ、日本の女性皇族と結婚させられ、戦後は放り出されて。日本だけじゃなく、韓国も酷いですから。

ーー 結局のところ、国を動かす人は体制を維持することしか考えていないんだなと。

深沢 この小説は「国益あって人権なし」という側面も描いているんですが、最近の日本の一部の右派議員も「国益なくして人権なし」と、平気で言うじゃないですか。本来は「人権あっての国益」であるべきなのに。

ーー 『李の花』では、関東大震災における朝鮮人虐殺も描いていますよね。最近では松野官房長官が「そうした記録は残っていない」と言っていますが、実際には様々な資料が残っていて、これぞ「歴史修正」という感じで。私は歴史修正って本当に「国民の利益」としての国益を損なう、ものすごく大きなものだと思うんです。韓国における光州民主化運動も、当初は光州を封鎖して情報統制し、それ以外の国民には「ないもの」にしようとしていた。でもそれが失敗したおかげで、権力の横暴を監視し行動する国民の意識につながっているわけで。ただ小説で震災における虐殺を描くのは、なかなか勇気がいったのではないかなと。

深沢 この作品は連載小説だったんですが、当初はリ・ギンの妻である梨本宮方子(なしもとのみやまさこ)さんだけを主人公にする予定で、事件は触れる程度のつもりでした。でも書き始めてから、あの時代の女性の生きづらさを書くならば、上流階級だけでなく市井の女性も出したいなと。それで庶民の「マサ」という人物を作ったんですが、そうなるとやっぱり町で起きていたことは生々しく目にすることになるので。連載が始まった辺りから「小池都知事が追悼文を送らない」という動きも出てきて、これはもう絶対に書いておきたいなと。

ーー 資料に当たって初めて知ったというようなこともありましたか?

深沢 当時の状況は母から「祖父が殺されかけた」と聞いていましたし、話題になった加藤直樹さんの著書『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』も読んでいたので。ただ小説を書くと決めてから読んだ様々な証言集で、さらなる衝撃、やっぱり、という感じだったのは、女性に対する凌辱が少なからずあったということです。これに関しては、朝鮮人に限らず日本人の女性も被害にあっているんですよね。中には朝鮮人と決めつけられて殺された日本人もいて、パニックの中で起きるヘイトクライムの恐ろしさを感じました。

『9月、東京の路上で 1923年関東大震災 ジェノサイドの残響』 加藤直樹 著  ころから 刊
『9月、東京の路上で 1923年関東大震災 ジェノサイドの残響』 加藤直樹 著  ころから 刊

ーー 『李の花』にはそのあたりも描かてれて、読みながらすごくショックを受けました。私にはなにか慰安婦問題と似たものに思えました。日本軍で働かされた慰安婦には日本人女性もいたと聞いています。ノーベル賞作家、スベトラーナ・アレクシエビッチの『戦争は女の顔をしていない』では、第二次大戦のソ連軍では、女性軍人がその役目を背負わされていたことも描かれています。極限状態では人種差別と同時に、女性差別も顕在化する。こう事実が「なかったこと」にされてしまうこと、イデオロギーや国同士の対立構造に回収されてしまうこと、「どこの国もやっている」と問題をすりかえられたりすることって、すごくよくないですよね。

『戦争は女の顔をしていない』スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ 著 , 三浦 みどり 訳  岩波書店 刊
『戦争は女の顔をしていない』スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ 著 , 三浦 みどり 訳  岩波書店 刊

深沢 そうだと思います。よく学者などのインテリ層が「戦争とはこういうもの」とか「差別は人間の本性だから」みたいなことをしたり顔で言われるじゃないですか。確かにそうかもしれませんが、だからこそそうならないよう動くことが必要だと思うんですよね。例えば「ゴキブリは完全には駆除できない」からといって、放っておくんですか?という話で。誰にとっても他人事ではないですよね。何かの拍子に、自分が差別や被虐の当事者になってしまうことだってあるわけです。少し前までは「とはいっても日本は大丈夫」と思っていましたが、最近の日本はちょっと……。

ーー こういう歴史修正が積み重なると過去を総括できず、いざという時に正しい判断ができなくなっちゃうと思うんですよ。

深沢 今、本当にそういう状況ですよね。国を動かしている人に、歴史を客観的に自制的に見ている人が少ないから。正しい歴史だけの国なんてひとつもないと思うんです。ただそれを認めて、二度と繰り返さないと思えるかどうか。現在の日本の政権は「自分たちは間違ったことはしていない」という一点でしか歴史を見ようとせず、負の歴史を書き換えたり、なかったことにしてしまう感じがあります。

ーー ふと気づくと、10年前とは全く違う世界、常識になっている感じがします。日本人って「お上に従っていれば大丈夫」と思考停止している人も多いし、そうでなくてもつい流されてしまう人も多いから。

深沢 そういう中で韓国ドラマを見ていると、やっぱり民主主義や人権に対する理解の圧倒的な差を感じるし、それを守ることはあたりまえという空気を感じるんですよね。でも日本の場合は、そういうふうに動く人たちを冷笑的に見る風潮すらあって。日本は経済的に豊かな時代が続いて、何もしなくてもそこそこ幸せになれるし、頑張って社会を変えたいと思うほどの不満もない。切迫感がないのかも知れません。

ーー 最近では、西武・そごうのストのような動きも散発的に起こってきているし、すこし空気が変わってきているのかなとも思います。

深沢 今年は関東大震災の朝鮮人虐殺が起きて100年ですが、このようなことが起きたことも、一過性にならず、作品やテキストとして、きちんと語り継いでいくことが大事だと思います。

社会派だから面白い韓国ドラマ、その根っこにあるスピリットとは? #深沢潮さんインタビュー 【前編】

深沢潮 プロフィール

東京都生まれ。在日コリアンの両親を持つ。2012年『金江のおばさん』で第11回「女による女のためのR-18文学賞」大賞受賞。『ひとかどの父へ』『緑と赤』『海を抱いて月に眠る』『翡翠色の海にうたう』『乳房の国で』など、在日コリアンをテーマにした作品や女性の生きづらさを描いた多くの作品を持つ。最新作『李の花は散っても』は、李王朝に嫁いだ梨本宮方子の数奇な運命と、半島から来た革命家と恋に落ち社会から転落していく女性・マサの人生を通じて、戦前・戦中・戦後の日本と朝鮮半島を舞台に描く。

映画ライター

TVドラマ脚本家を経てライターへ。映画、ドラマ、書籍を中心にカルチャー、社会全般のインタビュー、ライティング、コラムなどを手がける。mi-molle、ELLE Japon、Ginger、コスモポリタン日本版、現代ビジネス、デイリー新潮、女性の広場など、紙媒体、web媒体に幅広く執筆。特に韓国の映画、ドラマに多く取材し、釜山国際映画祭には20年以上足を運ぶ。韓国ドラマのポッドキャスト『ハマる韓ドラ』、著書に『大人もハマる韓国ドラマ 推しの50本』。お仕事の依頼は、フェイスブックまでご連絡下さい。

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