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WBCチェコ代表選手が日本球界入りへ:「パイオニア」から「2代目」へ託されたたすき

阿佐智ベースボールジャーナリスト
ヤクブ・スラディック氏(左)とミラン・プロコップ選手(左) (神奈川球団提供)

 先日フライング気味にチェコ野球協会(CBA)から発表され、話題になったが、昨年のWBCチェコ代表のメンバー、ミラン・プロコップ内野手のルートインBCリーグ・神奈川フューチャードリームス入団が発表された。

 プロコップは、チェコ東部の都市、ブルノ生まれの20歳。昨年のWBCでは2試合に代打出場した。日本戦でも9回に代打で登場するも、宮城(オリックス)の前に三振に倒れている。

 本人も周囲も目標はあくまで世界最高峰リーグのひとつであるNPB入りだという。若干20歳の学生が大学を休学して日本の独立リーグに挑戦することになった背景には、これまで長年の間に渡って培ってきた日本とチェコの野球界のつながりがある。

チェコ初のプロ野球選手

 チェコ人初のプロ野球選手は、意外なことに19世紀に誕生している。しかし、それは移民1世の選手であり、純粋な意味でのチェコ生まれ、チェコ育ちの「チェコ人初のプロ野球選手」は、2008年に18歳でフィリーズと契約したヤクブ・スラディック内野手だ。彼は2009年にルーキー級ガルフコーストリーグでアメリカプロデビューを果たすが、たった9試合の出場で3安打、打率.188に終わると、シーズン終了を待たずしてリリースされ、チェコ国内リーグ・エクストラリガに戻ることになった。

 そんな彼に目をつけたのが、当時国際戦略を進めていた石川ミリオンスターズ(現日本海リーグ)の職員としてスカウティングのためチェコに足を運んだ植山武瑠さんだ。

「現在のナショナルチーム監督のパベル・ハジムさんが当時CBAの副代表をされていたんですよ。『チェコの野球はまだまだ。プロなんてとても』って言ってたんですけど、ヤクブともうひとり、去年のWBCでチェコチーム第1号ホームランを放ったマチェイ・メンシクが目についたんです。でもまあ、登録枠の問題やこっちの予算やリーグのサラリーキャップもありますから、手をあげたヤクブが来日することになったんです。航空券自腹でのトライアウトとしての来日で、合格したら航空券代も出してやるっていう条件だったんですけど、彼はチャレンジしてくれました」

 身長2メートルの巨漢一塁手は、当たれば素晴らしい打球をスタンドまでもっていったが、やはり独立リーグとは言え、投手王国・日本のピッチャーの前に、なかなかボールがバットに当たらない。当時のチームが数多く外国人選手を抱えていたこともあり、出場は代打に限られたこともあり、スラディックは、力を発揮できないままノーアーチで2012年シーズン限りで日本を去ることになった。

石川ミリオンスターズ時代のヤクブ・スラディック(筆者撮影)
石川ミリオンスターズ時代のヤクブ・スラディック(筆者撮影)

 それでも、帰国後はナショナルチームの一員としてWBC予選に出場している。その後もチェコ球界屈指のスラッガーとしてエクストラリガで活躍。WBC2017年大会の予選にもメンバー入りし、出場機会はなかったものの、2015年の春には、欧州代表の一員として侍ジャパンの強化試合に参加するため再来日を果たしている。そして、30歳となった2020年シーズンを最後に現役を引退。現在は指導者の道を歩んでいる。

 そんな彼が、「2代目」に指名したのがプロコップだった。

きっかけはWBC

 一方の植山さんは、一時期野球から離れていた時期があったが、神奈川フューチャードリームズのフロントスタッフとして独立リーグに戻ってきた。その間、CBAとも不定期に連絡を取り合っていたが、昨年のWBCで初の本戦出場を決めたチェコチームが来日した際、監督となったハジム氏と再会している。

 チェコチームの示したスポーツマンシップは、大会を大いに盛り上げ、中国相手の「金星」もあり、「チェコ野球」に野球ファンの注目が集まった。ブームと言っていいチェコ野球人気はその後もしばらく続き、佐々木朗希がウィリー・エスカラに当てた死球が縁になって、千葉ロッテが8月にハジム監督以下3人を日本に招くことにもなった。この際にも、植山さんはハジム監督に会ったが、この時の会話の中で、再び独立リーグに選手を送り出す話がもちあがった。

「昔のよしみもあるから、選手を日本に送り出すなら、ぜひウエヤマのチームに預けたい」というハジム監督は、一緒に来日していた、WBCの中国戦で決勝3ランを放ったスラッガー、マルティン・ムジークを推した。本人も前向きになったものの、選手登録枠が保証されないことや、報酬面で話が折り合わず、話は進展しなかった。WBCの際も話題になったが、トップリーグでもアマチュアであるチェコ野球では、当然のごとく選手は他に職をもっている。すでに生活の基盤を母国にもっている身で、職を辞しての独立リーグへの挑戦はやはりハードルの高いものだった。

日本・チェコ両国の架け橋に

 話が再び動き出したのは10月になってからのことだ。白羽の矢が当たったのは、20歳のプロコップだった。彼自身、日本でのプレー経験のあるスラディックに話を聞いたという。学生という身軽な身分も後押しし、神奈川球団は彼の伸びしろを買って獲得を決定した。

「でも大変だと思うんですよね。英語は話せるようですけど、やっぱり母語じゃないですからね。チェコ語を話す人は関東でもなかなかいないでしょうから。野球以前に、日本で暮らすっていうのも若い彼にはチャレンジです。球団としても、できることはしてあげたいですね」

と話す植山さん。プロコップの目標はもちろんNPBだ。

 神奈川球団では、これをきっかけとして、世界の野球振興のために外国人選手を獲得していく方向性を模索しているという。もちろん、予算的な問題や選手枠の問題もあるのだが、ただ単なる「助っ人」としての戦力の補強だけでなく、まだまだ野球の普及度の低い国々から「のびしろ」に期待した外国人選手獲得を考えている。

ミラン・クロコップ(©baseballczech)
ミラン・クロコップ(©baseballczech)

 一方で、チェコへ自軍の選手を派遣することも将来的にはありうるという。エクストラリガでは、各クラブが有給の外国人選手を獲得することがあるが、これはプロ選手を呼んでくるというよりは、クラブのコーチとして外国人選手を迎え、ジュニア世代への指導を任せつつ、週末の試合に出場させることを念頭に置いている。独立リーグで年数を重ね、正直なところNPBドラフトにかかる可能性の低くなったベテラン独立リーガーが指導者修行をする場としてヨーロッパはもってこいの場所とも言えるのだ。

 プロとしてプレーするには、国外のその場を求めざるを得ないチェコ野球とNPBから独立リーグまで幅広くプロの裾野が広がりつつある日本野球のコラボレーションが今始まろうとしている。

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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