Yahoo!ニュース

横浜大洋ホエールズ「最高の助っ人」、カルロス・ポンセ参上

阿佐智ベースボールジャーナリスト
熱心なファンとの写真撮影にご満悦のカルロス・ポンセ氏

 プロ野球もシーズン佳境に入ってきた。セントラル・リーグは阪神タイガースがぶっちぎりでゴールテープを切ったが、今シーズン予想外の(失礼)躍進を遂げたのが横浜DeNAベイスターズだった。そのベイスターズが「ホエールズ」と呼ばれた昭和の終わりから平成のはじめ、弱小球団にあって孤軍奮闘していた助っ人スラッガーを覚えているだろうか。そう、カルロス・ポンセだ。

 1986年に来日。前年にメジャーデビューを飾りながら、スプリングトレーニングでメジャー40人枠に残ることができず、バンクーバー(3A)か日本の選択に迫られ、来日を決めたという。

「迷わず日本だったよ。なにしろギャラが違ったからね」

 当初は、2年日本でプレーし、メジャーに戻ろうと考えていたが、結局、日本で5年にわたりプレーし、現役を終えることになった。

 いきなり1年目から打率3割をマーク。2年目の87年には98打点でタイトルをとった。翌1988年には33本塁打を放ち2年連続の打点王とともに2冠を獲得した。その風貌から「スーパーマリオ」のニックネームでファンから親しまれ、オールスターゲームにも1度出場している。

 現在は、フロリダ・ウェストパームビーチで余生を過ごしているプエルトリカンが、一般社団法人日本プロ野球外国人OB選手会(JRFPA)の企画で4年ぶりに来日した。御年64歳になるが、丸太棒のような太い腕は現役時代と変わらない。現在でもトレーニングにいそしんでいるという。

 15日に日本到着。その後埼玉で野球クリニックを開いた後、昨日18日はファンとのふれあいをすべく、東京・中野でサイン会を開いた。

 午前中にインタビュー取材を受けた後、昼食。メニューにカレーライスを見つけると、すかさずカツカレーを注文した。日本では焼肉を楽しんだという。

 12時半の開始前にすでに数名のファンが会場前をうろうろ。根強い人気をうかがわせた。何度かに分けて行われたサイン会は3時間近くに及んだが、ポンセ氏は疲れを見せることなく、ファンとの交流を楽しんだ。参加者は当日の飛び込み客を入れ六十余人。会話を楽しみながらたっぷり時間をかけてのサイン会に参加者は一様に満足していた。

 参加者のほとんどは、現役時代を知る古くからの野球ファンだが、中には20代の若者の姿も。わざわざ大阪から駆けつけたファンにポンセ氏の人気のほどが現れていた。

 ポンセ氏の現役時代の写真をプリントした特注のTシャツを携えてきたファンには、本人も大感激。

「そのうちベイスターズが真似して商品にするんじゃない?」

とジョークを飛ばしていた。

自作のTシャツを持参したファンにポンセ氏も大喜び
自作のTシャツを持参したファンにポンセ氏も大喜び

 4歳になる息子さんを連れて参加した大洋時代からのファン、宮内隆行(45)さんは、「37年ぶり」の「再会」に子ども以上に感激していた。

「小学3年のときに遠足で(横浜の)山下公園に行ったんです。そのときに散歩に来ていたポンセさんを見かけたんです。僕らが寄っていったんですけど、ポンセさんは嫌な顔ひとつせず、みんなに握手してくれました。その時は手ぶらだったんでサインしてもらえなかったんですが、今回目の前でしてもらって大感激です」

 現在はユーチューバーとしても活躍しているポンセ氏だが、今後は現場の指導者としても活動したいとのこと。

「日本でコーチができたら最高だね」

 あくなき野球への思いを語っていた。

 今日19日は、各報道機関の取材を受けた後、ファンミーテングを行い、20日に日本を離れる予定。

 JRFPAでは、今後も懐かしの大物助っ人を招聘予定である。来年の秋までにすでに5人の来日が決定している。次回は、来年3月に西武、阪神などで活躍したクレイグ・ブラゼル氏がファンの前に姿を見せる。

(写真は筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

阿佐智の最近の記事