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「日本一」目指しポストシーズンに臨む信濃グランセローズを支えるベテランコーチの波乱の独立リーグ人生

阿佐智ベースボールジャーナリスト
田中実コーチ(信濃グランセローズ)

 今年のプロ野球(NPB)ペナントレースはセ・リーグの優勝が決まり、パ・リーグもオリックスがまもなくゴールテープを切りそうだ。独立リーグの方でも、すでにヤマエ久野九州アジアリーグ、日本海リーグでチャンピオンが決まり、「独立リーグ日本一」に向けた出場チームが次々と名乗りを挙げている。

 日本最大の独立リーグ、ルートインBCリーグではリーグチャンピオンシップシリーズが始まる。連覇を狙う北地区チャンピオン・信濃グランセローズと悲願の年度初優勝を狙う埼玉武蔵ヒートベアーズによる5戦3勝制のシリーズが今日、信濃のホーム、長野県の中野市営球場でスタートする。

 今年も安定した強さでリーグ8チーム中ダントツの0.762という高勝率を残した信濃を支えたひとりが、9年ぶりの現場復帰となった野手総合コーチの田中実だ。現役時代は日本ハムで8年プレー、その後はルーツのある韓国球界に身を投じ、名門・サムスン・ライオンズなどで6シーズンプレーし、2000年シーズン限りでユニフォームを脱いだ。その後帰国しサラリーマン生活を送っていたが、2010年に韓国時代の先輩が監督に就任したという縁から、関西独立リーグ(初代)に新規加盟した韓国球団、コリア・へチにコーチとして参加。ここから指導者の道を歩み始める。   

 不安定なリーグ運営もあって、翌年はこのシーズンからリーグ戦に参加した大阪ホークスドリームに移籍。ここでは監督を務めるが、サラリーマン時代の不動産取引に関わる詐欺事件に巻き込まれ逮捕されてしまう。田中は事件にはほとんど無関係で不起訴となるが、メディアは逮捕については報じたものの、不起訴については全くと言っていいほど報じなかった。球団は「逮捕」の事実だけをもって田中を解雇するが、翌2012年シーズンはまたもや新設球団の大和侍レッズの監督として現場復帰する。しかし、このチームもこのシーズン限りで活動を停止してしまった。

その後は韓国球界に復帰し、独立球団高陽ワンダーズ、トップリーグ・KBOの起亜タイガースでコーチを務めたが、2014年シーズン限りで再び野球界を離れることになっていた。

インタビューに応じてくれた田中コーチ
インタビューに応じてくれた田中コーチ

 彼と再会したのはこの夏のことだった。梅雨明けの伊那は盆地特有の猛暑となっていた。独立リーグの監督時代以来11年ぶりに見たその顔は以前より幾分ほっそりとしていたが、それがかえってその表情を若々しくしていた。なによりもフィールドに復帰したということがその表情を生き生きとさせているのだろう。

「侍レッズの後、どうしようかなと思っていたら、キム・ソングンさんから声がかかったんです」

 キム・ソングンと言えば、韓国球界では野球の神、「野神」としてその名を轟かせた名将である。田中とはサンバウル・レイダース時代に師弟関係にあった。当時、キムは韓国初の独立球団、高陽ワンダーズで監督として「プロ(KBO)未満」の若い選手の育成に携わっており、独立リーグでの指導経験のある田中に白羽の矢を立てたようだ。ここで1シーズン過ごした後、翌2014年シーズンは、起亜コーチとしてKBO復帰を果たす。

「起亜に移籍したのは、ソン・ドンヨル(元中日)さんのつてですね。ソンとは、KBOでは一緒にやっていたわけではないんですけれども(1994-95年、田中はサムスンの選手として起亜の前身ヘテ・タイガースの投手であったソンと対戦)、ヘッドコーチが現役当時の同僚だったんです」

 現役時代の後半を過ごした韓国はコリアンの血を引く田中にとっては「故国」と言っていい存在だ。だが、在日韓国人2世の父の下に生まれた田中は、当初全く韓国語を話せなかったと言う。

「おやじももう日本式で育ったみたいで、言葉はできひんかったからね。だからうちもキムチも食うたことないような家庭でした。だから、おやじ、僕が韓国で野球やって、初めて韓国に行ったっていう感じですから。親戚がいるかどうか、そもそも先祖がどこ出身かも知りません。だから言葉は向こうに行ってから覚えました。コーチでまた韓国に行ったときはその覚えた少しの韓国語でなんとかしました。まあ、野球のことはなんとか会話できましたわ」

 日韓で独立球団を経験した田中だが、ことこのレベルに関して言えば、韓国で指導したワンダーズの方がはるかにいい環境だったと振り返る。

「(ワンダーズ監督の)ソングンさんは練習が厳しいので有名でした。元々日本生まれの方ですから、もう昔の昭和野球ですわ。だから練習は全然違います。そもそも待遇がまず違うんです。ワンダーズの方が良かったです。合宿所も1棟を借り切ってるという感じで全員一緒。球場もナショナルチームが使う専用球場をホームにしていました。僕らの給料もそこそこ良かったですけど、ただ、使うことがなかったんですよ。休みないんで(笑)。住むところと食事は面倒見てくれるし。こっち(信濃)は、ホームゲームの時は食事は自腹。選手はここで弁当なんかを持ってきます。逆に遠征の時は弁当出るんですよ」

 韓国での指導者生活は2年しか続かなかった。起亜に移籍して1年で自分を引っ張ってくれたソン・ドンヨル監督が解任されたのだ。

日本に戻ってきた田中は、まずは職探しをせねばならなかった。離婚歴のある田中にプロで稼いだ貯えはそう多くは残っていなかった。家族を養うためには働かねばならない。再婚した妻との間にできた子はまだ幼かった。

「遊んでてもしゃあないじゃないですか。とりあえず仕事探して、見つけたのが、ゴミの収集車やったかな。その後、大型免許取ってトラックの運転っていう感じで。給料のええとこ見つけては会社替わりました」

8年に及ぶサラリーマン生活では常に逮捕歴がつきまとった。他人の犯罪に舞い込まれただけで田中はむしろ被害者といってよかったが、たとえ不起訴であっても「逮捕」の事実を消すことはできない。

「職探すので当然履歴書をもっていくんですけど、僕は逮捕のことはちゃんと賞罰欄に書きました。『書かんでもえええのに』ってアドバイスくれる人もいるんですけど、野球の経歴は当然書くでしょう。そうすると結局わかるんですよ。ネットで調べたらすぐ出てくるから。それで落とされたことも多かったんですね」

経歴を偽って採用されたこともあった。その時ものちに真実を告白して頭を下げた。その時、雇い主は、「そうか」の一言であとはなにも言わなかった。人情に触れた瞬間だった。

 だから、BCリーグから話があった時もためらった。しかし、信濃球団の社長は一切を承知で迎えてくれた。長いブランクに加え、柳沢監督以下のスタッフ、選手はだれも知らない。それでも田中は飛び込んだ。

「僕の方が年上なんで、監督も多分やりづらい部分はあると思うんですけど、それはもうグラウンドでは上下関係なく監督と野手コーチなんで、あまり気使われても僕もやりにくいんで割り切ってやってます」

 コーチングスタッフ以上にとまどったのは選手だった。独立リーグということもあり、選手の年齢層は若い。一方で自分の年齢はどんどん上がっていく。ブランクの間に選手のたちは息子といっていい世代の若者になっていた。それでも接していくうちにとまどいはなくなっていった。

「以前指導していた関西のリーグと比べてBCリーグはやっぱりレベルは高いです。出来上がってる子が多いです。それにとくにうちのチームは分かっている子が多いと思います。最初は、最近の若い子だから、ちょっとチャラい、少しでもきつく言うと、もうシュンとなって、ふてくされるような子が多いのかなと思っていたんですけど、芯をしっかりもってやっている子が多いんで。自分でうまくなろうと思って練習やっている子が結構多いので、言わんでもやります」

 信濃球団は活動拠点を長野市郊外の中野市に置き、市営球場を毎日借り切っている。試合のない日はここで全体練習をしているのだが、週末の連戦が終わった次の日はオフとなる。それでも、選手たちはそのオフの日もグラウンドに出てくるという。

「だから結局僕も球場に顔を出します。朝9時ぐらいから何人か来て。それから入れ替わり立ち替わりで、毎日夕方4時、5時ぐらいまではグラウンド使っています」

毎日の練習が終われば、球団が自治体から借りている職員住宅に帰宅。ここには監督、選手も住んでいる。

「そこに何人いるかな、十何人住んでいるのかな。韓国の時と同じで、ブラブラしてる時間はないですよ。外出と言えば、お風呂行くぐらいですね。スポンサーがやってる温浴施設。サウナもあるんで(笑)。毎日そこ行って、帰ってきて、飯食うて寝るだけです」

 若い選手と向き合う日々。妻子は自宅のある大阪に残してきている。

「まあ、ずっと一緒にいたいと思うのは、新婚さんだけですって(笑)。嫁さんもそう思っていると思いますよ。取りあえず給料だけ放り込んでくれたらええのにっていうぐらいですよ。嫁さんも、息子も、家おられたら、うっとうしいでしょう(笑)。韓国の時は夏休み入ったら、嫁さんが遊びに来ていましたけど。長野は遠いって(笑)。実際、乗り換えとか考えると、(自宅のある)大阪から5~6時間かかるんで。韓国やったら、家から関空行って、飛行機やったら、4時間ぐらいで行けるんです。子供は子供で『山より海の方がいい」って。だから夏休みも来ないんじゃないですか』

 ひとり息子は小学校5年になる。プロ野球選手のDNAを引き継いでいるはずだが、スポーツには興味がないらしい。今時の子供らしく、ゲームに夢中になっているのが少し心配だ。

「サッカーとかバスケとかは、小さい頃やってましたけど、野球は『意味分からん』って(笑)。うるさいオヤジがいなんでゲームできるって喜んでますわ」

 今年で56歳になるが、この子が成人するまではフィールドにいるつもりだ。

「最初はできるかなって思ったけど、まだ体は大丈夫ですね。長野は案外暑くて、みんな『暑い、暑い』って言ってるけど、僕そういうふうに感じたことないから、大丈夫。まだ子供がちっさいでしょう。まだまだ働かんとね。シワシワになるまで働かなあきませんわ。

 チームは昨年もNPBに選手を送り出した。今年も、ドラフトで選手を送り出すことがひとつの目標だが、もうひとつ、昨年成し遂げられなかった「日本一」も狙う。それにはまずは、リーグチャンピオンシップを制すことが必要だ。

「今年も結構調子いいんでね、やっぱりうちは。去年も良かったですけれども、今年はもっといい感じなんで」

 最後にサラリーマンと野球、どっちがいいかと問うた。

「そら、やっぱり野球の方がいいですよ」

 即座に答えが返ってきた。

(写真は筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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