「球界の高等遊民」久保康友。今シーズンはドイツへ
人呼んで「球界の高等遊民」。もっとも彼自身はもはや「球界」の人間だとは思っていないだろうが。
久保康友のことだ。ロッテ、阪神、DeNAで通算97勝。NPBで功成り名遂げると、余力を残して引退。あくせく働くことを良しとせず、今は、その「余力」を利用して、世界の名所巡りを行っている。「世界遺産マニア」を自称する彼は、国外のリーグでプレーすることを希望し、これまでアメリカ独立リーグやメキシコでマウンドに上がっていたが、コロナ禍でここ2年はそれもできず、昨年は自宅のある関西の独立リーグでプレーし、途中、北海道ベースボールリーグのマウンドにも立った。そして、今、彼はドイツのトップリーグ、ブンデスリーガでプレーしている。トップリーグと言っても、本質はアマチュアリーグ。外国人選手がクラブのコーチとして雇われ、週末にプレーするだけだ。本業は平日の少年たちへの指導である。日本のプロ野球とはかけ離れた環境だが、彼は楽しんでいるようである。
彼のドイツ行きの話を耳にしたのは今年の年明け頃だったろうか。まだ寒風吹きすさぶ2月、兵庫県内陸部にある三田市のグラウンドに足を運ぶと、粉雪が舞う中、マウンドで若い選手相手に投げている久保の姿があった。
昨年在籍した兵庫ブレイバーズのキャンプインは1月15日。この日から久保は練習に参加していたと言う。すでに退団していたが、4月初旬のドイツ・ブンデスリーガ開幕に向けて若い選手たちと練習に励んでいた。チームにとっても経験豊富な久保がシートバッティングの相手をしてくれることは大歓迎のようで、その老獪なマウンドさばきを目の当たりにしてネット裏の首脳陣は唸っていた。
「向こうには2週間くらい前に行く予定です。それまで実戦がないんで。ここで投げさせてもらっているんです」
北海道への移籍もやはり観光
彼には昨年の夏に一度話を聞いている。その直後に、北海道ベースボールリーグに移籍した。そのことに話を向けると、
「だから言ってたでしょう。僕は楽しむために野球しているんです。だから北海道」
という返事が返ってきた。
北海道への移籍話は自ら申し出たことだという。
「もともと関西独立リーグと向こうのリーグが提携してたんですよ。だから交流戦をしてたんです。それがコロナで中断していて、去年、そろそろいいだろうってブレイバーズが富良野に遠征することになったんです。だから僕から球団に言ったんですよ。『提携してるんだったら選手の行き来もしたらいいじゃないですか。NPBじゃないんだからレンタル移籍もありなんじゃないか』って。それでまずは僕が行くって申し出たんです。それで、遠征した後に僕だけさらに2週間そのまま残ったんです。僕も北海道楽しめるし、リーグも活性化するでしょう。実際、今シーズンは向こうからこっちに移籍した選手もいます。ウィン・ウィンじゃないですか」
チームが去った後、その宿舎だった青少年宿泊施設のドミトリー部屋にひとり残った。小中学生が林間学校で使うような宿泊所に不惑を過ぎた中年男がひとり泊まるだけでもなかなか見ることのできない光景なのに、その中年男が元プロ野球の主力選手というのも、なかなかある絵ではない。無論、久保は「そんなん別に寝れたらいいじゃないですか」と意に介さない。
北海道ベースボールリーグは、選手には報酬は支払わず、プレーする環境を提供し、就労支援を行う一風変わった独立リーグだ。選手たちは、チームの本拠地のある町で仕事に就きながら野球を続けている。短期間ではあれこのリーグの所属選手となった久保は、リーグの趣旨にも賛同し、地元農家の手伝いもしたという。
「別に球団から頼まれたわけではないです。面白そうだからオフの日に農家でアルバイトやってる子の所に見学に行きました。ビニールハウスでトマト収穫しましたね。農業はやったことがないんで、どんなことやってんのかなと思って。もちろんノーギャラですよ」
ブレイバーズの北海道遠征に帯同し、交流戦で顔見せ登板。移籍先の富良野ブルーリッジでは2度先発したという。久保にとっては寝床と食事を用意してもらった上での北海度観光だった。最後は家族も呼び寄せ、周辺を巡ったという。
「温泉とか行きましたよ。富良野なんで『北の国から』のロケ地巡りもしたかったんですけど、それは時間なかったですね。帯広まで遠出したし。試合は両方負けたかな。1つは僕が敗戦投手のはずです」
たった2週間の北海道のプレーは、彼にとって「旅」でしかなかった。
「言うたら遊びに行ってるだけですね。北海道の独立リーグってどんなんかなって興味はあったし。だからあれで十分です。基本的にあれ以上プレーしようとも思わなかったし、それは兵庫も同じことです」
コロナ禍が終わり再び海外へ
そんな久保が次の行き先として狙いを定めたのがドイツだった。それもプレーの場としてのブンデスリーガではなく、観光地としてのドイツでしかない。要するに野球はドイツに行くための手段でしかないのだ。
「昨年の12月に、元DeNAの濱矢(廣大)君から連絡があったんですよ。彼、BCリーグの茨城の後、メキシコ行って、去年はイタリアでプレーしていたんです。それで、彼にどこかいいチームあったら探しといてって頼んでたんです。ほんまは世界遺産が一番多いからイタリアが良かったんですけど、ドイツも3番目なんで」
ドイツ行きが決まった後は、地図を広げ、世界遺産の場所をチェック。残念ながらドイツの世界遺産は国土の南部に集中しており、久保の所属する北部の町、ハンブルクからは遠い上、ブンデスリーガは現在南北に分かれた地区制を採用しているため、レギュラーシーズン中は世界遺産巡りはお預けになりそうだ。
「電車が便利なんで、どこでも行けるらしいですけど、シーズン中はベルリンくらいまでしか行けないでしょうね。試合のない平日はアカデミーの子供らにも教えに行かなあかんので。だから遠征の時に隙見て、どこかに行くしかないですね。プレーオフまで進めば、南部のチームとも当たるので世界遺産巡りはその時ですね。家族は今年はドイツ旅行やって喜んでますよ。メキシコの時は危ないからって来ませんでしたから」
契約は4月から9月まで。月給は5~600ユーロほど。給与はプレーそのものよりクラブが運営するアカデミーのコーチとしてのものだ。渡航費や住むところと食事はクラブが用意してくれるので、久保にしてみれば、タダでドイツ旅行ができるという認識だ。
「だいたい、500ユーロとかって報酬なしと一緒じゃないっすか。アルバイトする方が絶対いいですよ。だから報酬はもらえなくても、生活の面倒をみてくれるなら全然いいです。住むところ用意してくれて飛行機代出してくれたらOKですね。ほんとはドイツでクビになったら、よその国のリーグに行けるかなっていう期待はあったんですけど、そのあたりは僕ら、選手というよりクラブのスタッフとして雇用されるって感じなんで、シーズン中の身分は保証されているんですよ。だからそこがすごい残念やったというか(笑)」
全てはなるがまま。アンチエイジングも現状維持も目指さず、プレーする場を落としてゆく
以前は、ベネズエラやドミニカのウィンタリーグでプレーすることも考えていたが、ヨーロッパまで「落として」しまった今では、それはもう難しいと考えている。
「野球のレベルとか全然こだわりません。でも、基本はレベルの高いところからですよね。例えば、イタリアへも1回、行ってみたけど、今回ドイツリーグまで落としてしまいましたから。正直もう無理かなって。そうなると、その次はチェコとかオーストリアとか。家族もすごい喜ぶやろな(笑)。スペインもありますね」
アスリートであるからには、そういうレベルの高い場でのプレーを目指すのが自然なのだが、「脱力派」の久保にはそんな気概もない。
「そういうの考えんのはプロですよ。もう僕にはプロ意識は全くないです。給料もらってプレーしているからプロかもしれないけども、取り組む姿勢がプロじゃないでしょ。そんなん『プロ』なんて言ったら、本気でやってる選手に対して失礼ですよ」
フィールド以外で体を動かすことは全くない。家でトレーニングすることはあるのかと問うと、一笑に付された。
「まさか(笑)。そもそも維持しようとも思ってないです。これから僕は落ちていく一方です。でも落ちたら落ちたで、プレーできる国があるんですよ。それがいいとこなんですよね」
世界漫遊の原点。ルーキーイヤーのセスナツアー
ライフワークの世界遺産巡りにはすでに社会人時代から興味があったという。高校から「安定企業」のパナソニックに進んだ時は、「これで一生、俺、安泰や」と考えていたが、社業と野球の二重生活。それにサラリーマンの給料では、食うには困らないが、世界遺産巡りは夢のまた夢。そもそも暇がない。
「でも、世界遺産のことは趣味としてずっと調べてました。世界中ふらふらしたいなっては思ってたんですよ」
そこに降って湧いたプロ入りの話。若き日の久保は、早くもプレー後の夢を抱いてNPBに飛び込んだ。
「NPBで頑張って普通のサラリーマンの生涯賃金を稼いで、あとは遊ぶことにしたんです。結婚する時も、嫁さんにやりくり頼むでって言いました(笑)。契約金なんか、すぐ飛んでいきます。だから10年ぐらいはやらないと余裕は出てこないですね。プロになって稼げるようになっても、後輩に奢ったりせんと駄目じゃないですか。トレーニング代、トレーナー代、自主トレとかなんだかんだで結構かかるんで。最初はサラリーマン時代より貯まらない感覚です」
自由希望枠でプロの世界に飛び込んだルーキーイヤー。ロッテはオーストラリアの南東部の港町、ジーロングでキャンプを張った。この時、休日にジーロング市はセスナ機で断崖絶壁の続く海岸を巡るツアーに選手数名を招待してくれた。こういう「御褒美」には通常、古参のベテラン選手がありつくのが相場なのだが、誰もこのような大自然を空から堪能するような見世物に興味を示さなかった。ここぞとばかり、久保は手を挙げた。
「あの人ら、そういうのに興味ないんです。正直、頭悪いなって思いましたね。そういうものの価値分からないんですよ。その時からもう、野球選手っていう人たちとは話できないなって思いました。世界遺産なんかに誰も興味ない。休みの日に家族とどっか行っても、嫌々行ってるって感じでした。自分が何が好きで、だからこういう遊びをしたじゃなくて、誰とゴルフ行った、有名人と飯食ったとか、そんな話ばっかり。そんなん僕、興味ないですもん。見栄の話かってなると、面白くないじゃないですか。参加したら僕らセスナ運転させてもらって。回転したら後ろに乗ってたコーチが『お前殺す気か!』てブチ切れてましたね(笑)。そのコーチと僕と、ルーキーがもうひとりおったんで。僕が無理やり連れて行ったんです」
久保は当時を笑い飛ばしながら振り返る。
プロとしての矜持
そう語る久保からは、プロフェッショナリズムは感じにくい。しかし、プロとしての矜持なしに世界有数のパワーハウスであるNPBで長年ローテーション投手として活躍できるはずはない。
現役時代は、誘惑との戦いだったと言う。
「もういろんなとこ行きたいっていう気持ちとしか戦ってないです。どんだけ自分を我慢するかっていう。今はNPBという場でしか経験できないって、自分に言い聞かせて野球に努力していました。やりたいことめちゃくちゃ我慢してましたよ。けがしそうなことは自重しましたし。沖縄で自主トレしてたら、ジャングルいっぱいあるんですよ。ほんまは探検したいんですよ。でも我慢して、軽く見学するだけ」
それでもいったんフィールドに立てば、やはりアスリートとしての本能が頭をもたげた。
「野球選手として、勝ちたいなっていうのはありますけども、その中でやっていると、自分がすごい選手にはなれないなって分かるんですよ。2ケタ勝つとかそういうのと数字とはまた別なんですよ。すごく頑張ってなんとか抑えることはできますよ。データ出して、苦手なところをついて抑えることはできますけども、そういう選手と同じパフォーマンスができるっていうのは自分には無理って分かるんですよ。それはプロ入ってすぐ分かりました。それでもそういう場所で生き残ろうとはそれなりに考えていましたよ。だから好きなことするのはめちゃめちゃ我慢して、今しかできないこの体験は、後々できないから、全力で取り組もうって思ってやってました。それはそれで楽しかったですよ。能力が低いやつが高いやつを倒していくっていう快感です。それで勝負に勝った時は、『お前らいい体に生んでもらってるのにそんだけしかパフォーマンス出されへんか』って(笑)」
アメリカでもプレーした経験のある久保だが、その場が仮にメジャーリーグだったら、どうだったろう。2~3年もプレーしてひと財産作ったら、さっさとリタイアして世界遺産巡りに興じたのだろうか。
「いや、多分メジャーまで行けば、そっちがメインになると思いますね。あのレベルだと多くの選手は、子供の頃から自分は世界一の野球選手やと思ってやってるんで。世界遺産に興味のあるようなやつとは、そもそもマインド的に違うんですよ。そこまで行けば、野球の深さとかすごさがあるんで、その場に立てば、とことん全身を鍛え上げて、そういう選手を倒したいっていう思いが多分、出てくると思います。その高みの景色を目指して、やるべきことをやり切った後、遊ぼうか、となると思います」
やはり将来もなるがまま
もはや自分はプロ野球選手ではないという久保。ならば一体何者なのだろう。
「分かりません(笑)。そういうこと聞く人が決めればいいんじゃないですか。とりあえず当面は今の生活続けます。まだ数年は大丈夫じゃないですかね。嫁さんの反応見ないと分かんないですけど(笑)。子供も普通に公立中学校行かせてますし。一応習い事したいことがあったら言えってゆうてんるんですけど、別にないらしいし。周りの子とかは、塾や習い事行かせてる方が多いから、普通の家庭の方がお金かかってると思います。とにかく金のことは嫁に任せているんで、子供が大学行く頃になったらそろそろ働いてって言われたら働くかもしれないですね」
現役プロ野球選手の多くが将来に不安を抱えながらプレーし、現実にセカンドキャリアでつまずく者も少なくない。久保にしても、年齢を重ねれば重ねるほど、一般社会で「働く」ことは難しくなると思われるのだが、彼はあくまで楽観的だ。
「日本に住んでるんなら、人に頭下げたらなんとかなりますって。頭下げまくったら誰かしら助けてくれますよ。頭下げれない、自分が苦しいって言えない人が困るんですよ。その覚悟とプライドがあるかないかだけの話。僕なんか、コンビニでバイトするとかも平気ですよ」
最後にドイツでの抱負を聞いたがそれさえも全くないという。
「どんなリーグかも知らないんで。僕はとりあえず行って調べてきます」
帰ってきたら、どんなリーグだったか聞いてみたいと思う。どうせ彼の口から出てくるのは、ドイツで巡った世界遺産の話になるのだろうが。
(写真は筆者撮影)