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ボール片手に「一番の趣味」、世界遺産巡りを行う元NPB投手・久保康友が辿りついたメキシコという行き先

阿佐智ベースボールジャーナリスト
久保康友(兵庫ブレイバーズ)

 海外での初めてのシーズンを終え帰国した久保だったが、本人の気持ちは「すでに引退」。翌シーズンに向けてのトレーニングなどはほとんどしなかったと言う。

「どのあたりまでをトレーニングって言うのかよくわからないですけど、NPB時代のように体を動かすことはなかったですね。一般の人が健康維持のためにトレーニングするくらいはしていたと思いますが。気が向いた時に、ちょっと外に出て動かそうかなぐらいですね。ジムなんかにも行ってません」

 それでも、久保は2019年シーズンもプレーした。

「野球するのは嫌いじゃないですから。観る方は全く興味がないですけど。プレーするのは感覚の世界なので楽しいです」

NPBの第一線で投げた経験は、世界漫遊のためのツールであると久保は言い切る。「世界遺産巡り」が一番の趣味だと言う彼が狙いを定めたのが前年一旦は契約を結びながらも渡航がかなわなかった名所旧跡の宝庫、メキシコだった。

「最初は、宇宙人とか宇宙船のイメージがあったんですけど」

と久保は笑う。

 メキシコは19世紀初めの建国当初、現在のアメリカ西部・南部を含む広大な領土を誇っていた。やがてそれは北の大国・アメリカ合衆国に奪われていくのであるが、そのひとつに南部にあるニューメキシコ州である。不毛の大地が広がるこの州にはかつて空軍基地があり、UFOの出現の噂が頻繁に立っていた。久保にとって「メキシコ」のイメージはそれだった。

「へえー、そうなんですね。子どもの時に、何かメキシコというとUFOのイメージの記憶があったんで。それで、宇宙船とかUFOのイメージあるのに、メキシコに行っても、そういうのが何も売りにされてないなと不思議に思っていたんですよ(笑)」

 UFOは飛んでいなかったが、メキシコには久保の大好物があった。マヤやアステカといったメソアメリカ文明(ヨーロッパ人入植以前の文明)の遺産がこの国には至る所にある。その遺跡に話が及ぶと、久保の目は輝いた。

「世界遺産になっていなくても、メキシコには、マイナーな遺跡もたくさんあるんです。掘ったらいくらでも遺跡が出てきます。グアテマラとの国境沿いなんかだと、いくらでも出てきますよ。林の中、森の中も全部。本当はそういうところにも行きたかったんですけど、時間がかかり過ぎて行けなかったんです。町から3、4時間以内で行ける遺跡は全部訪ねましたけど」

 久保が契約を結んだのは、メキシコのトップリーグ、メキシカンリーグ。メジャー経験者も多数在籍するプロリーグだ。しかし、ここでのプレーも彼にとっては、「世界遺産巡りの旅」の一部でしかなかった。

「なんぼで契約したかな。月65万円とかだたっけ。多分、すごく安いですよ。他の外国人選手は100万円超えているって言っていましたから。僕はいくらでもよかったんで、それで契約しました。だから球団は大喜びやったみたいですよ。格安で外国人ピッチャーを獲れたんで」

 久保は2019年シーズンをメキシコ中部の工業都市、レオンで過ごすことになった。

危険さえも「漫遊」のスパイス

 レオンの町には日系企業が進出し、現地在住の日本人も多い。日本の領事館が置かれている。そのせいか、日本人が犯罪に巻き込まれることも多々あるという。「プロ野球選手」である久保もターゲットになる存在であったが、それすらも久保は楽しんだ。

「そんなに治安のいい町ではなかったと思いますが、もっと悪いところはメキシコにはいくらでもあるんで。銃が絡まなければ、あるいは国境沿いなんかでマフィアに絡んだ事件でない限りは、貧困ゆえの悪さです。襲われたとしても金を出せば命までは取られないって分かっていたんで、そんなにビビりませんでしたね。アメリカなんかはすぐバーンって撃ってくるので」

 実際、危険な目にも何度か遭いかけたこともある。

「アメリカとの国境の町、ヌエボラレドだけは絶対出歩くなって言われていました。普段は僕がちょっと出かけてくるわって言っても、何も言われないんですけれども、その町だけは、コーチが『ここだけはやめておけ』って」

 この町を本拠とするチーム、テコロテスは国境を挟んだアメリカ側の町、ラレドでも主催ゲームを行う。かつてはメキシコ領内のひとつの町だったなごりだ。アメリカ側で試合があるたび、選手たちは国境を渡ることになるが、久保と日本人通訳は、すんでのところで取り残されそうになった。

「銃撃戦があって、国境が封鎖されたんですよ。アメリカ側で試合して、その帰りに国境の橋を渡って、バスを待っている時に少し迷ったんですよ。日本人なんで手続きにちょっと長引いてしまって。イミグレを抜けた後、その先にある公園前にバスが待っているはずだったんですが、僕ら日本人2人だけ遅れて行ったらバスが見つからなかったです。どうやら他の選手と違うゲートから入国したみたいで(笑)。それで公園をふらふら探した後、バスには戻れたんですけど、そのちょっと後にそこで銃撃戦が始まったんです」

町ブラを楽しむ中、いつの間にかスラム街に紛れ込んでしまったということもあるという。

「本拠地のレオンに日本人の留学生も結構いる有名な大学があるんですけど、いつの間にか、『やばいな』みたいな空気になって…。でも、そのスラム街、街並みがきれいだったな」

久保の目から見たメキシコ野球

 このシーズン、久保がメキシコで残した数字は、26試合中24試合に先発し、8勝14敗、防御率5.98というものだった。胸を張れる数字ではないが、レギュラー野手のほとんどが3割バッター、「打球が落ちてこない」とも評される高地で多くの試合が行われる極端な打高投低リーグ、そしてシーズン後半ともなると上位チームに次々に主力選手を引き抜かれていく弱小チームでのプレーという環境を考えると十分に合格点を与えられる数字だろう。首脳陣も彼の実力を認めていたことは、チーム最多の152イニングを任せられたことに表れている。

 それでも、久保にとってメキシコでの生活は「観光優先」だった。

「レベルはそこそこ高いというのは聞いていたんで…。アメリカの独立リーグより上でしたね。だから、それなりに野球にも取り組んでいましたよ。半々…。半々もないか。7割趣味3割野球みたいな感じ(笑)」

 だからメキシコ野球の印象もほとんど残っていないと久保は言う。

「なんかメジャーでプレーしていた選手もたくさんいたそうですけど、そもそも興味ないですから。印象に残っていることって言えば、試合時間がとにかく長かったことくらいですね。とくに延長のときは、ホンマ長かった(笑)。夜中の2時ぐらいまでやってましたから。あとは遊んだことしか覚えてないです」

 メキシカンリーグでプレーする選手にとっては、日本のNPBはあこがれのプレー先のひとつだ。そのNPBで主戦投手として長らく活躍していた久保にはどんな視線が向けられたのだろう。

「基本的に、メキシコ人はどういうふうに見てたんかな。彼らはあんまり他人に興味なくないですか?アメリカの独立リーガーは、日本のNPBの選手は来ようが、自分らのほうが優秀やと思っているって感じましたけど。あいつらは、自分らが一番やて絶対思っています。あのレベル(独立リーグ)やのに、なんでそんなに堂々としているんやって思いましたもん(笑)。そこはやっぱり日本人と全然違いましたね。メキシコ人はそれともまた違いました。だからすごく接しやすかったです。フラットな関係で話ができました。アメリカ人はすぐにマウントとってきますが、メキシコ人はアメリカのマイナーでそういう扱いにも慣れているし、かといって、自分らのところにアメリカ人が来たからといって、あいつら何やねん、みたいな雰囲気もなかったですし。僕、個人的には彼ら、すごい好きですよ」

 メキシコでは野球はマイナースポーツ。本拠・レオンの町を歩いていても声を掛けられるようなことはなく、おかげてぶらつきやすかったと言う。

「野球はサッカー、バスケットの次ぐらい、3番目ぐらいの人気です。レオンではそうでしたね。ウインターリーグが盛んな太平洋岸では、サッカーの次に野球か、あるいはサッカーを超える人気ですけど」

観光>プレー

 久保のメキシコ観光は、シーズン前のキャンプから早くも始まった。キャンプ地は隣州の観光都市グアダラハラ。過去にはWBCも開催されたメキシコきってのベースボールシティであるが、彼の気持ちはシーズンに向けての調整よりこの町とその周辺に点在する観光地に向いていた。

「結構見どころがあるんですよ。テキーラってお酒知ってます?グアダラハラからバスに乗って2時間くらいのところにあるんです。町の名前がテキーラなんです。町ごと世界遺産で、僕も自分で(原料の竜舌蘭を)収穫してテキーラ作ってきました」

 シーズンが始まれば、久保の楽しみは倍増した。なにしろメキシカンリーグは、広大なメキシコ各地にチームがある全国リーグ。ユニフォームを着てマウンドに登る限りは、チームが遠征という長距離旅行に連れて行ってくれた。

「もう遠征のたび、どこに行こうか自分で調べていました。アメリカではひとりだったんでなかなか出歩けなかったんですが、こっちでは球団が日本人の通訳雇ってくれたんですよ。だから、自分のやりたいことを彼に全部言うんです。野球はいいからとりあえず、俺はここに行きたいって。ガイドブック片手に行きたいとこ全部行きました。今回はこの世界遺産に行くから、調べといてって。ほんだら彼が、バスの乗り場や時刻など全部調べてくれるんです。基本的に試合はナイターでしょ。チームバスの出発は午後3時か4時ぐらい。それまで時間があるから朝5時ぐらいに起きて、遺跡巡りしていました。メキシコではずっとそんな感じでしたね」

遺跡までは、タクシーなどは使わない。地元の人々と同じくローカルバスに揺られながら目的地までたどり着き、そこで数時間過ごして、チームの集合時間までにホテルに戻った。チームにしてみれば、先発の柱が、朝から出歩くなどもってのほかのように思えるが、そこは「メキシコのゆるさ」。チームは試合開始の瞬間にマウンドに立っていてくれれば何も言わなかった。

「メキシコは自由ですから。自分でお金払って勝手に移動している分には何も言わない。チームと帯同して行ったら、チームのお金じゃないですか。そこから抜けて自分で移動しても、時間通り戻れば別に誰にも迷惑かけないでしょう。だから遠征の帰りも、『次の集合は何日の何時やね、OK?』って伝えて自分で移動していました。みんなは飛行機で本拠地に帰るんですが、僕はバスで観光しながら戻りました。日本では絶対なしですよね。何かあったか時に責任問題になりますから。選手がなにかやらかすと会社の責任になるでしょう。あれがダメなんですよ。もう大人やねんから、個人の問題でしょう。それを球団の責任にするから面倒くさくなる。日本もメキシコみたいにすればいいのに」

 半年間マウンドに立ちながらメキシコ各地を漫遊した久保にどこが一番印象に残ったか聞いてみた。

「一番どこが良かったって言われてもなかなか難しいですね。どこも良かったですから。でも、町のセントロ(中心街)はどこも同じ雰囲気ですね。教会があって、劇場があって。そう、プエブラという町の雰囲気は好きでした。丘の上に教会があって。『何かきれいな感じやな』って。ちょっと外れたところの貧しい地域の教会も、また違った意味で印象に残りました。教会の祭壇の前にお賽銭が残っていたりするんですけど、僕らからしたら、誰かがこの金を全部もっていくんじゃないかと思いますよね。でも、彼らはいくら貧しくても、教会の金だけパクらへん。残っているんです」

 メキシコでの夢のようなシーズンを送った後、1シーズン久保の道楽に付き合ってくれた日本人通訳をねぎらい、「またよろしくな」と声をかけた。

「そしたらね、そいつこう言ってきたんですよ。『すいません。二度と久保さんの通訳はやりたくない』って」

 久保は屈託なく笑った。

(続く)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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