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「野球は稼ぐための仕事」。興味のないプロ野球の世界で97勝を積み上げた男、久保康友の今

阿佐智ベースボールジャーナリスト
久保康友(兵庫ブレイバーズ)

梅雨明け間近のスタジアムにて

「お待たせしてすみません」

 ネット裏にある小部屋に入ってきた久保康友は、用意したパイプ椅子に座った。ガラス窓の向こうではすでにゲームが始まっている。フィールドにちらちらと目をやる私を気遣ってか、久保は笑ってこう言った。

「ああ、大丈夫ですよ。プロじゃないんで」

 梅雨がまだ明けきらぬ7月半ばの大阪・南港球場。入場無料とは言え、蒸し暑さの中で行われている平日のデーゲームに足を運ぶ者はほとんどいなかった。厳しい現実である。42歳になる彼は今シーズンを独立リーグで過ごした。

 プロ(NPB)13年のキャリアのほとんどを一軍の先発投手として過ごし、積み上げた勝ち星は97。在籍したロッテ、阪神、DeNAで各々一度ずつ、計3度2ケタ勝利を達成している。十分に成功者と言えるだろう。そんな彼が、独立リーグで二回りも歳が違う選手たちに混じってプレーしている。おまけに彼がプレーする関西独立リーグは、選手に報酬を支払うことを約束していない。久保の言うとおり、「プロ」とは言えないプレーの場である。

「フリーター?ちょっとちゃうかなあ。働いてへんもん(笑)。『フリーの野球選手』ですね。一応チームに在籍はしているんですけれども、がっつり野球をしているわけじゃないです。基本的には土日祝日とか、カレンダーが休みの時には、家族と過ごしてます。子供の少年野球行ったりね。何もすることがない時にチームに顔を出して体を動かす、野球をしているという状況です。だからシーズン中でも半分くらいは家にいますね」

 2人の子供は小学生だと言う。この年頃の子供にとって、父親という存在は決して近くはないのが相場ではないだろうか。母親にたたき起こされ、眠気まなこをこすりながら朝支度をしている時には、もうその姿はなく、夜は夜でさあ寝ようと思った頃になってようやく仕事から帰ってくる。多くの小学生にとってオヤジとはそういう存在であることが多いはずだ。ところが久保家では、子供が学校を終えて帰宅すると、必ずと言っていいほど父親がいるのだ。彼らはこの状況をどうとらえているのだろうか。

「どうなんでしょう。僕がプロ、NPBでやってたという認識はあると思いますよ。今もこうして試合のある時は家を出るんですが、彼らにとっては、仕事をしているというより、野球に行っているのかなという感じじゃないですか。NPBとは違うのは分かっていると思うんですよ。今は野球をやっているけれども、別に給料をもらいに行っているわけじゃないって(笑)。うーん、そこまで分かっているんかな。なにしろ僕の子ですから(笑)。性格、似ているか分かんないですけれども、あんまりそういうことに関心というのはないかもしれない」

現在の収入はゼロ。プロ時代の蓄えで生活している。

「何年かは大丈夫じゃないですか、多分。困ったら何かします」

通算100勝まであと3勝。しかし未練は全くなかった

 DeNAから戦力外通告を受けたのはプロ13年目、2017年のシーズン中のことだった。開幕に出遅れた37歳のベテランにチームも多くを期待していなかったのか、このシーズンの出番は谷間の先発に限られた。ポストシーズンに向けてチームが邁進する中、久保は球団から翌年の戦力に入っていないことを通告される。この時、久保は小躍りして喜んだという。

 ちなみにこの年の久保の成績は、登板した7試合すべてに先発。37イニングを投げて4勝2敗。防御率は5.35と悪いが、ベテランとしてそれなりの仕事をしている。

「給料が高いベテランですからね。年齢がいってたのはネックじゃないですか」

 久保は当時を冷静に振り返る。

 シーズンが終了し、戦力外通告を正式に受けた後、久保は1週間だけ、他球団のオファーを待った。

「自分という選手を本当に欲しい球団があるなら、クビになった瞬間にすぐ声が掛かると思うんです。その期間が1週間ということですね。それ以降にもし声が掛ったとしても、それは多分、いろんな選手を獲ったけれども、ここが足らないから来てくださいということですよね。それって、はっきり言って自分にしかできない仕事じゃないから、要は誰でもいいから獲ってこようということでしょう。僕でなくてもいいんです。そんな仕事はしたくなかったですね」

 オファーがないことがわかると、久保は、「引退」することにした。

「1週間どこからも話が来なかった時点で、思ったんです。良かった。やっと終わった。何しようかなって。もともと、プロで稼いで、その後は遊んで過ごすって決めていたんで。嫁さんにも、言ってたんです。引退したら、働かへんからって(笑)。プロでプレーして、さっさとサラリーマンの生涯年収稼いだら遊んで暮らす。働かへんから、それはちゃんと分かっといてねって言うて結婚したんです」

 「引退」後、彼が思い立ったのは、富士登山だった。

「でも富士山に登るのも練習してないから、とりあえず六甲山に登ろうと思って、一番初めは、自分の家から歩いて6時間ぐらいかけて、六甲山に登って往復したんです」

道を踏み外すことのなかった少年が進んだプロ野球という行き先

 ごくごく普通の子供だったと久保は少年時代を振り返る。

「早く大人になりたかったですね。子供のときって、学校とかで、ああしなさい、こうしなさいって言われるじゃないですか。なんで?って思っても、子供はそういうもんやから、大人になってから自分の好きなようにしたらいいからって言われたので、大人になるまで自由なことでけへんのかって、ずっと思っていたんですよ。それこそ、道の外し方も分からなかったんで、ずっとレールに乗っていましたね。普通に中学校に行って、高校に進んで。でも、勉強したほうが絶対いいレールに乗れるとは思ってましたから、それはちゃんとしました。これという人生を決めてないんやったら、結局は勉強ができた方がいいと思っていましたね。勉強は生きて行くには絶対に必要やから、やっといて損はないから、最低限やっとこうと思っていました」

 そんな久保が中学で野球部に入ったのは不思議としか言いようがない。

「プロ野球なんか全く興味がありませんでした。どこかのファンとかでもないから、全然見てない。だから、よく野球を見ろ、勉強になるから見ろなんて指導者にも言われましたが、そもそも興味がないんで見ない(笑)。うまくなりたいとも思ってなかったですし。ただ、試合やったりするのが面白かっただけなので。プロ入ってから、他の選手に聞いたら、子供の頃から夢見て、プロになるためにめちゃくちゃ練習したなんて言ってくるので、話が合わなかったですね」

 久保少年が進路に選んだのは、関西圏屈指の進学校、関大一高だった。野球部に入部したが、その雰囲気はおおよそ他の強豪校とはかけ離れたものだった。

「基本的に野球は高校までっていう奴が大半でしたね。進学のために野球をやってるだけ。大学で野球をやろうと思ってないです。だから普段の会話も、どこに就職する、どこの大学に行く、こうやった方が人生楽に過ごせるよなみたいな。僕らは甲子園に行ったんですが。それで俺ら一生安泰やみたいな発言が出てくる。勝てば勝つほど就職先が増えるって(笑)。全員、これで大学に行けるでなんて話をしていました」

 無論、プロ野球選手を目指して野球をしていたわけではないと久保は言う。

「それこそ別の世界でした。そもそも軟式出身でしたから、硬球を握ったのは高校からです。2年生までずっと控えです。3年生になったときに選手がいなかったからエースになって、なぜかチームが勝って、それで甲子園に行きましたって(笑)。なんか知らん間に見栄えだけ良くなったんですが、中身は、全然変わっていないんです」

 この男には、自分を過大評価するという癖はないようだ。まだ10代。主役として全国大会の舞台に立てば、背中につっかえ棒が必要になって当然である。しかし、久保はあくまで自己を冷徹に評価した。

 チームメイトの言葉どおり、甲子園の出場した進学校の野球部員には選り取り見取りの進路が用意されていた。エースの久保には、大学野球の名門でもある系列の関西大学に進学する選択肢もあった。しかし、彼は高卒でパナソニックに「就職」する道を選んだ。

「本当は、慶應に行きたかったんです。でも受ける資格もなかったようで、セレクションの段階で落とされました。まあ、関大には行けましたけれども、断然松下電器(現パナソニック)でした。だって、大学卒業した時に、そんなええ会社に進める保証ないじゃないですか。入社が決まった時なんか、もうこれで人生楽勝やなって、かなり安心しました。定年まで人生は保障されたようなもんじゃないですか。だから、プロに行く時にちょっと悩みました」

 当時を思い返して笑う久保の姿は、他のプロ野球選手とは全く違っていた。彼らが持っている野心のかけらも久保からは感じることはない。プロという厳しい世界で必要なはずのそれをもたない彼が、なぜ主戦投手として10年以上もやって行けたのか彼の話を聞けば聞くほどわからなくなってきた。

 同級生のほとんどが進学する中、久保はひとり会社員となった。もっとも、松下電器は野球部員として採用した社員にほとんど社業への従事を求めなかった。

「オフになると、会社にはいくんですけど。そこで思うんですよ。『俺って仕事できひんな』って」

 実業団の名門、松下電器に進んだものの、最初の4年は故障の連続でマウンドに登ることもほとんどなかった。大学へ進んだ同期生がドラフト指名を受け、プロの世界に入った後、久保はようやく社会人野球で頭角を現す。結局、松下には6年在籍。2004年秋のドラフトで自由獲得枠でロッテからの指名を受け、「松坂世代最後の大物」という触れ込みで、久保はプロの世界に飛び込んだ。当時報じられた待遇は、契約金1億円、年俸1500万円というものだった。にもかかわらず、久保はプロ入りすべきかどうか迷ったという。

「松下にいれば、将来安泰ぐらいな気持ちでしたから。その保証された人生を捨てるかどうか、プロと天秤にかけてました。1億って言うても、もっていかれる分も大きいですから。年俸にしても、必要経費も相当かかりますから、一概にサラリーマンの年収と比べられませんよ。自主トレなんかでも、プロで稼ごうと思えば、いい環境の中で、体にやっぱり一番いいということをするので、残らないようなシステムなので」

 とは言うものの、久保はプロ入り以来、「主戦投手」として投げてきた。エース級とは言えないまでも、先発ローテーション投手として、現役13シーズンのほとんどで100イニング以上を投げている。ある意味、「細く長く」、かつ「稼げる」投手だったと言えるだろう。プロで手にした報酬は、サラリーマン生活を全うしただけでは決して手にすることのないほど大きなものに違いない。プロの世界で、一般社会では考えられられないような額を手にし、散財する選手は多いが、久保はそういうことはなかったと言う。

「そもそも、僕はあんまり物欲がないんですよ。飯は他の野球選手並みに行ってましたけど。やっぱり成績も残していくと後輩の分もったりしますので、それなりに使いましたよ。でも、プロ野球選手としては、あんまり使わなかったですね。例えば車とか、ブランド物とかは全く興味がない。時計もプロに入る時に買ったやつをずっと最後まで使っていましたね。それも、プロに入るんやから見栄え良くせんとあかんからって、無理やり買わされたみたいな感じだったんです」

 そんな彼がなぜプロ野球の世界にそもそも飛び込んだのだろう。

「仕事ですよね。今は、自分がやっていて面白いなと思うのかどうかで野球をしています。変な話ですが、遊ぶための金を稼ぐために仕事として野球をしていたのに、今は野球をして遊ぶために支出しているんですよね。すごい矛盾していますよね。だからこそ、趣味の野球って結構楽しいんです。仕事としての野球は、数字だけを残すためだけで、僕は大嫌いだったんです」

 だから「現役時代」の野球は面白くなったと、久保は言う。

「能力の高い選手と対戦する時、自分の全力を出し切って本気で抑える、あるいは、本気の力を出し切って打たれたいという思いはあるんですけれども。プロでは、それやっちゃ駄目じゃないですか。抑えるのが仕事ですから」

ざっくばらんにインタビューに応じてくれた。
ざっくばらんにインタビューに応じてくれた。

久保の目から見た独立リーグ

 そんな自身が魅力を感じなかった「職場」目指して、その見込みの薄い選手たちが今、自分の前で汗にまみれている。久保は、今、自分がいる独立リーグという場を「プロ」とは見なしていないが、彼らは、自身が無給でプレーしている場を「プロ」と定義づけ、より上位のNPBという場を目指している。

 「だから、彼らにとってはプロでいいんじゃないですか。考え方ですよね。無給でも続けるのか、(NPBを)諦めるのか、どっちが幸せか、じゃないですか。野球で成り上がりたいのか、ただ有名になりたいので野球を使っているだけなのか、多分、人それぞれあるじゃないですか。僕にはそれぞれの理由は分からないけれども、とにかくNPBに入りたい子らがここに来ているわけじゃないですか。そのお手伝いをしてあげているという感覚ですね。僕はそこでプレーした経験はあるので、そこに行くためにはどういうものが必要ですかと言われたら、それに対して答えるんです」

 しかし、独立リーグも球団数が増え、スカウティングの需給バランスが崩れてきている。その中で、NPBという目標さえなく、モラトリアムの延長としてプレーを続けているような選手も増えてきている。

「それでも、現時点では楽しい、野球が好きというのがあるんじゃないですか。それは一般社会でも一緒でしょう。給料は少ないけれども好きな仕事をする、嫌いな仕事でめちゃくちゃ高い給料をもらう、それも好みによるじゃないですか。だから、この子らも、もしかしたら、給料が安くてもいいから楽しい人生を選びたいのかな、ということかもしれませんよね。ただ、僕には彼ら個々の気持ちはわからない。彼らと同じ場所で生まれて、そういう道をたどってこないと、彼らの気持ちなんて分からないので。そもそも人って基本的に自分の持っていないものを欲しがるんですよ。手に入れたものというのは、他人から見てうらやましがられても、自分にとってはそんな必要のないことって結構多いので、それは自分で体験しているのでわかります。プロ野球(NPB)はそういう存在でしょう。でも、僕自身は、プロ野球には興味がないんです」

 話を聞けば聞くほど、久保康友という野球選手がわからなくなってきた。

(続く)

*写真は筆者撮影

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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