プロ野球ペナントレースは佳境に入っているが、そんな中、今日11日、来シーズンに向けてのドラフト会議が行われる。2005年に「再チャレンジ」の場として球界に登場した独立リーグからは毎年のようにあきらめの悪い若者たちが夢の扉をこじ開けてきた。その中からは、いわゆる育成契約ではなく、ドラフト本使命でプロ、NPBの世界に入りその指名順位に違わぬ活躍をした選手もいる。

 独立リーグ界からの今ドラフトの目玉と目されているのは、今年発足したヤマエ久野九州アジアリーグの火の国サラマンダーズの不動のクローザー、石森大誠(東北公益文科大)だ。36試合に登板して2勝1敗19セーブ、防御率1.73という独立リーグでは段違いの実力を見せつけた左腕は、36イニング1/3の登板回数で奪った三振はなんと63。公式個人記録に算入される福岡ソフトバンクホークス三軍との交流戦でもその実力をいかんなく発揮し、独立リーグ史上初の「ドラ1」指名も噂されている。

 九州アジアリーグの初年度シーズンを制したサラマンダーズにあって、「不動のクローザー」が石森なら、エースとして8勝1敗の勝率0.889、防御率2.27、92奪三振で投手4冠に輝いたのが宮澤怜士24歳だ。彼もまた今ドラフトでの指名が有望視されている。

 彼らサラマンダーズの投の柱2人に共通しているのは、大学時に指名がかなわず、リベンジを果たすべく、社会人野球の強豪、熊本ゴールデンラークスに進んだことである。その名からこのチームはクラブチームと勘違いされることがあるが、地元スーパーマーケットを展開する鮮ど市場の実業団チーム。このチームが、火の国サラマンダーズの母体となったのだが、彼らは共に入社時にチームの「プロ化」を知らされており、ドラフト解禁年となる2年目の今年、独立リーグ球団となったチームで野球漬けの毎日を送り、今ドラフトに臨んでいる。

シーズンを振り返り、ドラフトに向けた気持ちを話してくれた。
シーズンを振り返り、ドラフトに向けた気持ちを話してくれた。

「石森は、『惜しくも逃した』ですけど、僕は全然」

と宮澤は、2年前を振り返る。大学卒業時もドラフト候補だったクローザーと比較して、自らを「全く無名」だったと評する。

 身長166センチ。教室でも小柄な部類に入っていた高校時代、プロは全く頭になかった。「大学で野球ができればいいな」と、地元北海道の強豪、東海大札幌を選んだのは、やはりどうせやるなら強いところでプレーしたいというあくなき向上心からだった。小柄な体から繰り出される速球が目についたのか、トライアウトは合格。4年間野球を頑張って、教員免許を取って教師になろうと漠然と未来予想図を描いていた宮澤だったが、3年になってベンチ入りし、球速も上がったことで、別の目指すべき道が見えてきた。

「もう少し頑張ればプロに行けるんじゃないか」 

しかし、その思いとはうらはらにスカウトの評価は決して高くはなかった。ドラフト候補には名が挙がるが、そこまでだった。実際、ドラフトで宮澤の名が呼ばれることはなかった。

 それでも宮澤は自分の可能性に目を背けることはしなかった。周囲が就職活動をするのをよそ目に野球で飯を食っていく覚悟を決めた。4年生最後のリーグ戦が終わった11月、鮮ど市場から内定をもらった。聞いたことのない遠い九州の会社だったが、その会社の実業団チーム、ゴールデンラークスは、「プロ化」して独立リーグに加入するとのことだった。

 1年は社会人野球で、そして再度ドラフト指名対象となる2年目は独立リーグでプレーしてドラフト指名という青写真が宮澤の前に広がった。

「とにかく2年。それでダメだったら元々の目標だった教職に進もう」

 宮澤は住み慣れた北海道を出て、九州へ向かった。

 ゴールデンラークスには、宮澤と同じような目標を抱いた選手が集まっていた。まずはチーム内でのポジション争いが待っていた。「元ドラフト候補生」の集まるチームにあって、宮澤は十分な出番を与えられたわけではなかった。1シーズンを社会人野球で過ごした後、会社からその後の進路の意思確認があった。サラリーマンを続けたければ、会社がもうひとつ保有していた実業団チームで働きながらプレーすることも可能だった。しかし、宮澤は、プロ契約で独立球団でプレーすることを選んだ。

 会社を辞めた宮澤は、プロ球団として衣替えしたサラマンダーズのユニフォームに袖を通し、キャンプに臨んだ。

 3月27日のリーグ開幕戦、宮澤は先発マウンドに立っていた。

すべきことは全てやって。あとは指名を待つのみ。
すべきことは全てやって。あとは指名を待つのみ。

 独立リーガーとして過ごしたシーズンを宮澤はこう振り返る。

「1シーズンずっとプレーしたのは始めてでした。やっぱり1年通して投げると、毎回調子がいいわけではないんで、その中でどう工夫して抑えるかということを今年は学びましたね。そこはNPBに進んで先発ローテーションに入っても生かせると思います」

 2チームによるペナントレースは、チームの戦力差もあって緊張感に欠けるものになったが、勝敗は気にせず自分のピッチングを心掛けたという。その自分のピッチングがプロ(NPB)で通用するかどうかの道標となったソフトバンク三軍との交流戦では7回無失点という試合もあった。

「僕のアピールポイントはストレート。その真っすぐでNPBの打者を押し込めたことは自信になりました。もちろん相手は三軍で、その上には二軍も一軍もあることはわかっています。そこでやって行けるかどうかはまだわかりませんけど」

 シーズン途中には、昨シーズンまで広島でプレーしていた小窪哲也(ロッテ)がチームに合流。2か月ほどプレーすると、NPBに復帰していった。短期間ではあれ、目標とする舞台に立った経験のあるベテランとともにプレーし、そのベテランがその舞台に復帰していったのを見て、同じ独立リーグという舞台で圧倒的な数字を残している自分にも可能性があることを実感した。

 それでもドラフトを前にして、まだピンとこないと宮澤は笑う。声がかかればどこでもとは言うものの、希望球団は生まれ故郷、北海道の球団、日本ハムだ。

「22年間北海道で育って、小さいころからファイターズを見てきたんで。やっぱりゆかりのある地でプレーしたいじゃないですか」

今年のドラフトにかかり、1シーズンNPBで経験を積めば、新球場のマウンドが待っている。

「プロ(NPB)は、180センチ以上の人が多いですけど、身長は関係ないです。自分の持ち味を出し切れば、プロでもやっていける自信はあります」

 宮澤怜士の先にはどんな未来が待っているのだろう。それは今日決まる。

(文中の写真は筆者撮影)