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「石の上にも5年?」独立リーグ界の風雲児、オセアン滋賀ブラックスの「歌うイケメン球団代表」

阿佐智ベースボールジャーナリスト
試合会場では自らマイクをとり球団歌を熱唱する大八木大介・滋賀ブラックス球団代表

「BCリーグよ黒に染まれ!」の合言葉で地区優勝、そしてリーグチャンピオンシップ進出を果たした独立リーグの風雲児、オセアン滋賀ブラックス。滋賀ユナイテッドベースボールクラブとして創設以来5年目にして低迷を脱し、今、日本最大の独立リーグ、ルートインBCリーグの頂点を目指している。そのチームを創設時から支えてきたのが大八木大介さんだ。人呼んで「ゆるふわイケメン球団代表」。野球競技歴なし、弱冠29歳にして球団代表という重責を担い、低迷を続けてきたチームを一気にリーグ優勝を狙おうかという位置に引き上げたその秘密はなんなのか?その素顔に迫った。

球団創設以来チームを見守り続けてきた
球団創設以来チームを見守り続けてきた

公務員からフリーターへ

 小柄ではあるが、その締まった体躯はいかにもアスリート。それもそのはず、大八木さんは高校時代、陸上競技の走り高跳びで近畿地区大会で優勝までした経験をもつ。大学で競技を続ける選択肢はもちろんあったが、本人いわく、「やりきった感があったので」、就職の道を選ぶ。就職先は県職員。県内の公立中学校で事務職員として4年間勤めた。手堅い道を歩み始めたように見えるが、同級生が大学を卒業して社会人になるタイミングで公務員を辞めてフリーターに転身してしまう。定時に帰ることができる公務員生活からアルバイトを3つ掛け持ちする生活へ。若い時の苦労は買ってでもしろとはいうが、なぜに安定した生活を捨て去ったのだろう。

「僕ね、イギリス生まれなんですよ」

 理由を訪ねると、意外な答えが返ってきた。

「生まれてすぐ日本に帰って来たんで、自分の記憶にはないんですけど、イギリスにいつかは行きたいなと思っていたんで」

 ならば、休暇でもとって行けばいいだろうと思うのだが、若さとはしばしば無茶をさせる。ただ訪問するのではなく、そこで生活してみたいと考えた大八木さんは、旅しながら現地で働くことができる「ワーキングホリデー」という制度を利用しようと思ったのだが、そのビザの倍率が200倍。いつまで経っても手にできないビザにしびれをきらした23歳の若者は、職を辞して手にした退職金とアルバイトで貯めた金でイギリスへ旅立つ。

 ものごころついた時には日本にいたため英語は全く話せない。それでも自分が生まれたロンドン市内の病院を探し当て、自分のアイデンティティを確認すると、半年ほど「母国」で暮らした。

「名所などを見に行ってあとはふらふらしていただけですけど」

 帰国後、地元の滋賀で職を見つけ、会社のあるビルに通う毎日を送ることになった。

ひょんなことから野球の世界へ

 勤務先の会社が入っていたビルに事務所を構えていたのが、ブラックスの前身である滋賀ユナイテッド球団だった。

「滋賀球団はBCリーグに2017年から参入したんですが、その2年前の2015年からチーム設立の準備は始めていたんです」

球団運営会社の社長とは挨拶を交わす程度の仲だったが、テナントどうしの会合の際、声をかけられた。「手伝ってくれないか」。勤務してい会社の経営状態が良くなく、転職を考えていたタイミングで舞い降りてきた誘いに大八木さんは飛びついた。

 野球界に飛び込んだ大八木さんだったが、この時点ではまだチームは影も形もない。最初の仕事は、当面の収入を得るために開いていたコーヒースタンドの店番と宣伝広告のデザイナーの補助だった。そうやってバタバタしている中、なんとか元手ゼロからスタートした球団は、指導者、選手を揃え、2017年春、開幕にこぎつけた。チームが始動し始めると、試合会場の設営から、営業、チケットの販売まで球団事務局長として大八木さんは獅子奮迅の働きを見せた。

突然の「身売り」

 しかし、チームの成績は芳しくなく、チケットもなかなかさばけない。球団の財政事情は好転しないまま、チーム発足3年目のシーズン途中、球団オーナーでもあった初代球団社長が突如として退任を発表する。要するに「身売り」だ。それでも、大八木さん以下スタッフは、それを冷静に受け止めたという。

「その前の年からオセアンさんにはスポンサーをしていただいていたので、驚きは大きくはなかったですね。球団の経営も危ういところがあったので、メインスポンサーのオセアンさんが球団を直接運営するとなってそれは良かったと思います。自分自身について言うと、元々、誰かについていって働いているという人間ではあまりないので(笑)。僕が球団運営を続けられているのは、やっぱり選手とか、ファンの方とかスポンサーの方、応援してくださっている方たちがいるおかげです。自分が今やっていることは、すごく素敵なことだと思っているので、本当にそこです。それをなんとか続けたい、次につなげられたらなという思いで球団に残っているので、社長が代わろうが、あまりそれは関係ないです」

 2020年、オセアン滋賀ユナイテッドは、オセアン滋賀ブラックスに生まれ変わった。

新体制で一気に変貌したチーム 

チームはついに悲願のレギュラーシーズン優勝を果たした
チームはついに悲願のレギュラーシーズン優勝を果たした

 しかし、チームに染みついた負け犬根性はなかなか抜けることはなかった。黒星が続く中、プロ野球(NPB)出身の指導者と「プロ未満」の選手との溝は深まっていくばかりだった。大八木さんは昨年までのチームについてこう振り返る。「確かに雰囲気は良くなかったですね。それにあれだけ負け続けると、ファン、応援してくださっている方に対して申し訳ないというか。でも、僕たちがやることはそんなに変わらないんで」

 状況を見かねた親会社は、社長自ら滋賀に乗り込んで球団運営にタッチすることを決意した。同時に、チームは指導者、選手ともほとんど総入れ替えし、チームを発足時から支えていた大八木さんは球団代表に抜擢された。

「今年は本当に別のチームです。予算も上がりましたし、その分選手個々の能力も上がりました。育成という面でも、新球団社長が、中学生の指導経験を買って、それまで臨時でコーチに来てくれていた柳川さんに監督を任せましたから」

 それに大八木さんたちが地道に取り組んでいた球団運営もここにきてようやく花開かせた。これまで滋賀球団は、普段の練習場所にも事欠くような有様で、練習環境の悪さを嫌って多数の選手が他球団へ去っていった。ファンの間からは、地元の甲賀忍者にちなんだチームのマスコットになぞらえて、彼らを「抜け忍」と揶揄する声も上がっていた。しかし、滋賀球団の地道な活動への理解は、県内各球場の協力を呼び、球場の問題は飛躍的に改善された。新たに集った弱いブラックスを知らない選手たちは、改善された環境の下、他のどの球団よりも練習に取り組んだ。その結果はすぐに実を結んだ。開幕後、チームは昨年までが幻だったように快進撃を続け、ついに悲願の地区優勝を果たした。ベンチの雰囲気は昨年とは全く違ったものになっている。その姿に大八木さんは目を細める。

「チームの雰囲気は変わりました。元気になりました。そこはもう、監督をはじめとする、現場スタッフの方が意識しながら改善してくれていたみたいで。何より僕は、勝つことでファンの方とか周りの方に喜んでもらえるというのがうれしいですし、選手たちもモチベーションが上がるでしょう」

 チームを創業から知る者は、もう自分とボランティアで支えてくれているブルペンキャッチャーの2人だけだと大八木さんは笑う。滋賀球団の酸いも甘いも知る大八木さんの目標はもちろんリーグの頂点に立つことだ。

「欲を出して、優勝したいです。過去4年間のシーズンで本当に支えてくださったり応援してくださっている方がたくさんいて、変わらず応援してもらいながら、チームや会社がころころ変わる中、最初から応援してくださっている方たちを知ってるのは僕くらいなので。そういう方々に感謝の気持ちを形で表すというのはやっぱり優勝かなと思うので」

 唯一の悩みは、球団発足以来、減り続けている観客だと言う。滋賀球団は来シーズンから新リーグ・日本海オセアンリーグの盟主として再出発する。BCリーグ最初で最後の優勝は新リーグのスタンドにファンを呼び込む最大の起爆剤になるだろう。

 群馬ダイヤモンドペガサスとのBCリーグチャンピオンシップは、現在、1勝1敗のタイ。滋賀ブラックスは明後日10月2日から「あと2勝」をかけて、群馬・高崎で決戦に挑む。

(写真は筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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