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朝ドラ『エール』で脚光を浴びる「野球ソング」。もうひとつの『六甲おろし』の物語

阿佐智ベースボールジャーナリスト
今はなき阪急ブレーブスの球団歌も「六甲おろし」だった(写真:岡沢克郎/アフロ)

 朝ドラ『エール』が好評だ。「コロナごもり」の中、ドラマなど見ない私もすっかり虜になってしまった。主人公のモデルとなったのは、古関裕而。昭和という激動の時代に、スタジアムでスタンドとフィールドをつなぐ応援歌を多数手掛けた作曲家だ。ドラマにも登場した早稲田大学の応援歌、『紺碧の空』はもとより、その永遠のライバルである慶應義塾大学の『我ぞ覇者』の他、彼が作曲者として台頭し始めた時に誕生したプロ野球球団の応援歌も数多く手掛けている。

 その代表的なものが阪神タイガースの球団歌、『六甲おろし』だ。12球団で一番おなじみの応援歌と言っていいだろう。阪神タイガースの応援スタイルは今や世界的に有名なので、世界一有名な応援歌と言っていいかもしれない。古関はタイガースの本拠、甲子園球場で開催される夏の全国高校野球選手権の大会歌『栄冠は君に輝く』も手掛けている。

 その『六甲おろし』だが、その正式なタイトルは『阪神タイガースの歌』。その歌詞の冒頭に「六甲おろし」があるので、いつの間にかそう呼ばれたようだ。このフレーズから始まる歌詞は、タイガースファンならずとも多くの野球ファンが知っていることだろう。

 しかし、「六甲おろし」から始まるもう一つの球団歌が存在することをご存じだろうか。

 

 そもそも「六甲おろし」とは、阪神間に横たわる六甲山系から吹き降ろす冬の季節風のこと。イメージとしては、シーズン前に冬風に耐えながらトレーニングをした成果を春からのシーズンに発揮しようということなのだろうか。

 タイガースのライバルと言えば、ジャイアンツというのが定番だが、実は、プロ野球草創期、親会社の阪神電鉄にとってはもっと意識すべきライバル球団があった。同じ大阪・神戸間に電車を走らせていた阪急電鉄をオーナーとする「阪急軍」、のちの阪急ブレーブスである。

 阪急を率いた小林一三は現在のNPBにつらなるプロ野球に先んじて発足した「最初のプロ球団」・日本運動協会が経営破綻した際、これを引き継ぎ宝塚運動協会を運営するなど、野球ビジネスの可能性を追求した人物だが、現在のNPBの前身である日本野球連盟において先んじて球団をもった阪神に対抗すべく、「阪急軍」を立ち上げ、その本拠・甲子園球場に対抗すべく、当時最新鋭の技術を駆使して西宮球場を建設した。

 「阪急軍」は戦後、プロ野球の最下位とともに、「ベアーズ」のニックネームを名乗ったが、ほどなく「ブレーブス」に改称している。

 そして、セ・パ分裂後の1958年、『阪急ブレーブス団歌』が世に出た。混同されがちだが、球団歌と応援歌は厳密には別物である。この「団歌」は阪神の『六甲おろし』と同じ「球団歌」である。所属リーグはセとパに分かれていたが、私鉄の雄を争うライバルとして、阪神を意識した歌詞となっている。

 

六甲おろしに鍛えたる

我ら熱とちからのますらおだ

白球飛ぶ青空に希望は燃える

若き友どもよ 腕を組みいざ行けよ

光り輝く勝利の道を

阪急 阪急 我らは阪急ブレーブス

 作曲は宝塚歌劇団の作曲家・入江薫。作詞は同じく宝塚歌劇団の劇作家・内海重典。今も続く宝塚歌劇は、阪急ブレーブスと並ぶ、「阪急」のレジャー産業だった。

 しかし、その後のセ・パ分裂後の球史は、新聞社とテレビ局というメディア産業をバックした巨人中心のものとなっていく、阪神が巨人のライバル球団としてその存在感を増していく一方で、阪急はその低迷もあって「灰色の球団」として脇役に追いやられてゆく。そして、阪急の『六甲おろし』も完全に球史の表舞台から去ることになる。

 

 阪急ブレーブスは、しかし、1960年代後半以降、西本幸雄、上田利治という2人の名将によって黄金時代を現出する。このチームの絶頂は、言わずもがな、1975年からの4年連続リーグ優勝、3年連続日本一である。とりわけ、西本監督時代にさんざん日本一を阻んだ巨人を破った1976年の日本シリーズがこのチームの最良の時だったと、当時のエース・山田久志は言う。私は彼に2度ほどインタビューをしたことがあるが、この話をするとき、彼は実に嬉しそうな顔をする。

「後楽園で優勝を決めた後、みんなで飲みにいって、そのあと、赤坂だっけなあ。交差点を渡るとき、ファンのひとと一緒になって『阪急ブレーブスの歌』を大声で歌ったんだよ。まわりの巨人ファンは嫌な顔をしていたけどね」

 この時阪急ナインが咆哮していたのは、「もうひとつの六甲おろし」ではない。『阪急ブレーブスの歌』のレコードのB面に収録されていた応援歌、その名も『阪急ブレーブス応援歌』だった。この後、7回のいわゆる「ラッキーセブン」で、ホームチームの応援歌が場内に流れるようになったとき、西宮球場に響き渡ったのは、この歌であった。

晴れたる青空 われらのブレーブス

燃えたる緑か われらのブレーブス  

勝利を目指して鍛えし技を

この日もしめさん われらのブレーブス

阪急 阪急ブレーブス おお 阪急ブレーブス

 作詞は詩人のサトウハチロー。作曲は昭和を代表する国民的歌手・藤山一郎。このコンビは、実は、『阪神タイガースの歌』の古関が、戦後に作曲した戦没者の鎮魂歌・『長崎の鐘』の作詞者と歌い手でもある。この歌は朝ドラの第1話にも登場している。ふたつの「六甲おろし」はこんなところでもシンクロしているのだ。

 「もうひとつの六甲おろし」はブレーブスの黄金時代にはすっかり忘れ去られた存在になっていた。阪急は1988年シーズン終了後、球団をオリエントリース(現オリックス)に譲渡するまでファン向けに発行するイヤーブックに、この球団歌を掲載していたが、スタジアムでこの歌が流れることはなかった。1983年以降、球場の最寄り駅、西宮北口駅で試合日に流れたのは、アイドル歌手・早見優が歌うイメージソング、「YES YOU WIN」だった。

 朝ドラの題名になった『エール』とは英語の“Yell”。アメリカのカレッジスポーツの応援の際のスタンドからの叫び声に由来する。フィールドで懸命に汗を流すアスリートとスタジアムという場を共有すべく声を届ける人々の気持ちは洋の東西を問わない。それは、スポーツを楽しむ人々の心の叫びなのだ。日本の「応援歌」はそのひとつのかたちである。プロ野球のスタンドから響き渡る日本独特の応援スタイルもその発展形だと言えるだろう。

 今週末、いよいよプロ野球が開幕する。ただし、新型コロナの完全終息が不透明な今、無観客というかたちである。しかし、我々は信じている。そう遠くない日に、スタンドからフィールドに「エール」を届けられる日を。そのスタジアムが一体化する時が一日も早く来ることを願いたい。

 数々の「エール」を作曲した古関裕而を野球殿堂入りさせようという機運がここ数年起こっているらしい。野球をかたちづくるのはフィールドのプレーヤーだけではない。日本が世界に誇る応援文化に光が当たるか否かは、ある意味、日本の野球文化の成熟度の試金石にもなる。

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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