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変貌するカリビアンシリーズと漂流する「プエルトリコ野球」

阿佐智ベースボールジャーナリスト
開催国プエルトリコ戦以外は閑古鳥の鳴くことが多かったカリビアンシリーズ

 カリビアンシリーズの名を知っている野球ファンは多いだろう。日本のプロ野球選手がオフに武者修行に行くことで今ではすっかりおなじみになった中南米各国のウィンターリーグの優勝チームが集うこの大会は、各国のプライドをかけた「冬のプロ野球」最高峰の戦いである。その草創期には、メジャーリーグと同等のレベルと盛り上がりを見せたこの国際シリーズだが、1970年代後半以降メジャーリーグとの報酬の差が開くと、メジャーリーガーのウィンターリーグ参加は次第に減っていき、その盛り上がりも下降線をたどるようになった。

しかし、世紀が変わる頃までは、ロベルト・アロマー、カルロス・バイエガ、バーニー・ウィリアムスら当時バリバリのメジャーリーガーを招集し、1995年大会を制したプエルトリコのように、補強選手制度を利用した事実上の「A代表」でこのシリーズに臨む国は少なくなかった。2006年にWBCが始まって以降は、このシリーズが前哨戦のように報道されることも多くなったが、その現状はそのような言説とかけ離れたものであることが2020年大会を取材してわかった。

マイナーリーガーの見本市と化した「カリブの祭典」

 ここ近年、ウィンターリーグの勢力図は大きく変貌している。キューバ革命による中断を経て1970年に大会が復活して以降のカリビアンシリーズは、メジャーリーガーを多数輩出しているアメリカ自治領のプエルトリコと早くからメジャーリーク各球団のスカウトの草刈り場となったドミニカ共和国(ドミニカ)の「二強時代」が続いた。その後1990年代終盤以降は、プエルトリコの影が薄くなり、ベネズエラが台頭してくる。2010年代になると、それまでメジャーリーガーが少なく、常に「四番手」に甘んじていたメキシコがその存在感を増してきた。この趨勢は、メジャーリーグとウィンターリーグの関係性、各国の国情をそのまま反映していると言える。

 勢力図の変化の一番の要因は、言わずもがなメジャーリーガーの参加の激減である。前世紀までは、国内に夏季プロリーグがあるゆえにメジャーリーグ球団との契約にハードルが高いメキシコには(メキシカンリーグは、メジャーリーグ傘下のマイナーリーグ組織であるナショナル・アソシエーションに属し、3Aの階級を与えられているが、独立したリーグ組織である。したがって、選手がメジャーリーグ球団と契約する際には、移籍金が発生する)、メジャーリーガーが相対的に少なく、これを多数擁する他の3国の後塵を拝することが多かった。しかし、もはやメジャーリーガーやマイナーのプロスペクト(マイナーの有望株にもウィンターリーグでのプレーには制限がかけられる)が参加しなくなった今、国内に夏のプロリーグをもっていることが強みとなっているようである。

 また、各国の政治経済情勢も無視できない。ある選手の話だと、2000年代に入り、それまでドミニカに「出稼ぎ」に行っていた選手の流れが、報酬が高いベネズエラ、メキシコへと変わったという。しかし、ベネズエラはこの時期の反米政権成立以降、次第に経済状況が悪化、それに伴い治安も悪化し、好選手がウィンターリーグへの参加を控えるようになると急速にレベルを落とした。昨年はウィンターリーグに参加していたメジャーリーガーが試合の帰途、強盗に殺害されるという事態が起こり、この冬はメジャーリーグ機構がメジャー、マイナー問わず契約選手のウィンターリーグ参加を禁止した。その結果、ベネズエラリーグは次シーズンの契約のないフリーエージェントか、独立リーグもしくは北米以外のリーグの選手で実施されることとなった。カリビアンシリーズの直前にメジャーリーグ機構の参加禁止は解除され、他のどの国よりも多い15人の補強選手を集め、元メジャーリーガーを10人そろえたベネズエラだったが、結局2019年シーズンをメジャーで過ごした「現役」はシリーズに1人も参加することはなかった。

ベネズエラ代表、ララ・カージナルスの主砲として出場した元ヤクルトのカルロス・リベロ。昨冬の事件の際は被害を受けた車に同乗していたが、一命をとりとめ、昨年はメキシカンリーグでプレーしていた
ベネズエラ代表、ララ・カージナルスの主砲として出場した元ヤクルトのカルロス・リベロ。昨冬の事件の際は被害を受けた車に同乗していたが、一命をとりとめ、昨年はメキシカンリーグでプレーしていた

 戦力的には、新興国のパナマとコロンビアはある意味大会への参加がひとつの目標というレベルだった。優勝争いは、メジャー経験者は6人と多くはないものの、選手の大半がメキシカンリーグでプレーしているメキシコと、16人と他国を圧倒する数のメジャー経験者を擁する古豪ドミニカの間で演じられると思われた。しかし、蓋を開けてみれば、準決勝においてワンチャンスをものにしたベネズエラがメキシコを零封して勝利を収め、プエルトリコを下したドミニカとの決勝に駒を進めた。ベネズエラ対メキシコの準決勝は、1対0の息詰まる試合となったが、投手戦というよりは、両軍打線の弱さが目立った試合だった。

大会ベストナインに5人を送り込むなど優勝候補だったメキシコだが、準決勝でベネズエラに敗れた
大会ベストナインに5人を送り込むなど優勝候補だったメキシコだが、準決勝でベネズエラに敗れた

 この試合だけではなく、ラテン野球の醍醐味と思われている豪快なホームランはシリーズ中、ほとんど見られることなく、一方で早い回からのバントが意外にも目についた。「スモールボール」と言えば、日本のお家芸のように思われがちだが、大砲のいない短期決戦においては、足を使わざるを得ないのはどこのチームも同じで、今後WBC以外のメジャーリーガー不在の国際大会では、各国ともこのような戦術が主流になるのではないかと思えた。

 今大会の参加選手は、6か国で総勢165人。そのうちメジャーリーグでのプレー経験をもつ選手は40人だったが、昨シーズンに一瞬でもメジャーでプレーした者となると6人に過ぎない。無論彼らのうち、今シーズンに向けてのメジャー契約を結んだ選手はひとりもいない。大会の最中にマイナー契約、あるいはメジャーキャンプへの招待状を手にした選手も若干いたが、把握している限りでは大会終了時点でまだ111人がフリーエージェントであった。

周辺化するプエルトリコ

 今大会の主催国であるプエルトリコだが、2019年シーズンにメジャーでプレーした選手はゼロ。これは同じく決勝トーナメントに進んだベネズエラと同じだが、メジャー経験者は、四強の内最少の4人しかおらず、マイナーリーガーと独立リーグでプレーする選手中心の陣容は明らかに見劣りがした。ラウンドロビン(総当たり戦)4位で準決勝に進んだが、結局、優勝したドミニカに力の差を見せつけられ、ここで敗退した。

戦力不足ながら地元の声援を受けて準優勝と健闘したプエルトリコ
戦力不足ながら地元の声援を受けて準優勝と健闘したプエルトリコ

 プエルトリコは、WBCではここ2大会準優勝、カリビアンシリーズでも2017、2018年大会で連覇を果たしているが、その主役はアメリカ本土在住の選手で、彼らトップ選手がもはや参加しない国内ウィンターリーグは衰退の一途を辿っている。かつて6球団あった球団数は一時4まで減り(現在は5球団)、レギュラーシーズンの試合数もこの冬は32と最盛期の半分以下となっている。シリーズ連覇を果たした時は、そもそものリーグ戦開催も危ぶまれたのだが、20試合ほどの短いシーズンを何とか開催し、チャンピオンチームをシリーズに送ったというのが実情だった。

 プエルトリコの凋落は、米国領で選手がドラフト対象になるというアメリカとの関係性の反映である。かつてはそのことがメジャーリーガーの輩出につながり優位に働いたが、メジャーリーグに渡った選手たちは一旦「本土」に渡ると、プエルトリコに戻ることがなくなり、「空洞化」が進んだのだ。そしてメジャーリーガーの報酬が天文学的数字になると、月給数千ドルのウィンターリーグではもはやプレーすることがなくなった。その結果、ウィンターリーグは先述のような状況に陥り、スタジアムは閑古鳥が鳴くありさまとなっている。ある意味、今大会での、ドミニカ戦の満員御礼は、メジャーリーグ公式戦以外ではひさかたぶりのプエルトリコ野球の盛り上がりであったのだ。

メジャーリーグの公式戦以外では久々の盛り上がりとなったプエルトリコ野球
メジャーリーグの公式戦以外では久々の盛り上がりとなったプエルトリコ野球

 プエルトリコの空洞化は実は野球だけの話ではない。日本の地方と同じく、アメリカでも大都市への人、モノ、カネの集中はやむことがない。プエルトリコでも労働力の流出は止まず、2017年には自治体としてのプエルトリコ自身がアメリカ連邦地裁に破産申請を行っている。

プエルトリコの現況と野球

 私がサンファンの空港に到着したのは早朝4時過ぎだった。1時間も待てば市内行きのバスが走っていたので、それに乗ったのだが、途中バスが立ち往生した。停留所から出発しようとしたバスの前に大きな男が仁王立ちになり、行く手をしばらく遮ったのだ。まだ夜も明けきれぬ時間のこの騒動に私はバスジャックでも起こったのかと肝を冷やしたが、地元民は至って冷静で「またドラッグでもやっているんだろ」と平然としていた。

 宿をとったのは、サンファンの下町、サントゥルセの北端にあるオセアンパークという高級住宅街近くの安宿だったが、球場まで直接行くバスがないので、行きは市バスターミナルのあるこの島唯一の電車の駅まで30分ほど歩いて行った。駅まで行くのには丘をひとつ越えるのだが、丘の上にある高級マンション街の裾野にもまた下町が広がり、裏道を歩けば、家畜の鶏が何羽か連れ立って歩いている様が目に入った。そこにあるのは、アメリカではなく、まさにラテンアメリカの風景だった。

カロリーナにあるロベルト・クレメンテ運動公園
カロリーナにあるロベルト・クレメンテ運動公園

 プエルトリコ観光の目玉であるサンファンの旧市街と隣町のカロリーナにある空港を結ぶT5番バスは、空港からさらにカロリーナのターミナルへと向かう。その終点から歩いて15分ほどのところにあるのが「ロベルト・クレメンテ運動公園」だ。プエルトリコ野球史上最大の英雄であるクレメンテの遺族が野球をはじめとするスポーツの青少年への普及を願い、その遺産を投じて建設したスポーツセンターである。

 大会最終日、決勝は8時からのナイトゲームということもあり、10年ぶりにここへ足を運んだ。これまで2度訪ねたのだが、プエルトリコ訪問自体がいつもウィンターリーグシーズンのクリスマスから年始にかけてということもあり、ここにあるクレメンテを顕彰する博物館が閉館で入れずじまいだったのだ。2月の平日というこのタイミングなら入館できるのではないかと楽しみにしていたのだが、結論から言うと今回も入れなかった。おそらく今後も永久に入れないだろう。

 公園の入り口にはクレメンテの銅像が立っている。10年前まではこのたもとには訪問者が置いていった花束があった。しかし、今回はそれもなく、そもそも人気じたいがなかった。ゲートにある番所のガラスが粉々に割れている様子からは廃墟感が漂っている。そして左手にあったはずの少年野球場は跡形もなくなり、右手にかつてあったバッティングセンターはただのグラウンドになっていた。

 さらに進むと道は左に折れ、その先に見覚えのある赤い屋根の建物が見えてきた。入り口の上部にクレメンテの背番号である21が掲げられたその建物はまさに博物館だったのだが、その扉がもはや開かれることがないだろうことは、鬱蒼とした草木に覆われていることからうかがえる。近づいてみると、ドアには植物の蔓が絡まり、チェーン付きの錠前で固く閉ざされていた。

閉鎖されていた公園内のクレメンテ博物館
閉鎖されていた公園内のクレメンテ博物館

 その向かいには競技場がある。小さなスタンドをくぐるとフィールドがあり、ボロボロのトラック上を2人の男がジョギングしていた。トラックの側では作業着姿の男が草刈りをしていたので、最低限の整備はされているようだったが、その男に尋ねると、この奥にある数面の野球場はもうここ数年使用されることもなく荒れ放題だという。見に行っても何もないよという言葉に従って戻ることにした。

公園内の競技場も荒れ果てていた
公園内の競技場も荒れ果てていた

 入り口まで戻ると、ひとりの若者がベンチにノートを置いて、イヤホンで音楽を聴いていた。ここの番人かと思って声をかけたが、そうではなく、ただ単に暇をつぶしにやって来たのだと言う。彼の話だと、この公園の寄付を受けた市が、整備計画を立てたものの、財源不足から実行に移されることはなく、現在この公園は開店休業状態らしい。

 かつてバッティングセンターのあったグラウンドにはよくわからないオブジェのようなものが多数置かれていた。ゴム製のその物体は週末にやって来る子供用の遊具らしかった。

 再びT5番のバスに乗り今度はサンファンの中心に向かう。空港を経由して、1時間弱で旧市街の入り口にあるターミナルに着いたが、途中やたら目立った廃ビルは、日本の地方都市の「シャッター通り」を連想させた。

サンファンの町の中心にあるスポーツ殿堂も閉鎖されていた
サンファンの町の中心にあるスポーツ殿堂も閉鎖されていた

 久々の旧市街を散策し、来た道を戻った。東西4キロ弱のサンファン島の旧市街と反対側、島の西端にある公園のスタジアム内にプエルトリコスポーツ殿堂があるというので足を運んだのだ。スタジアム前にはこの島最初のボクシング世界チャンピオンとなったシクスト・エスコバルの像が立っていた。クレメンテと並ぶプエルトリコスポーツのアイコンと言っていい。その彼の名を冠したスタジアム内にこの島のスポーツに貢献したスポーツ関係者を顕彰した博物館があるのだが、ここもまた閉鎖されていた。

スポーツ殿堂前にあった廃墟と化したホテル。このような建物はサンファンのいたるところにある
スポーツ殿堂前にあった廃墟と化したホテル。このような建物はサンファンのいたるところにある

 

 スタジアムの横には、7階建てのホテルがあったが、その外壁は落書きにあふれていた。道路を挟んで向かい合うふたつの建物が現在のプエルトリコを象徴しているようだった。

 ちなみに今大会出場各国・地域の1人当たりのGDPを見ると、プエルトリコは5位である。下には経済が破綻状態のベネズエラしかない。おそらくプエルトリコからの選手の流出という流れは今後も止むことはないだろう。WBCなどのメジャーリーガーが出場する大会では、プエルトリコにアイデンティティをもつメジャーリーガーが参加し、今後もこの国は強豪の一角を占めるであろうが、それは、プエルトリコという土地には根ざすことのない「想像の」ナショナルチームになっていくことだろう。

 「プエルトリコ野球」とカリビアンシリーズは果たしてどこに向かうのだろうか。

(写真はすべて筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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