テキサスレンジャーズの本拠、ラストゲームを迎える。あまりに早いメジャーリーグのスタジアム建設サイクル

グローブライフ・パーク・イン・アーリントン(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 ダルビッシュ有投手や大塚晶則投手も在籍したメジャーリーグ、テキサスレンジャーズの本拠地、グローブライフ・パーク・イン・アーリントンが今日(現地時間29日)、野球場としてのその一生を終える。球場は取り壊されず、フットボールの競技上に転用されるようだ。来シーズンからは、現在、隣接する敷地に建設中の開閉式の屋根を備えた新球場、グローブライフ・フィールドをレンジャーズは使用するという。

テキサスレンジャーズの本拠地の歴史

グローブライフ・パーク・イン・アーリントン
グローブライフ・パーク・イン・アーリントン

 アメリカンリーグ西地区に属するレンジャーズが誕生したのは、1972年。正確には、ワシントンにあったセネタースが移転してきてできたチームだ。

 レンジャーズが移転してきたアーリントンの町は、テキサス州北部に位置し、一大都市圏を形成しているダラス、フォートワース両市の中間にあるベッドタウンである。この町には、移転前、スパーズという2Aテキサスリーグの人気チームがあり、1965年建造のスタジアムを使用していた。レンジャーズを迎えるにあたっては、このスタジアムを改装し、収容3万5000人のアーリントン・スタジアムとして使用することになった。

 しかし、同じテキサス州に本拠を置く、ヒューストン・アストロズが空調完備のアストロドームを使用したのに対し、この球場は真夏の酷暑で名を馳せるようになった。そこで、球団は新球場の建設を要請、アーリントン市もこれに応じ、当時の新球場建設ブームをけん引したネオ・クラシック型の新球場、ザ・ボールパーク・イン・アーリントンが1994年開場した。その後、この球場は、ネーミングライツにより度々その名を変え、現在の名となってそのボールパークとしての一生を終えようとしている。

「真夏の夜の夢」、1995年7月11日

1995年のオールスターゲーム
1995年のオールスターゲーム

 この球場では、当然のごとく、様々なスターたちにより数々のドラマが生み出されてきたのだが、個人的には、1995年のオールスターゲームが印象に残っている。印象に残っているというより、私はこのスタジアムに足を運んだのはこの試合1度きりなのだが。

 古くからのメジャーリーグファンならご存知だろうが、この年のメジャーリーグ・オールスターゲームは、歴史的な試合だった。この試合は、日本からやってきたひとりの侍のためにあったと言っていい。あの「トルネード」、野茂英雄が日本人選手として初めてその舞台に立っただけでなく、ナショナルリーグの先発投手まで務めたのだ。

 あの夏、私は2か月ほど連日野球観戦しながら北米大陸をさまよっていた。当時まだあった、メキシコへの野球伝来の道となったという歴史をもつ鉄道に乗り、メキシカンリーグを見ながら北上、国境を越え、7月10日にダラスの町にたどり着いた。町の大通りにオールスターの幟が立っているのを見て、この国におけるオールスターゲームの地位の高さを実感し、グレイハウンドのバスを乗り換えてアーリントンに向かった。摩天楼を後ろに見ながらハイウェイを行くバスは、ただ平原だけが広がる中を進み、1時間弱で、小さなバスディーポに到着した。幸い球場はさほど遠くなく、球場とバスディーポとの間に見つけたモーテルに宿をとった。夜行バスか1泊十数ドルのホステルを住まいにしていた身には40ドルのモーテルは贅沢以外のなにものでもなかったが、他に選択肢もなかった。

 翌日は、朝からチケット探しだった。球場を取り囲む駐車場にやってくる車を待ち構えて、余ったチケットを譲ってもらおうと片っ端から声をかける。もっともさすがに午前中は、車も来ない。球場のバックスクリーン裏にあるビル内には、レンジャーズの野球博物館があり、ここが昼前から開いていたので、冷房の効いたここで涼をとりながら、駐車場との間をひたすら往復した。そのうち、ダフ屋がやってきて、球場向かいのバーに来ればチケットを売ってやるよと声をかけてきたが、いざとなればそこに行けばいいと、駐車場にとどまった。

 チケットが手に入ったのは、試合開始2時間ほど前だった。オクラホマから車を飛ばしてやってきたという男が1枚余っているというので、150ドル也で手を打った。券面を見ると、45ドルとあるので高いじゃないかというと。

「俺も150ドルで買ったんだ。女房が体調崩して来れなくなったんだけど、嫌なら他のやつに売るよ」

と返ってきた。

 ゲート前では、日本人の姿が目立った。テレビでよく見る解説者たちが、興味なさげに通り過ぎるアメリカ人ファンをよそに興奮気味にカメラに向かって話していた。

 席は、上層スタンドの中央だった。試合前には、スターたちが名前を呼ばれて次々とフィールドに現れる。その盛り上がりぶりは、日本の比ではなかった。その熱狂の中、野茂英雄がマウンドに登った。野茂は先発の大役を2イニング無失点で見事果たし、夢のような時間が終わった。多くのファンにとって、この日の見どころが彼であったことは、私の隣に座っていた、チケットを譲ってくれた男が5回を終わると席を立ったことが示していた。

「もう帰るよ。なにしろ家が遠いからな」

 野球の試合のために、500キロを日帰りで往復するアメリカ人の野球に対する情熱に感心しながら、私はこの真夏の祭典を最後まで見届けた。

今や「式年遷宮」と化したスタジアム移転

それまでのスタジアムの常識を覆したレンガ造りの外観
それまでのスタジアムの常識を覆したレンガ造りの外観

 その夢の舞台が、最後を迎えたと聞いて、今さらながらに時の流れの速さを感じる。しかし、この球場の「寿命」は、たった26年だった。当時時代の最先端だった、レンガ造りの外観をもつネオ・クラシックは、今や陳腐なものとなり、時代は開閉式屋根をもつボールパークへと移行した。アメリカでは野球スタジアム建設のサイクルは、30年未満というのが相場であり、このアーリントンのスタジアムと同じ1995年に足を運んだアトランタなどは、当時のフルトン・カウンティ・スタジアムが1996年のオリンピックを最後に解体され、翌年からは隣接していたオリンピックのメイン競技場を改築したターナー・フィールドを地元チームブレーブスのために使用するようになった。この新球場の寿命も短く、ブレーブスは、たった20年で郊外の新球場サントラスト・パークへと去っていった。

1995年当時建設中だったアトランタ五輪メインスタジアムは、五輪終了後ブレーブスの本拠地に生まれ変わった
1995年当時建設中だったアトランタ五輪メインスタジアムは、五輪終了後ブレーブスの本拠地に生まれ変わった

 アーリントンにしても、アトランタをはじめとする複数の都市にしても、広大な国土をもつこの国では、球場移転の際は、旧球場の隣接地に新球場が建てられている。来年、開場するアーリントンのスタジアムも現球場の隣接地に建てられる予定だ。ここにはかつて、前本拠地、アーリントン・スタジアムが存在した。それはあたかも、明治以降国家神とあがめられた伊勢神宮で、定期的に聖域を隣接する地に移していた「式年遷宮」のようなものだ。

 新球場では、天然芝ではなく、人工芝を採用する予定だという。ネオ・クラシックの流行時、人工芝は選手の体をむしばむ「悪」とされ、次々と天然芝にとってかわられたが、今回、アーリントンは、人工芝の採用に踏み切った。ここ30年の技術の進化は、人工芝による選手の負担増という課題を解決し、また環境保護の国際世論増大の中、その維持のために大量の水を使う天然芝はいまや「悪」となりつつある。

 乾燥したテキサスの大地で、水の心配の要らない新型人工芝の上メジャーリーガーが躍動する様を、空調の利いた屋根付き球場で観戦できるのは、来年春から。公式戦初戦は、あの大谷翔平擁するエンゼルス相手だ。

(文中の写真は筆者撮影)