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ポジティブ思考の元気印・福田周平(オリックス)が振り返る「最高のシナリオ」の「通過点」、都市対抗野球

阿佐智ベースボールジャーナリスト
先週の試合前、インタビューに応じてくれたオリックスの福田周平

 今日13日から社会人野球最高峰の大会、第90回都市対抗野球大会が始まる。この大会はプロを目指す選手にとっては、最高のアピールの場であることは言うまでもない。この大会での活躍がスカウトの目を引き、プロ球界へ巣立っていった選手は数えきれない。2年前、悲願の初優勝(前身の電電東京時代に1回優勝)を果たしたNTT東日本で大会MVPである橋戸賞を受賞し、プロ入りしたオリックス・バファローズの福田周平もそういう選手のひとりだ。プロ2年目の今シーズン、キャプテンに就任し、ガッツあるプレーでチームを引っ張る福田に社会人時代の思い出を聞いた。

甲子園から神宮、東京ドーム、そしてプロ入り。最高のシナリオ

社会人時代を振り返る福田(オリックス)
社会人時代を振り返る福田(オリックス)

 「もう最高のシナリオでここまできていると思ってます」

無理やりポジティブに考える癖があるんだと少々照れながらも、試合中のプレーの印象そのままに、強気の言葉で福田は自らの野球人生を表現した。

 オリックスの地元大阪出身で、広島の広陵高校、明治大学と名門コースを進んできた福田の意識の先には常にプロがあったのだが、大学卒業時にはかなわず。そこに声をかけてきたのが、現在もNTT東日本を率いる飯塚智弘監督だった。

 「ここ(NTT東日本)で2年間やってプロに行こうぜ。俺はお前の夢を全面的に手助けしたい」

 現役時代、社会人野球を代表するリードオフマンでシドニーオリンピックにも出場した飯塚は、小柄で向こう気の強い福田に若き日の自分を重ねたのかもしれない。福田は飯塚に導かれるまま、NTT東日本に入社した。

 あくまでプロ入りが目標だったという福田は、社会人時代を「通過点」だったと言い切る。そんな福田だったから、社会人野球にも、サラリーマン生活にも、NTT東日本という会社にも漠然としたイメージしかもっていなかった。ただ、会社を挙げて野球部を応援してくれていること、そのため、寮の隣にはプロ顔負けの室内練習場とグラウンドがあるなど、野球をするには最高の環境であることはすぐに感じ取れた。大学と社会人との違いも気にならなかったという。

「大学には大学野球の色があって社会人には社会人野球の色がある。それってプロでもオリックスと他のチームも違うわけで、違うのは絶対に違うじゃないですか。そりゃ、高校から大学に進んだ時も、レベルは全然違いましたし、それは社会人に進んだ時も感じました。でも、それはやっているうちに、経験を積んでいったら時間とともに慣れてきました。それはプロに進んだ時も一緒です。ピッチャーの球など、なににしてもスピードは速いという印象はあったんですが、不安なんかは全くなかったですね」

 その言葉通りプロ2年目の福田はセカンドのポジションとユニフォームの左胸のキャプテンマークを手にしている。

都市対抗MVPからぎりぎりのタイミングでプロへ

 福田が入社した当時、NTT東日本は6年連続で都市対抗に出場しながらも、頂点にはなかなか届かないというジレンマに陥っていた。そんな「都市対抗出場は恒例行事、目指すは黒獅子旗のみ」という中、福田の加わったチームは、7年ぶりに都市対抗出場を逃してしまう。当時在籍していた選手の多くが予選敗退後の出社を「針の筵(むしろ)」と振り返るが、「周囲を気にしないタイプ」だという福田は胸を張って出社した。

「そういうふうには聞いていたんですが、意外とそうでもなかったですよ。だってその人の捉え方なんで。職場の人は優しいですし。そもそも、なんでそんなのを感じなあかんねんって、僕はそういうタイプなんで。NTT東日本では、伸び伸びやらせてもらいましたよ。いろんなこと気にしたらしんどいじゃないですか。そこにエネルギーをもっていくぐらいだったら、自分のことにエネルギーをもってきたほうがいいでしょ」

 ルーキーイヤーは補強選手にも選ばれなかった福田が東京ドームのフィールドに立ったのは、社会人2年目の2016年のことだった。ここで福田は、NTT東日本という会社の凄さを肌で感じる。

 「NTT東日本は他社と比べてもダントツに応援団の数が多いんです。もちろんスタンドのどこにいるかはわかりませんが、自分の部署の方々もたくさん来てくれていました」

 この大会ではNTT東日本は準々決勝でトヨタ自動車に2対1で惜敗してしまい、福田にもこの年のドラフトの指名はなかった。

しかし、翌年、チームも福田もついに大輪の花を咲かせる。決勝までの4試合中3試合で6得点以上を挙げたNTT東日本打線は、東京ドームのスタンドを埋めた2万人の大応援団を背に、決勝でも10点を取り、相手の日本通運をねじ伏せ、ついに頂点に立った。

 悲願の優勝を成し遂げ、歓喜のあまり胴上げ前後の記憶がないという選手もいた中、福田は「その次」を見据えていた。

 「僕はプロに入りたかったんで、ここで活躍しないといけないというのは、分かっていましたから」

 アマチュア野球最高峰の大会で打率トップの.550を挙げ大会最優秀選手になった福田だが、気を緩めることはなかった。当時大卒で3年目。プロ入りにはギリギリのタイミングであることは百も承知していた。

「2年目の時点で、調査書も来て、プロに行けるよみたいな感じになって、都市対抗でも活躍しましたが、それでもドラフト指名はなかった。だからドラフト当日に指名があるまでは気は抜けなかったですね。社会人野球の場合、都市対抗の後、だいたい秋の日本選手権まではみんな気を抜くんですが、僕はもうそこからの大会と練習試合で常にスカウトの目を気にしていました。やっぱりアピールしていかないといけないんで。一昨年のドラフトでプロから声が掛かっていなかったら、たぶん会社を辞めていたと思いますよ。監督の飯塚さんは、大丈夫って言ってくれていましたけど(笑)」

そんな福田だから、オリックスから3巡目で指名されたとき、迷わずプロ入りを決意した。その後の活躍は周知のとおりである。

社会人野球で得たもの

 社会人時代の3年間を「プロへの通過点」と言い切る福田だが、都市対抗の時期になると、試合結果をチェックするなど、NTT東日本が思い入れのある古巣であることは間違いない。

社会人時代になにか得たことはあるかという問いに、「電話対応くらいですかね」ととぼける福田だが、大学時代から知っていたある人物との出会いが一番の糧だと明かしてくれた。

 「その方には大学、社会人と進んでいないと出会っていないんで。その方には技術的なことだけでなく、人間的にも精神的にも多くのことを教わりました。まあ、仮に高校から直接プロに入っても他の出会いがあったかもしれませんが。そういう意味もあって、今の僕には、これまでたどって来た道が最高のシナリオなんです。

 それにNTT東日本では、本当に皆さんに応援していただいたので。飯塚監督の方針もあって、あのチームはみんな、所属部署の飲み会なんかには積極的に参加するんですよ。だからもちろん試合結果は気になりますよ。ぜひ今年も頑張ってほしいですね。今度は僕が応援する番です」

 NTT東日本の初戦は18日の2回戦。京都市代表の日本新薬と対戦する。

(写真は筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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