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「松井秀喜5敬遠男」、大学野球指導者に。日本球界はそろそろ組織・制度の一本化を考えてはどうか。

阿佐智ベースボールジャーナリスト
「あの夏」から27年。河野和洋氏は、大学野球指導者としてフィールドに戻ってくる(写真:岡沢克郎/アフロ)

伝説を作った男の大学球界復帰

 先日、河野和洋氏が帝京平成大学野球部コーチに就任したことが発表された。と言っても、多くの野球ファンには、それがなぜニュースになるのかピンと来ないだろう。彼の名だけを聞いて反応できるのはよほどの高校野球通である。彼の名を半ば「伝説」たらしめているのは、1992年夏の全国高校野球選手権大会での「5打席連続敬遠」である。あの夏、彼は甲子園の舞台で、大会ナンバーワンスラッガー・松井秀喜と一度も勝負することをせず、チームに勝ちをもたらした。彼と彼の所属する明徳義塾高校は日本国中を敵に回したかのようなバッシングを受け、高校野球のありかたにまで議論が及んだ。

 そのため、先日の報道にも彼に対する枕詞として件の「事件」が冠せられていた。

 彼は、高校卒業後、専修大学に進み、ここで野手として、松井と同じくヤンキースで活躍することになる黒田博樹とともにプレーすることになる。大学卒業後も社会人野球のヤマハでプレーを継続するが、新陳代謝を図る会社の方針に反して、2004年、退社し、単身渡米、独立リーグで2シーズンプレーした。帰国後は、母校の臨時コーチや大学の職員として働きながら野球部を指導するなど、指導者への道を模索する一方、3年前までクラブチームでもプレーを継続していた。このクラブチーム時代に私は彼を取材したが、バッティング練習中の彼の打球に驚かされたのを覚えている。

アメリカ独立リーグでのプレー経験ゆえに喪失する「学生野球資格」

社会人クラブチーム時代の河野氏。今より少しふっくらした印象だった(写真提供・河野和洋氏)
社会人クラブチーム時代の河野氏。今より少しふっくらした印象だった(写真提供・河野和洋氏)

 その彼がようやく正式に大学野球の指導者になることができた。「ようやく」というのは、彼が一度内定していた大学指導者の話を棒に振った経験をもっているからだ。

 彼と最後に話したのは3年前のちょうど今時期だった。近況を尋ねると、アルバイトで糊口をしのいでいると言う。当時彼はもう40歳を超え、妻子持ちでもあった。大学職員の職はどうしたのかと聞くと、辞めたらしい。大学の指導者の職を得たので、職を辞したところ、採用直前に反故にされたらしく、彼は途方に暮れていた。

 それ以前にも彼の元には高校の指導者の話もあったが、アメリカでの独立リーグでの経験がネックになってこれを断っている。その後、彼は大学で指導をしていたが、正式な指導者登録をしないままの指導で、そのことでとくに問題が起こらなかったため、本人は、高校野球は不可だが、大学野球は可という認識であったようだった。そのため大学からのオファーを受けたのだが、就任直前になって、念のためアメリカ独立リーグでのプレーについて大学側に告げたところ、大学連盟から待ったがかかり、採用じたいも取り消されたらしい。

 周知のとおり、現在、野球界ではプロ経験者が学生野球の指導者になるには、学生野球資格回復研修を受ける必要がある。つまりは、いったんプロの世界に足を踏み入れた人間は、学生野球にかかわる「資格」を失うということだ。

 この日本独特と言っていいプロアマ間の断絶は、1961年にプロ側が社会人実業団から選手を強引に引き抜いたことに端を発し、以後、プロまたは元プロは、自分の子供の高校球児にさえアドバイスできないという摩訶不思議な状態が日本球界にもたらされた。

 プロという最高の舞台に立った人間が、競技人口の裾野を形成するアマチュアのシニアレベルに指導できないという明らかな矛盾に、メスが入ったのは、ようやく1980年代になってからのことである。10年の教職経験と適性試験を条件に、プロ経験者が学生野球の指導者になることができる道が開けた。その後、必要な教職経験の年限は順次短縮され、2013年になって、現在の研修制度が発足し、教職経験なしでもプロ経験者が学生を指導できるようになった。

 ただこれも、制度発足当初の「プロ」の定義は、日本のプロ野球、NPBのみ。国内の独立リーグや国外のプロリーグについては、研修の制度の対象に含まれなかった。しかし、彼らは、一方ではプロ契約を結んだ時点で「学生野球資格」は喪失している扱いとなり、つまりは、NPB以外のプロリーグでのプレー経験を持っている者は、資格回復の道を絶たれていた状態であった。河野氏の一度目の大学指導者就任話があったのはこの時期である。「プロでやっていたのなら、一度検討するからその証明を出せ」と言われたものの、かつて在籍していた3つのリーグは当時すでに消滅してしまっていて、どうすることもできないと当時、彼は電話口で嘆いていた。

 2015年になって、社団法人・日本独立リーグ野球機構加盟のリーグ(四国アイランドリーグplus、ルートインBCリーグ)でプレーした選手にも研修の受講資格が与えられた。これは、現在は国外のプロリーグにも適用され、それゆえに、河野氏も昨年末にこれを受講、資格を回復し、ようやく大学球界に正式復帰できたのだ。

複雑なプロアマの関係解消を

 とにかく日本のプロアマ規定は複雑である。アマチュアと言っても、社会人野球と学生野球では、元プロの扱いが異なる。学生野球はプロ経験者をプレーヤーとして受け付けることはない上、指導者としても、前述の研修制度を設けている。また、中学以下はとくに制限がない。一方、社会人野球の方は、指導者としての受け入れは問題なく、選手としては原則1チーム3人までの元プロの参加を認めている。それも、ここで「プロ」とされるのは、国内のプロリーグ(NPB、独立リーグ)で、国外のリーグは含まれない。国外の独立プロリーグでの経験のある選手などは現在多数社会人クラブチームでプレーしている。そもそも、プロアマの境界のあいまいな国外のリーグでは、無報酬でプレーする選手も少なからずおり、これを「元プロ」としてアマチュア球界から締め出すには無理があるだろう。

 日本のトッププロリーグ、NPBは、競技的にも、興行的にも、世界有数のレベルを誇る。しかし、スポーツの世界にも多様化の波が訪れ、野球人口が減少していく中、競技者の受け入れ態勢を整備することは必須の課題である。トップレベルや国外での競技経験者のスキルや経験を次世代に伝えていくことにプラス面はあってもマイナス面はないだろう。そろそろ日本球界は、複数ある諸団体を本格的に統括する組織を作る必要があるのではないだろうか。そういう意味では、一度指導者への道を絶たれた河野氏が現場復帰できる道が開かれ、現実に指導者としてフィールドに戻ってこれたことは、将来的な「野球オールジャパン」体制が生まれる萌芽なのかもしれない。

 「松井敬遠男」の現場復帰が、野球の明るい未来を導いてくれることを心から願う。

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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