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東京オリンピックという遥かなる夢に進む東アフリカ・ウガンダ野球

阿佐智ベースボールジャーナリスト
東京オリンピックを目指すウガンダ代表選手たち(田中勝久氏提供)

 このあいだまではずいぶん先のことだと思っていたが、建設中の新国立競技場がその姿を現したというニュースに触れると、もう2年後の夏にはオリンピックが東京で開かれることにあらためて気づかされる。すでにアスリートたちはここに標準をおいてトレーニングに励んでいるだろうし、各競技団体も限られた出場枠にアスリートを送り込むべく強化策を練っていることだろう。

「不毛の大陸」に蒔かれたベースボールの種

「野球不毛の地」、ウガンダでも日本人により野球普及活動が行われている(写真提供田中勝久氏)
「野球不毛の地」、ウガンダでも日本人により野球普及活動が行われている(写真提供田中勝久氏)

 ウガンダという国の名を聞いて、それがどこにあるのか言い当てることのできる人は多くはないだろう。そもそもそれが国名だとわかる人も少ないかもしれない。東アフリカに位置するこの小国は今、オリンピックの野球競技に参加すべく、代表チームの強化を目論んでいる。

 しかし、野球の世界で、この国の名を聞くことなどほとんどない。そもそもアフリカと野球を結びつけることができる人も少ないだろう。WBCなどの国際大会で南アフリカ共和国の名を見ることはあっても、競技成績で目に留まることなどまずない。アフリカはまさに「野球不毛の大陸」と言ってよく、ナショナルチームでせいぜい日本の実業団レベルと言われている南アフリカがその実力で他を圧倒し、他国では、先進国による開発援助の一環のレクリエーション普及として野球が行われている程度である。

 「開発援助」と言うと、産業の発展やインフラの整備、食料・医療援助が連想されるが、近年、「心の栄養」と称して、レクリエーション、スポーツの普及もこの範疇に入れられるようになってきている。人はどんな貧困下に置かれようとも、娯楽を楽しむべき存在であるとの考え方がその活動を後押ししている。日本においては、JICA(国際協力機構)の青年海外協力隊が、その活動の一部としてスポーツの普及活動を世界各地で行っており、その中には、半ば日本の「国技」となった野球を広めようと活動している「野球隊員」もいる。ウガンダでの活動も、この一環として2004年に始まった。それ以前には、野球が行われたという記録はないので、この日本の青年海外協力隊による普及活動がウガンダの「野球事始」ということになる。

日本の独立リーグでプレーしたウガンダ人選手も

2013年から3シーズン、ベースボールファーストリーグでプレーしたワフラ・ポール選手(筆者撮影)
2013年から3シーズン、ベースボールファーストリーグでプレーしたワフラ・ポール選手(筆者撮影)

 アフリカ全体を見渡せば、ウガンダ以前にも、JICAの関係者や青年海外協力隊によって普及活動が行われた国がある。活動に携わった人々は、その任期を終え、日本に帰国後もNGOや任意団体を立ち上げ、野球普及活動を続けている。そのような団体のひとつ、NPOアフリカ野球友の会も、JICAによるウガンダでの普及活動に協力し、活動の開始された2004年には早くも、「ウガンダ野球招待プロジェクト」が実施され、15人の選手・コーチが来日し、日本の野球に触れた。この時来日したメンバーのひとり、ワフラ・ポールは2013年、再び来日し、関西独立リーグの兵庫ブルーサンダーズに入団している。この球団(現在はベースボール・ファースト・リーグ所属)は、この後もウガンダ人選手を受け入れ、これまでポールを含め2人の選手がプレーした。

 また、2008年には、ウガンダの学生チームが来日、北海道日本ハムファイターズのジュニアチームと対戦し、引き分けるなど、意外にも野球を通じた日本とウガンダの交流は、行われている。

ウガンダ野球の現状

普及活動が行われているものの、まだまだウガンダでの野球普及は進んでいないのが現実だ(写真提供田中勝久氏)
普及活動が行われているものの、まだまだウガンダでの野球普及は進んでいないのが現実だ(写真提供田中勝久氏)

 ウガンダでは、現在、日本とアメリカによって野球普及活動がなされている。

 日本側は青年海外協力隊が主要アクターとなって、「野球・ソフトボール隊員」9人が、まずは比較的少人数でもできる三角ベース(二塁のないルール)から各地で普及に当たっている。また、10人以上いる「体育隊員」も学校体育の枠内で野球を取り入れ、ウガンダ野球の草の根を担っている。アメリカ側は、日本の活動に加えて、2012年からは、アメリカもリトルリーグレベルでの普及に参入、メジャーリーガーが来訪したり、首都カンパラ郊外に野球専用球場を建設するなどしている。そして、2014年1月には、日本の「草の根文化無償資金」によってアフリカ初の国際規格の本格的球場が完成した。

 このような草の根普及活動の中から、選手が選抜され、各々20人ほどの選手から成る9クラブによって2012年から国内リーグ戦が行われている。この各クラブのコーチは、また学校でも指導に当たっており、本格的に野球をプレーしているウガンダ人は現在300人程にのぼる。また、学校では定期的に野球競技がレクリエーションとして実施され、そこで野球をかじったものも含めれば、2万人以上のウガンダ人が野球経験をもっていると言われている。

  

東京オリンピックという遥か遠き夢に向けて

東京オリンピックへの道のりは遠いが、ウガンダ野球はその夢に向かって邁進している(写真提供田中勝久氏)
東京オリンピックへの道のりは遠いが、ウガンダ野球はその夢に向かって邁進している(写真提供田中勝久氏)

 アフリカ勢がオリンピックに初参加したのは、日本が初めてプロ選手を派遣した2000年シドニー大会から。この時は、参加8チーム中最下位に終わったが、オランダ相手に五輪初勝利を挙げている。しかし、この大会以降、アフリカ勢はオリンピックの舞台に立っていない。出場国枠の関係上、ヨーロッパ勢との椅子取り争いになり、オランダ、イタリアの欧州2強の壁を打ち破れないでいるのだ。

 ウガンダは2008年北京大会の予選に初出場したが、大陸の強豪南アフリカの壁を崩すことはできなかった。それでも、2011年にはウガンダ野球ソフトボール協会が立ち上がり、国内の体制も整い、同年からU12のリトルリーグ・アフリカ・ヨーロッパ大会で連覇を飾り、初出場した2012年のU12リトルリーグ世界大会では、アメリカから大金星を挙げるなど、年少者の強化は年々進んでいる。この世代の選手は、2014年のU18アフリカ野球大会で準優勝、2016年の東アフリカ野球大会で優勝するなど、ウガンダを南アフリカに次ぐ、アフリカ第2の強豪にのし上げた。

 それでも、ウガンダ野球はまだまだ発展途上だ。しかし、グローバル化の進む現在、アフリカ人選手の運動能力の高さはあらゆるスポーツから注目され、サッカー、陸上、バスケットボールなどの競技では、アフリカ生まれの選手が各国からスカウトされていることは、周知のことだろう。この現象には、様々な批判もあるものの、現実にはアスリートにとってもスポーツがアフリカに蔓延する貧困という病から抜け出す有効なツールになっていることは間違いない。そういう背景から、先進国のアクターによるスポーツ普及活動も年々拡大している。ウガンダへの野球普及活動もそういう流れの一環としてとらえていい。

 元「野球隊員」で現在ウガンダナショナルチームの監督を務めている田中勝久さんは、JICAとアフリカ野球友の会の協力の下、日本による10数年に及ぶ野球普及活動のひとつの総括として、ウガンダ代表チームを東京オリンピックに送り出そうというプロジェクトを進行させている。しかし、それが茨の道であることは言うまでもない。東京オリンピックの出場国枠はわずか6。すでに開催国の日本が1枠を確保しているので、残り5枠を世界の強豪が争うことになる。まずは来年11月のプレミア12で南北アメリカとアジア・オセアニアの最上位それぞれ1か国の2枠が埋まり、残り3枠のうち、ウガンダは、ヨーロッパ・アフリカに与えられた1枠を取りに行くことになる。このヨーロッパ・アフリカ両大陸予選の出場枠はヨーロッパの5に対し、アフリカはわずか1。これに出場するには、2019年に実施されるアフリカ野球選手権に優勝するほかない。これに出場さえすれば、仮に負けても、最終枠を争う大陸間予選でのチャンスをつかむことができる。

 この遥かなる道のりを進むべく、田中監督は、この秋日本への遠征を計画しているという。野球先進国・日本で経験を積めば、ウガンダ人選手の高いポテンシャルがさらに磨かれると考えてのことだ。しかし、問題は資金面。ウガンダは決して豊かな国ではない。ましてやまだまだマイナースポーツの野球になかなかカネは流れてこない。そこで、田中監督はクラウドファンディングで資金を調達し、ウガンダナショナルチームの日本での武者修行を行おうと現在、奔走している。   

 東京オリンピックまでの遠い遠い道のりに向けて、ウガンダは歩みを止めることなく進もうとしている。

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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