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球団と市民、ファンが一緒になって作り上げたボールパーク:楽天生命パーク宮城

阿佐智ベースボールジャーナリスト
まさに「ボールパーク」の語がふさわしい仙台の楽天生命パーク

 先月、「ボールパーク」という視点から、神戸のほっともっとフィールド神戸を論じた記事を公開して、大きな反響を得た(『開場30周年を迎えた「元祖・ボールパーク」、ほっともっとフィールド神戸』/ https://news.yahoo.co.jp/byline/asasatoshi/20180425-00084073/)。

 ここで私は、本来野球場の異称である「ボールパーク」の語が、日本では特別な意味をもっているとしたが、日本で想起されている「ボールパーク」の要素のひとつとして、不均等なスタンドを挙げた。アメリカプロ野球草創期には、まだ鉄道網が発達しておらず、それゆえ、野球場は市街地にあったのだが、用地確保の困難さから、フィールドおよびスタンドが不整形にならずをえなかった。その名残をとどめるボストンのフェンウェイパークは、今やメジャーでも1、2を争うチケット入手困難なスタジアムになっている。それにあやかってか、1990年代以降に建てられたアメリカのいわゆる、「ネオ・クラシック」様式のボールパークは、野球の原風景とも言える不整形なフィールドやスタンドをもつようになったのだ。

 競技の公正性を保つためには、本来フィールドは左右均等であってしかるべきなのだが、アメリカ人は偶発性を好む。2007年にサンフランシスコで行われたMLBオールスター戦でイチローが放ったライトフェンス直撃の打球がランニングホームランになったのは、あの球場の外野フェンスがいびつな形をしていたゆえのことである。万事きちっとした日本では、不整形の球場は少なかったが、広島のマツダスタジアムのようにアメリカのボールパークをまねて、シンメトリーにとらわれない「ボールパーク」が近年増えている。

 その意味では、東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地、楽天生命パーク宮城も日本型ボールパークのひとつと言えるだろう。但し、このスタジアムは、あらかじめ「ボールパーク」を目指して建設されたものではなく、楽天野球団の創立以降、既存のスタジアムを徐々に拡張していった結果できた「ボールパーク」なのである。

「ジプシー・ロッテ」の「仮住まい」から、新生球団の本拠地へ

 このスタジアムの歴史は、1950年完成の宮城球場に遡る。実は、12球団の本拠地の中でも、甲子園、神宮に次ぐ3番目に古い球場なのである。完成当初は一地方球場であったが、1973年に、前年に本拠、東京スタジアムを失ったロッテ・オリオンズが本拠地球場として使用することになった。しかし、地元の期待とは裏腹に、ロッテ球団はここをあくまで次の本拠地が見つかるまでの暫定的な本拠としか見なさず、球団事務所は東京のまま、選手も首都圏に在住のままと、主催試合の半分ほどを消化するにとどまった。結局のところ、宮城球場は、本当のホームになることはなかった。そのことが端的に表れたのは、1974年のことである。ロッテ球団として初めて日本一に輝いたこの年の日本シリーズは、仙台で行われることはなく、日本一のパレードも、親会社の本社がある東京で行われたのみだった。この球団の姿勢に地元ファンは失望、仙台「移転」後、パ・リーグトップの観客動員は翌年から2位に転落、最後は、けんか別れのようなかたちでロッテは仙台から川崎へ「再移転」していった。

 それでもロッテは、移転先の川崎球場が、大洋(現横浜DeNA)の「お古」だったこともあり観客動員に苦しんだせいか、「古女房」の仙台で年間10試合ほどの地方ゲームを組むなど、準フランチャイズと言っていい扱いをした。しかし、これも、千葉移転以後は、激減していき、2004年を最後にロッテの主催ゲームは宮城球場では行われなくなる。

かつての「仙台宮城球場」時代は一地方球場に過ぎなかった(1988年)
かつての「仙台宮城球場」時代は一地方球場に過ぎなかった(1988年)

 

 それもそのはずで、この年に起こった「球界再編騒動」を受けて、オリックス、近鉄の合併により空いたパ・リーグの1枠に、名乗りを挙げたライブドア、楽天がともに、新しい本拠として仙台を指名したのだ。この結果、加盟を認められた楽天は、宮城球場をプロ野球のホームスタジアムにふさわしいものとすべく、2016年までの12年の歳月をかけて、収容3万人を超えるボールパークへと改修していったのである。

チームとともに成長したボールパーク

 完成当初の宮城球場の収容人数は2万8000人ということだったが、当時の球場の多くは、狭いスタンドに無理やり観客を詰めていたり、プロ野球の観衆発表も目分量で水増しされているのが常であった。球団再編騒動の結果、観客動員は実人数を発表するようになったこともあり、2005年の楽天野球団発足当初に発表された、新生「フルキャストスタジアム宮城」(以後現在に至るまでスタジアムの通称は、ネーミングライツにより5度変わる)の収容人数は2万人。プロ野球の本拠地球場の規定である3万人には程遠いものであった。

 球団発足後、この収容3万人以下のスタジアムでは通常開催しないオールスター戦が2度、日本シリーズが1度(4試合)行われている。そのようなビッグゲームの度、拡張計画が議論の俎上に上ったが、そもそも宮城野公園内にあるという立地、人口100万人という日本のプロ野球のフランチャイズとしては比較的小規模なマーケットということもあり、楽天野球団は、急速なスタンドの拡張には慎重な姿勢を崩さなかった。

 それでも、地元自治体の協力やファンの支持は、文字通り宮城球場を大きくしていった。スタジアムを保有する宮城県は、法の規定内に球場が収まるように、事務調整を実施、また、楽天野球団をスタジアムの指定管理者にすることで、物販売り上げが球団に入るようにした。そして、なんと言っても熱心なファンが札止めを常態化し、そのことで球団も、スタンドの増築という経営判断に踏み切りやすくなった。

 そして2016年、「楽天Koboスタジアム宮城」は、収容3万というプロ野球の本拠地の基準を満たすスタジアムとして開幕を迎えた。度重なる改修、増築の結果、スタンドは左右非対称のものとなったが、そのことがかえってアメリカのボールパークを彷彿とさせるフォルムとなって来場者を楽しませている。

増築を重ね「ボールパーク」へと変貌を遂げた
増築を重ね「ボールパーク」へと変貌を遂げた

スタンドからはみ出たボールパーク

 このスタジアムの「3万人超え」を実現させたのは、2014年に設けた収容1500人の左中間スタンド、「楽天山観覧席」を取り壊し、その跡のスペースに敷地外につながる「楽天山パーク」を新設したことによる。現在では、このスタジアムの名物にもなっている観覧車を含むこのスペースは、ネーミングライツにより「スマイルグリコパーク」と呼ばれている。この遊園地のような公園には、このスペース専用のチケットで入場でき、試合を見ながら遊ぶことができる。なかでも先述の観覧車から望むスタジアムの風景は、日本中の野球場でここでしか見ることのできないものだ。

そのまま場外につながるスペースを作ることにより、収容人員を増やした
そのまま場外につながるスペースを作ることにより、収容人員を増やした

 但し、スタンドだけでなく、周囲の敷地をボールパークの内部として取り込むことは、本場のボールパークから取り込んだアイデアである。メジャーリーグではサンディエゴのペトコパークの外野スタンド後方にあるものが有名だが、マイナーリーグではスタジアム周囲の緑地全体を行き来自由とし、野球のゲームを観るだけにとどまらない休日を1日過ごせる空間を作り出している。

 その点では、このスタジアムは、見本となったペトコパーク以上に、スタジアムの立地する公園全体を「ボールパーク」とみなして、スタンドに入れない人々でも楽しめる空間づくりをしている。

スマイルグリコパークには二階建てバスがあり、ここからも観戦できる
スマイルグリコパークには二階建てバスがあり、ここからも観戦できる

お祭り空間としてのボールパーク

 楽天生命パーク宮城は、レフト側スタンド後方の外野芝生自由席の裏にある、スマイルグリコパークによって、公園の敷地とスタンドが緩やかにつながっている。観戦チケットを持っていると、ここを通っていつの間にか、スタンドからそれを取り囲む宮城野公園に出てしまうような気になる。

 それもそのはず、スタンドから周囲の公園にかけて、飲食やグッズなどの様々な店舗が並んでおり、それらを目で楽しみながら歩いていれば、スタンドの外に出るという演出がなされているのだ。

増設部分の一番高いところにある空中ブランコ。今や単なる野球場にとどまらない一種のテーマパークだ
増設部分の一番高いところにある空中ブランコ。今や単なる野球場にとどまらない一種のテーマパークだ

 「東北」を球団名に冠していることもあり、楽天球団は、東北各地の物産を使ったフードの出店に力を入れている。球団発足後に増築したメインスタンド前の正面広場には、多くのグッズを扱うチームショップが建ち、そのほかにも様々なイベントが行われるステージや、仮設店舗での飲食提供が行われている。テーブルを並べた食事スペースもあり、試合前はもちろん、試合中でさえ、沢山の人々がチームショップの壁面にしつらえられた大型テレビから流れる試合中継を見ながら、東北各地の物産でつくられたフードに舌鼓を打っている。

グルメスポットしても十分楽しめる
グルメスポットしても十分楽しめる

 

 その中の何人かに話を聞くと、ある人は急にチケットが手に入った家族をスタジアムまで送ってきたついでにフードを楽しんでいると言い、またある人は、せっかく仙台まで来たので、ゲームのチケットはないが、ここまで足を延ばして雰囲気を味わっているという返答をくれた。

 私は、楽天イーグルスの地方ゲームも観戦したことがあるが、そこでも球場前の飲食店舗の数に圧倒されたことを覚えている。ホームスタジアムのそれは地方球場をさらに上回り、楽天生命パーク宮城の位置する宮城野原公園全体が、試合開催時には様々な店舗が並ぶお祭り空間と化している。ここでは、野球観戦をしない人でも、お祭り気分を味わえるのである。これも集客力があればこそのことではあるのだが、ファンが集まることによって球団も次々と様々な仕掛けを行うことができるという正の相乗効果が、何の変哲もない地方球場を、メジャーリーグのそれに比べてもひけを決して取ることのない、「ボールパーク」へと変えていったのである。

今や仙台の観光名所

今や仙台の名所となった楽天生命パーク宮城
今や仙台の名所となった楽天生命パーク宮城

 このスタジアムの周囲を一周すると、外野に旧球場のスタンドの土台が残っているなど、改築の跡がところどころ目に付く。メインスタンド内の施設も、新造された他の球場に比べて、「古さ」を感じるところも少なくない。しかし、これらも東北楽天ゴールデンイーグルスと仙台市民が、「宮城球場」を「楽天生命パーク宮城」へと変えていった歴史を伝える証人である。このような例は本場アメリカにもないだろう。このスタジアムの良さは、一度訪ねただけではなかなかわからないのではないだろうか。少しずつ作り上げたボールパークは、何度も足を運び、様々な席から観戦することでわかってくるものなのだろう。今やこのボールパークは、青葉城と並ぶ、仙台を旅した者にとってのマストプレイスである。

(写真は全て筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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