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榎田大樹が新しい「職場」でつかんだ先発という「椅子」

阿佐智ベースボールジャーナリスト
阪神から西武に移籍した榎田大樹投手(筆者撮影)

 西武の榎田大樹が、昨夜先発し、今季初勝利を挙げた。6イニングを投げ、5安打4四球という決して上出来という内容ではなかったが、2失点ということで、いわゆるクオリティ・スタート。勝ち投手にふさわしいピッチングだったと言っていい。

 

 先ほど「西武の榎田」と書いたが、多くの野球ファンにはまだピンと来ないだろう。彼は、福岡大学から東京ガスを経て、2010年の秋のドラフトで阪神に1位指名され、昨年まで7シーズンを阪神タイガースで過ごしていたのだから。ドラ1の名に違わず、彼は1年目からセットアッパーとして活躍、33ホールドを記録して、オールスターの舞台にも立った。

 彼に話を聞いたのは、昨年の秋のことだった。野球のエリート街道を歩いてきたはずなのに、いい意味で、彼からは「プロ野球選手オーラ」を感じることはなかった。その風貌は、ごく普通の生真面目な若手サラリーマンと言った方がよかった。

 昨シーズン終盤、彼は「復活」に向けて着々と歩み始めていた。

 

 「復活」と書いたのは、彼の2年目以降の成績が芳しくなかったからである。ルーキーイヤーからステップアップすることなく、彼はその後の6シーズンを送った。しかし、それは伸び悩みというようなものではなく、大学時代にも痛めた肘の故障が原因だった。3年目、4年目には登板間隔のある先発への転向を模索したが、これも、その後そのポジションを続けていくほどの結果を残すことはできなかった。

「やっぱり故障が大きかったですね」

 

 榎田自身、もどかしいまま過ごした数シーズンの要因については自覚していた。逆に言えば、故障さえ癒えれば十分にやっていく自信はあるということである。自身としては、一昨年くらいから手ごたえを感じていたという。しかし、昨シーズンはなかなかチャンスは回ってこなかった。新戦力が毎年入ってくるプロという場においては、一旦手放した椅子を取り戻すのはなかなか難しい。タイガースの首脳陣の目は、30歳を超えた榎田よりも、若くて伸びしろのある投手に向いていた。

 榎田と話をしていて、感心させられたのは、すべてを客観視できる落ち着きぶりである。一見、エリート街道を歩んできたようにみえる自らの経歴ですら、彼は冷静に見ている。

「元々プロに入れるなんて思ってもみませんでしたよ。高校(宮崎県小林西高)だって、甲子園に出たことはあっても1回きりで、他にもっと強い学校はありましたし。1年から試合には出させてもらってましたけど、むしろ他校の選手を見て、『ああいうのがプロに行くんだな』って思ってましたから。幸い、大学の時代の指導者の方のおかげで社会人にも進め、阪神から(ドラフト)指名も受けましたけど、これも運ですから。例えば、当時でなく、今のタイガースなら僕は指名されることはなかったと思います」

 元々は、大学で教員免許をとって、可能ならば社会人でプレーし、最終的には教員になろうと思っていたという榎田。実際、社会人野球を経験していたこともあって、彼はいい意味でのサラリーマン感覚をもっている。

 サラリーマンは決して「気楽な稼業」などではない。毎年のように新入社員という名の新戦力が入ってくるのは、プロ野球の世界と同じだ。そして、その仕事の大部分は、他人でも代替のきくものである。だからこそ、一度与えられたポジションを離れてしまうと、そのポジションはなかなか戻ってこない。世のサラリーマンたちも、椅子取りゲームの中、懸命に生き、女房子供を養っている。

 そのことを理解している彼だから、昨シーズン前半、なかなか一軍からお呼びがかからなくても腐ることはなかった。そして、ようやく一軍に上がった後は、「負けパターン」でのリリーフを淡々とこなした。結局、彼の昨シーズンの一軍での登板はたったの3試合。体の状態が上向きであることを自覚していただけに、内心焦りもあったはずだが、彼は自身の立場を俯瞰して見る力をもっていた。

「今(昨シーズン)のウチ(阪神)の投手陣をみると、僕の役割はリードされているときのリリーフでしょうから。その中で、うまくはいかなかったけど、1度だけでも勝ち試合で投げる機会があったことは貴重な経験でした。実際にマウンドに上がって得るものもありますから」

 阪神の投手陣は、12球団でも屈指の陣容である。とくにリリーフ陣は盤石と言っていい。そこに自身の居場所がないことも、榎田は自覚していた。トレード話は、昨年以前も耳に入っていた。それも仕方ないと彼は思っているようだった。

「阪神に入れてすごいっていう人がいますけど、僕にとっては、指名されたのがたまたま阪神というめぐりあわせで、野球をするのはどこでも一緒という感じです」

 よくプロ野球のトレードは、サラリーマンの配置転換と同じだというが、「サラリーマン」感覚をもつ榎田は、西武への「転勤」を受け入れ、そこで自分の居場所を見つけた。

「先発6番手」。先発陣に左腕がエースの菊池ひとりというチーム事情から、「転勤先」で榎田に与えられたのは、それまで慣れ親しんだリリーフという「椅子」ではなく、新たな「先発」という椅子だった。

 彼が新しい職場でつかんだその「椅子」の座り心地はどうなのか。次に顔を合わせたら、それを聞いてみたいと思う。

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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