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ニッポン野球を中米に!ニカラグアに女子野球の種を蒔く「野球隊員」の奮闘

阿佐智ベースボールジャーナリスト
ニカラグアに女子野球を普及させようと奮闘する「野球隊員」の阿部翔太さん

 ニカラグアの首都・マナグアのレネシスネロ地区。新市街の中心「メトロセントロ」から市バスで5分ほどのところだが、通りの家並みを見ると、決して豊かな地区ではないことがわかる。後で調べて分かったことだが、このあたりは犯罪多発地区らしい。1972年にあのロベルト・クレメンテの命を奪うことになった大地震が襲ったこの国は、1980年代の内戦のせいで復興が進まず、10年ほど前までこの国の首都は「バラックの都」とでも言った方がいいような荒廃ぶりを見せていた。とくにかつての町の中心、旧市街・セントロは、半ばスラムと化し、現在は都市機能は、3キロほど南のメトロセントロに移っている。その状況は、多少は改善されているが、周辺部はいまだ変わっていない。

 とは言え、昼間はとくに治安面での問題はなく、住民に尋ねながら目的地のニカラグアスポーツ研究所へたどり着いた。「研究所」と言っても、要は各スポーツの施設が集まったスポーツセンターだ。この国ではスポーツには手厚い保護が与えられている。下町に面しているのは裏口らしく、守衛に呼び止められ、パスポートチェックを受けたが、ある日本人の名を告げるとあっさり通してくれた。

マナグアのスポーツセンター内にある少年野球用スタジアム
マナグアのスポーツセンター内にある少年野球用スタジアム

「野球隊員」の挑戦

「チョータ」

 スペイン語には「sh」の発音がないらしい。阿部翔太(しょうた)さんはニカラグアではこう呼ばれている。大学まで野球をプレー、その後ブライダル業界に就職するも、一念発起、JICA(国際協力機構)の青年海外協力隊のボランティアとして野球普及の任を帯び、このニカラグアに降り立った。

 JICAは現地の要請に応え、医療、教育、建設など様々な分野のボランティアを援助の一環として派遣している。スポーツ普及もその一分野で、野球に携わる者は「野球隊員」と呼ばれている。

 彼らがまず最初にぶち当たるのが、「しつけ」の面だ。日本の体育系クラブの厳しいタテ関係で育った彼らにとって、挨拶や練習中の雑用などは当たり前。それに対し、途上国のノンビリムードで育った現地人は集合時間さえ守ろうとしない。

「そこから入ろうとして、みんな失敗するらしいんですよね」

 広大な施設の中央に位置する少年野球用のスタジアムで阿部さんはインタビューに応じてくれた。

「でも、やっぱり、礼儀や思いやりなんかも含めた『ニッポン野球』を伝えることに意義があると思うんです。例えば、ここの子供たちは、練習中グラウンドにボールやバットが転がっていても平気。自分より近い選手がいれば、拾いにも行きません。『近い人が行けばいいじゃん』って。でも、転がっていると危ない。側にいる人も気づいていないかもしれない。だから、そういうことを噛んで含めて伝えるようにしています。でも、やっぱり楽しくはプレーして欲しいので、ノビノビとしつけのバランスは難しいですね」

 赴任して1年、辛抱強い指導が実を結んでいるのか、練習の合間で、阿部さんが率先してボールを片付け始めると選手たちも一斉にそれに倣っていた。練習の終わりには、ボロボロのボールを数え、全部揃ったところで解散となった。

最後の1球まできちんとボールを集めることを指導する
最後の1球まできちんとボールを集めることを指導する

女子だってプレーしたい。男尊女卑を野球で打ち破れ

「なぜわざわざ女子野球?」

 というのが最初の感想だった。普及活動の様子が見たいという申し出を阿部さんは快諾、指定された球場に足を運んだが、実際にその場を見るまで、私はてっきり男子が練習しているものだと思っていた。

 「僕が始めたんです」と阿部さんは言う。ニカラグア野球連盟(FENIBA)のJICAへの野球隊員派遣要請も当初は男子チームの強化を想定したものだった。実際、阿部さんは昨年カナダで行われたU18ワールドカップにも帯同している。

 内戦が終わり4半世紀が経とうというこの国でも、やはり貧富差は拡大している。新市街のショッピングセンターは先進国のそれと変わらないが、そこから少し離れれば、いまだバラックの並ぶ風景が広がる。野球をやりたくてもクラブに入れない子どもも多い。そこで阿部さんは、財政的な事情から体育の授業が行われていない学校にもバットとボールを携え、飛び込みで普及活動を行っていた。そこで気づいたのがこの国の旧態依然とした男尊女卑の風潮だった。

 「やっぱり女の子がスポーツをすることに対する拒否感っていうのが、まだあるんですね。でも、実際行ってみると、野球ファンの女の子もたくさんいて、実際にプレーをしてみると楽しいって。じゃあ自分がやってみようって」

 なかば勝手に始めたものだが、阿部さんがマナグアでチームを作り始めると、「外国人に先を越されるな」とばかりに各地に女子クラブが誕生した。現在ニカラグア国内には9つの女子チームがあるという。1月末には、練習試合というかたちではあるが、初めてFENIBA主催によるゲームが行われ、6月からはリーグ戦も始まる予定である。ニカラグアの「女子野球事始」は確実にかたちになってきている。

 取材したのはクリスマス翌日。すでにバカンスに入っている者もいて、グラウンドには8人しかいなかった。正直レベルはまだまだ低い。小学生の遊びに毛が生えたようなものと言っては失礼だが、それまで、本格的にプレーしたことがないのでそれも仕方がない。それでも使うのは硬球。もちろん新品などは使えず、ボロボロのものを大事に使っている。ティーバッティングに使うボールには軟球も混じっているので、初心者が多いので軟球(現地ではメーカーの名をとって「ケンコーボール」と呼ばれている)でプレーした方がいいのではないかと聞くと、それは彼女たちのプライドが許さないのだと阿部さんは笑う。目指すは2020年に行われるワールドカップ。この高い目標にたどり着くためには、硬球で本格的にというのが、チームの方針でもある。

 初心者が多い中、ソフトボール経験者も何人かいて、バッティング練習では鋭い打球を放っている。そのバッティング練習だが、やはり選手にピッチャーをさせるとストライクがなかなか入らないので、基本、阿部さんがマウンドに立っている。

 参加しているのはやはり、比較的豊かな層の少女が中心だ。学生は全員きちんと学校にも通っていて、放課後のクラブ活動のような感覚でプレーしている。中には、子持ちの主婦や働いている者もいるが、勤務は週2,3回で生活は楽ではない。

 前述のとおり周囲はあまり豊かな地区ではないので、少女たちの多くは車などで家族に送り迎えしてもらっている。この日も、ひとりの選手の叔父がスタンドで昼寝をしながら練習の終わりを待っていた。

練習の様子
練習の様子

やっぱり女子だもの

 練習は、2時間ほど。昼前には終わった。

「これから、今年の打ち上げをするんです」

と阿部さんが言うので、顔を出していいかと尋ねると、快諾してくれた。練習後の保護者、家族なども参加した軽い昼食会を思い描いていたが、夕方、町の北外れにあるマナグア湖を望むレストランで行われるとのことだった。

 町をぶらついた後、時間に合わせて指定されたレストランに向かった。途中、バラックの並ぶ地区を通ったが、そのレストランの位置する地区の手前で道路が途切れていた。遠回りを余儀なくされたどり着くと、そこは、先ほどのバラック街とはまるで別世界だった。新たに開発された湖畔のウォーターフロントは、一種のテーマパークと化し、電飾きらびやかなバーやレストランが並んでいた。

 指定された場所は、ロックミュージックが大音響を響かせるバーレストランだった。遠回りしたせいで少々遅れたが、席には阿部さんと2,3人しかいなかった。

「いつもこんな感じですよ」と阿部さんは苦笑いで出迎えてくれた。

 いつの間にか練習を上回る人数が集まっていた。皆、練習の時とは違い精一杯のおめかしをしている。一同揃ったところで乾杯。未成年もいるせいか、アルコールを飲まない者もいる。まだまだ色気より食い気で、運ばれてきた料理のプレートには次々と手を付けるが、ドリンクの追加をする者は少ない。やはりアスリート、飲みすぎには注意しているのかと思ったが、そうではなく、彼女たちの楽しみは、生バンド前のスペースでのダンスにあった。ほとんど席には着くことなく、女子たちはラテン音楽に合わせて踊り続けている。そのうち阿部さんが引っ張っていかれ、私はテーブルで荷物の見張り役を任された。

 あまり飲まないのにはもうひとつ理由がある。国民1人あたりのGDPが2200ドル(25万円弱)というこのニカラグアにあって、このレストラン街は富裕層が集まるあこがれのスポット。ドリンクの値段も下町とは段違いだ。彼女たちにとって、そうそうドリンクの注文などできるものではない。この日、集まった中には、過去に何度かここに来たことがあるという者もいるが、初めてという者も多い。野球チームにでも入らなければ、こんなところには縁がなかったという者もいるだろう。それぞれにそれなりの事情を抱えて日々をなんとか送っている彼女たちにとって、野球は、夢中になることのできる数少ないものなのかもしれない。

「まあ、みんな僕の財布をあてにしているんですけどね。でも、かわいい教え子ですよ」

 ダンスのせいですっかり酔いの回った阿部さんが笑う。協力隊の「生活費」として支給されるのは月400ドル。その中から、100ドルを出して阿部さんは、ラクエンタ(勘定書)の上に置いた。

グラウンドとは別人のようなニカラグアの野球女子たち
グラウンドとは別人のようなニカラグアの野球女子たち

 ワールドカップが行われるようになり、日本でも全国大会が始まるなど、ここ近年、注目され始めている女子野球だが、ラテンアメリカでも着実に発展してきている。3月にドミニカで行われる中米大会にも、阿部さんも足を運ぶ。女子野球の世界的発展、スポーツを通じた女性への機会均等を実現したいという高い志をもつ「野球隊員」の奮闘は今も続いている。

(写真はすべて筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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