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「世界で一番速く走る」というチャレンジ、高橋尚子に学ぶ「後悔をしない生き方」

浅野祐介OneNews編集長

2000年のシドニーオリンピックの金メダリストで、同年、日本の女子スポーツ界で初の国民栄誉賞を受賞した高橋尚子さん。現役引退後もさまざまな挑戦を続けている彼女に「チャレンジ」「東京五輪」「2017年の抱負」をテーマに話を聞いた。

高橋尚子が語るマイブームとは?

――高橋さんのこれまでのキャリアの中で、最大のチャレンジを教えてください? シドニー五輪金メダル、世界新記録など、数々の偉業を成し遂げていますが、一番大きなチャレンジだったと考えているものは?

どれかひとつ、というのは難しくて、一回一回、毎日がチャレンジというイメージです。オリンピックがあったり、世界記録を目指したり、そのときそのときで、常に大きなチャレンジをしてきたのかなと思います。それまでしたことのないことを練習でも取り入れて、開拓をして、新たな世界を開く。言い方はよくないですけど、自分の体を、ある意味、“人体実験”のように、いろんなことをして、『人間の能力はどこまで広げられるのか』を追求する。化学や医学ではまだはっきりとわからないこと、例えば『人間は42キロをどこまで速く走れるか』ということも、一つの能力の開拓だと思いますし、秘められた力をどれだけ出せるかに挑む、それが一番大きなチャレンジだったかなと思います。

それから、新しい道を開拓するということが非常に大きかったかなと思います。走りの中での開拓もそうですし、小出(義雄)監督のもとを離れて自分で『チームQ』を作って、自分たちの足で歩いていくといったことも新しい試みですし、常に何かにチャレンジしていると思います。

――チャレンジがプレッシャーになることはないですか? もしプレッシャーがあるとすれば、それを乗り越えるコツは?

世界記録やオリンピックのメダルは、公言したことで、みんなに見られている形になるので、目指すと言った以上は達成しなればいけない、という責任は強くもっていました。それがプレッシャーかと言われればそうかもしれないですけど、ある意味『結果にとらわれない』というか、『最終的な目標の場所』を普段の生活ではあまり考えていなかったというのも事実です。目標を達成する一番の近道は、今日、今、何をするか、何ができるのか、一日という限られた時間の中で最高の力をすべて注ぎ込むことができるのかということ。今を積み重ねることが一番の近道だと私は思っています。現役時代も、後悔なくやり切ったと思える一日を過ごすことを一番大切にしてきました。もうこれ以上走れないとか、これ以上やれないくらいやりきったと思う日、スタッフのみんなで『よく頑張ったね』と抱き合って終われるような日を積み重ねていくと、本番のスタートラインに立ったときに後悔することがゼロになるんです。その結果が優勝であれば、もちろんうれしい。でも、2位とか3位とか、負けてしまっても、素直に『自分よりももっと頑張ってきた選手なんだな』と勝った人を素直にたたえられること、それがスポーツマンシップなのかなと思うんです。国籍や人種が違っていても、同じ思いでその大会まで向かってきた選手は、最も魂の近い相手であり、仲間だと思います。そう感じることができるよう、私は日々の瞬間、瞬間をすごく大切にしていました。

現役を引退し、今は“走ること”が本業ではなくなっていますが、今の新しい仕事と向き合う中でも、選手だったときの姿を“自分の師”として思い出しながらやっています。現役時代は80パーセントとか90パーセントとか、納得した毎日を過ごせましたが、今は、たとえばテレビの仕事でも『今日は20パーセントだったな』とか落ち込むことも多いんです(苦笑)。でも、始めからトップなれる選手はいないわけで、必ず誰もが”トップでない時期”を経験して上に上がっていくものだと思っています。なので、自分はまだその”時期”なんだ、一日一日を大切にあの頃と同じようにやっていけば、必ず一歩ずつ上がっていける。まるで、現役のときの自分に教えられているような感じです。

――高橋さんがこれからのチャレンジとして考えていることは? スポーツキャスターや解説、またランナーズインフォメーション研究所、ランナーの育成や途上国の支援活動にも取り組まれていますね。

現役時代の私は、食べて寝て走る、という“井の中の蛙”状態でした(笑)。一日の生活は、携帯を見ない、パソコンも見ない、テレビも見ない、コンビニにも行かないといった感じで、とても閉鎖的で、常に陸上と向き合っている状況でした。当時の私にとっては良かったことだと思いますが、現役を終えてみて、いろいろな社会、世界を見させていただいて、今はまた、自分の幅を広げていけたのかなと感じています。でも、今は、これ以上幅を広げずに、今の分野で少しずつ階段を上がっていけたらと考えています。スポーツキャスターのお仕事も今の核になっていますが、マラソンをずっと続けてきて、特に今はマラソンを楽しんでくれる人が増えてきているので、私は一人でも多くの”走る人”の応援者になりたいと思っています。現役時代、みなさんの応援がすごく支えになりましたし、いつもゴールまで背中を押してもらっていたので、その恩返しをしたいなと。マラソン大会では、参加者の95パーセント以上の人とハイタッチをするということを決めていて、レース前日や前々日にそのための作戦会議も行っています。

アフリカの子どもたちへの靴の支援、スマイル アフリカ プロジェクトも大切な取り組みです。私にとって靴は最後の最後まで一緒に戦ってくれる非常に大切なアイテムであり、戦友でした。靴を履けない子どもたちが世界にいるということは現役を終えたあとに知りました。知っているつもりと知っていることは違うと思い、しっかりと自分の目で見て、その支援ができるようにと考えました。活動は8年目になりますが、毎回、アフリカに靴を届けに行かせていただいています。子どもたちのあたたかい笑顔に出会うことは、私にとっても貴重な時間です。いろいろな分野でいろいろな経験をさせてもらっていることが、私にとって本当に大切なことです。現役の時の金メダルは人生が大きく変わった節目でもありましたが、金メダルが私の宝物のすべてではなくて、一番の財産は、人とのつながりを得たことだったのかなと思います。そのつながりが今も広がっていて、さらに大切なものになってきているなと感じます。

金メダルよりも、小出監督に出会えたこと、陸上をしていたことでいろいろな人に出会えたこと、それが一番大切なことなんだと思います。

――日常生活の中で、何か小さなチャレンジはありますか?

今の生活も、現役のときと基本的な部分は変わらないのかなと思います。どうしても走ることから離れられないんですよね(笑)。現役時代は”練習”という小出監督の“恐ろしいメニュー”があるんですけど、それはそれは恐ろしくて(笑)、1週間に一度、『80キロ走る日』があって、平均でも毎日40~50キロは走るんです。こういう厳しい練習を積み重ねていくと、陸上を嫌いになったり、『もうマラソンは嫌だな』と思ってしまう人もいる中で、私がそうならなかった理由があると思います。小出監督の”きついメニュー”はある意味仕事で、その仕事が終わったあとに私は『遊びで走ってきます』と言って、楽しんで走る時間を一時間ほど必ず持っていました。『探検ラン』といって知らないところを走ったり、きれいな景色のところに走りにいったりするのです。走ることは楽しい、という原点に毎日戻ることができた。これが長くマラソンを好きでいられる理由ですね。今では“仕事の形”は変わりましたが、日々の生活の中で『遊んできますよ!』というジョギングの時間を作ることは大切にしています。テレビの仕事をしていると、夜が遅かったり、朝が早かったり、24時間のどこにでもスケジュールの線が引けてしまう、本当にすごい世界だなと感じていますが、そんな中でも走る時間を捻出することにチャレンジしています。一般のランナーの方も時間を捻出することに大変な苦労をしていらっしゃると思うのですが、皆さんに負けないように、その時間を捻出しているのが日々のチャレンジなのかなと思っています(笑)。

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――毎日を特別な一日にするために心掛けていることはありますか?

一生懸命やったときって、すべてをちゃんと覚えているんですよね。現役時代は食べて寝て走るだけで、他のことは何もしていないのに、すごく一生懸命、陸上をしていたからこそ、練習日誌を開くと、練習風景が同じようなものでも、その時に何を思ったかが、風とか天候とともに蘇ってくるんです。自分のやりたいことを毎日、一生懸命にやることで、結果的に思いが刻まれていくのかなと思います。あとは、ランナーズハイというか、走っていると、どんどん気持ち良くなってきて、悩み事をポジティブに解決できるようになったり、周りの人に感謝する気持ちになるので、結果として自分だけでなく周りの人へもあたたかい気持ちになれます。自分だけの殻に閉じこもらず、いろいろなところを見わたしてみて、感謝の気持ちを口にすること。

それから、私は普段から景色を見るようにしています。景色は、365日同じものはないんです。雲は毎日違うし、景色に感動することって多かったりしますよね。そういうふうに、心を動かされる自分でありたいなって思っています。景色やそのときの状態で自分の気持ちが動いたり、感受性を豊かに保つことで、日々の生活に彩りが出るのかなと思います。電車から、ビルから、“今日の空”を眺めてみるだけでも日々の違いを感じることができて、感動や喜びを見つけることができれば、毎日に彩りが出て、特別な一日になっていくのではないかなと思います。

ーー2017年を迎えましたが、2016年は高橋さんにとってどんな一年でしたか?

リオ五輪が一番大きかったですね。日本が41個のメダルを獲得したというのもありますけど、本当に選手の皆さんにパワーとか元気とか勇気とか、たくさんのものをもらった気がします。エネルギーみなぎる力をいただいたなと。リオで始まってリオで終わる、それくらいリオの印象がすごく大きい一年でした。

ーー次の五輪は東京開催。アスリートの目線で言うと、自国開催はやはりまた別物ですか?

リオ五輪は日本でもテレビを観戦していた方がとても多く、盛り上がったこととと思います。ただ、子どもたちにとって、テレビでの応援だと、どうしてもテレビの中の世界というか、映画やドラマのように、自分からは手の届かない存在に思いがちです。東京五輪ではそのスポーツを目の前で見ることによって、今自分がしているスポーツを頑張って続けていけば、『あの場所に行けるんだ』とか、自分にも手の届く、と実感を得られるのかなと思います。みんなが夢を現実に感じられる瞬間だと思うので、多くの子どもたちに見てもらいたいと思いますね。また、出場する選手も、大きな応援を間近で感じることでモチベーションをグッと上げることができるでしょうし、東京でやる意義はとても大きいと思います。

ーー2017年はどういう一年にしたいですか?

大きなチャレンジというよりは、小さなチャレンジをたくさんしていきたいですね。小さなチャレンジを続けることが大きなチャレンジにつながると思います。やらなければいけないこと、やりたいことはすごくたくさんあるんです(笑)。このインタビューを読んでくださる皆さんと同じように、『部屋をきれいにしたい』とか、『英会話を習って東京五輪に備えたい』とか、皆さんと同じ目線のものを、もう少し落ち着いて自分自身の周りの環境を整えられる一歩にしたいなと考えています。そういう環境がその次の大きな一歩につながると思うので、いつも見逃してしまいがちな自分の周りをしっかり固めていきたいなと。そういう一年にしたいと思っています。

後悔をしないために、目標を達成するために、大切なのは「今日、今、何をするか、何ができるのか」と真剣に向き合うこと。いつだって何かにチャレンジをしている彼女は、笑顔でそう教えてくれた。

OneNews編集長

編集者/KKベストセラーズで『Street JACK』などファッション誌の編集者として活動し、その後、株式会社フロムワンで雑誌『ワールドサッカーキング』、Webメディア『サッカーキング』 編集長を務めた。現在は株式会社KADOKAWAに所属。『ウォーカープラス』編集長を卒業後、動画の領域でウォーカー、レタスクラブ、ザテレビジョン、ダ・ヴィンチを担当。2022年3月に無料のプレスリリース配信サービス「PressWalker」をスタートし、同年9月、「OneNews」創刊編集長に就任。

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