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ミャンマー『止まぬ弾圧 叶わぬ願い ~現地からの証言と分析~』ビデオリポート

阿佐部伸一ジャーナリスト
「偵察ドローンが頻繁に来ている」。国会議員用に作った防空壕=カレン州で筆者写す

 ミャンマーでは不完全ながらも民主化が進み、平穏な日々が10年ほど続いていた2021年2月1日、軍がクーデターを起こし、全権を握った。総選挙で民主派が8割以上の得票を繰り返し、この流れでは軍の政治への関与を保証していた憲法が改正され、軍人たちは特権を失う寸前のことだった。1988年ビルマと呼ばれていたミャンマーで起こった民主化闘争をカレン州で取材し、民主派が勝ち取った91年の総選挙もラングーン(現ヤンゴン)から報じた者として、今回の軍事クーデターには憤りと同時に、ミャンマーは結局1948年の建国以来ずっと軍が牛耳る国なのかという脱力感も禁じ得なかった。

1回数万円の寄付が集まる街頭募金だが、悲痛な願いは届かず避難民や死者は増える一方だ=京都市の四条河原町で筆者写す
1回数万円の寄付が集まる街頭募金だが、悲痛な願いは届かず避難民や死者は増える一方だ=京都市の四条河原町で筆者写す

 軍はクーデター後、横断幕とプラカードしか持たないデモや市民的不服従運動(CDM)という職場ボイコットなど平和的手段で抗議する市民を虐殺し続け、特に民主派の国会議員や党員は狙い撃ちにしている。看過できない不条理に、やはり憤りの気持ちを抑えきれず、過去2年間に学者や在日ミャンマー人らの協力を得て『緊急座談会in東京 自由と命を守れ!』と、知人友人から送られてくる現地映像を使って『急がれる承認 ミャンマー国民統一政府』を、そして新型コロナ禍で非常に複雑になっていた渡航手続きをクリアさせ、タイ・ミャンマー国境で『自由戦士 再び銃をとる』を制作・報道した。

砲撃と迫る国軍に自宅ではなく山中に寝泊まりしていたと話す避難民のノンピーさん一家=タイのサンカラブリで筆者写す
砲撃と迫る国軍に自宅ではなく山中に寝泊まりしていたと話す避難民のノンピーさん一家=タイのサンカラブリで筆者写す

 ミャンマー近隣の東南アジア諸国でも民主化とは逆行する強権独裁に屈したり、甘んじたりする市民が増えていて、クーデター翌年にはロシアのウクライナ侵攻が始まった。ミャンマーの惨状が霞んでいくなか、在日ミャンマー人と有志の日本人たちは「ミャンマーを忘れないで!ミャンマーを助けてください!」と日本各地の街頭で叫んだり、弾圧や虐殺を知らせるウェブサイトを運営したり、集会などを開いたりしている。一方、日本の政府や企業は、ミャンマーでも影響力を強める中国に対抗して、国軍との事業継続を優先させ、クーデター後も民選された国民統一政府(NUG)を承認、支持していない。民主主義を標榜する日本政府として、これはダブルスタンダード、ご都合主義としか言い様がない。

国旗が立っている所はミャンマーだが、新型コロナ禍が収束しても閉鎖されたままの国境=タイ側のスリーパゴダパスで筆者写す
国旗が立っている所はミャンマーだが、新型コロナ禍が収束しても閉鎖されたままの国境=タイ側のスリーパゴダパスで筆者写す

 クーデターから2年が経ったが、国内の民主派勢力も国際社会も残虐な軍を制止できず、投獄されたり、殺されたりする市民は増え続け、今年2月17日には収監された人が1万5,882人、殺された人は3千人を超してしまった(政治犯支援協会AAPP調べ)。

 スマートフォンとSNSが普及し、断片的には被害状況や談話などが入ってくる。しかし、脈絡があるインタビューや事実関係が分かる映像は、その前後の時間やレンズに写る外側を想像しながら編集しなければならない。加えて、自動的に論文や記事を生成するChatGPTが急速に広まる今だからこそ、現場へ行き、会って話を聞くという基本姿勢がこれまで以上に大切になっている。

 国軍は新型コロナの感染対策を、デモや集会だけでなく、ジャーナリストの取材を阻止する口実にも使った。前回はミャンマー領を目の前にしながらミャンマー国内の取材を断念したが、今回は新型コロナが収束し、手引きしてくれる現況に通じた人物にも巡り会え、ミャンマーのカレン州に入ることができた。

 ただし、腰にロンジーを巻き、木綿の首巻で汗を拭き、足元はゴム草履といった現地の男性と同じ格好で、カメラは家庭用の小型で三脚はなし、宿舎には午後6時までに夕食も済ませて戻るという制約下での取材だった。というのは、特に拠点となっている都市周辺には国軍から国民防衛軍(PDF)まで、指揮系統が異なる武装勢力が少なくとも5つ混在していて、外国人ジャーナリストである以前に目立つこと自体がハイリスクだからだ。

ミャンマーカレン州では5つの武装勢力が辛うじてバランスを保っているが、和平と民主化へのレールに戻るためには一日も早い会議が望まれる(図表は筆者作成)
ミャンマーカレン州では5つの武装勢力が辛うじてバランスを保っているが、和平と民主化へのレールに戻るためには一日も早い会議が望まれる(図表は筆者作成)

 ところで、国軍とPDFはカレン州では新参者で、ここにはビルマ建国以来、自治独立を求めて軍と戦ってきたカレン民族同盟(KNU)がある。しかし、軍はカレン州内にパゴダを建立するなど仏教を利用して懐柔。1994年には軍政寄りのグループを離反させ、民主カレン仏教軍(DKAB)とした。また、2011年にはカレン州内のインフラ建設やカジノの利権を条件にDKABの9割を国軍直下の国境警備隊(BGF)に編入させている。しかし、今回のクーデター後、BGFは住民から孤立し、その一部が民主派側に寝返って、1月23日の警察署などの襲撃に加わったという情報もある。

 軍のロヒンギャ族への弾圧も大量の難民を出して世界的な問題になっているが、今回少数民族ではない人口の6割以上を占めるビルマ族の国民が何千人も殺されていることから、ロヒンギャ族を差別していた国民にも大きな気づきがあったと思いたい。軍がロヒンギャ族をスケープゴートにしていただけで、要は軍の意に沿わない人は誰であろうと殺すということに。

首都ネピドーでクーデターに遭遇し、命からがら避難してきたミッチョーテー国会議員。国民統一政府(NUG)は「ササガワ、ワタナベ」と名前を挙げて日本政府と軍の関係を非難した=ミャンマーカレン州で筆者写す
首都ネピドーでクーデターに遭遇し、命からがら避難してきたミッチョーテー国会議員。国民統一政府(NUG)は「ササガワ、ワタナベ」と名前を挙げて日本政府と軍の関係を非難した=ミャンマーカレン州で筆者写す

 今回国境の向こう側で、軍による殺戮が止み、ミャンマーが民主化へのレールに戻るためには、どんな支援が必要かと考えた。続出する避難民への緊急人道援助は変わらず必要だ。しかし、それで避難せざるを得ない人が減るわけではない。長年続いたカンボジア内戦の終息と何十万人もの難民帰還は、パリ和平会議が発端だった。ミャンマーの場合も、民選された国民統一政府(NUG)を軸に各勢力が和平と民主化への会議が持てるように支援することが不可欠だ。何故こうした考えに至ったか、ビデオリポートをご覧いただきたい。

ジャーナリスト

全国紙と週刊誌編集部、ラテ兼営局でカメラマンや記者、ディレクターとして計38年、事件事故をはじめ様々な社会問題や話題を取材・報道してきました。そのなかで東南アジアは1987年に内戦中のカンボジアへ特派員として赴いて以来、勤務先の仕事とは別にライフワークとしています。東南アジアと日本は御朱印船時代から現代まで脈々と深い繋がりがあり、互いに大きな影響を受け合って来ました。日本の人口減が確実となり、東南アジアの一般市民が簡単に来日できるようになった今、相互理解がますます求められています。2017年に定年退職しましたが、まだまだ元気な現役。フリーランス・ジャーナリストとして走り回っています。

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